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その292 陽キャ

 妙な気分だった。


 実在する身体は部屋にいながら、感覚の身体はバスの中にいる。

 高速バスの座席は乗客数とおなじ六人分で、椅子はそれぞれ、高級感のある革製。

 目の前のモニターではどうやら、暇つぶし用のテレビ番組を見ることができるらしい。


――関西では、テレビをやってるのか。


 そう思って、パネルを操作。

 その内容は、一週間遅れのニュース番組や野球番組、2015年より以前に制作されたバラエティ番組や映画の再放送が主で、特に食指が動くようなものはない。


 隣の席を見ると、『2001年宇宙の旅』を観ていた最歩が、早くも寝息を立てているところだった。


「………………」


 このまま、用事はないだろうか。

 そう思って、きっちりと締められたカーテンを引っ張り、外の様子を見る。


 バスはいま、ここ一年で復旧されたばかり高速道路に入ったばかりで、見渡す限り、障害物になるようなものは一つもない。


 この道路は、東京と大阪を繋げる唯一のルートだ。

 現在、日本人の大半は中央府に移住している。

 “終末”後しばらくは、小さなコミュニティに分かれて暮らしている者も多かったが――そうしたグループは、ならず者“プレイヤー”にとって、都合の良い鴨でしかなかったという。

 無力な人々のコミュニティを見つけては、善人面をして近づいていき――そして彼らを、食い物にする。

 常人の中にいる超人は、気が大きくなるものらしい。

 差別、虐待、不健全な関係性の構築。

 いくつかの悲劇的な事件が起こってから……牙なき人はみな、群れの中に安住を見いだした。

 今ではもう、この辺りの人口はほとんどゼロだと考えていいだろう。


 とはいえこのバスを、人知れず見張っている目があることを、僕は知っている。


 美空、雪美、奏。――“三姉妹”のみんなだ。

 彼女たちは今、“どこにでも行けるドアノブ”を使って僕の部屋と“移動用マイホーム”を接続した状態で、サンズ・リバー高速バスの上空を追従している。

 僕の“ゾンビ”を操作可能にするためだ。


 彼女たちには面倒をかけるが、これは必要な手間暇であった。


「…………………………ふーっ」


 物思いに耽りつつ、ため息を一つ。

 このまま、何ごともなく大阪までの道のりが続くなら……しばらく休んで良いかも知れない。

 ここで、特に興味のない番組を観る必要はない。

 僕の自室にはまだ、未視聴のアニメDVDが山ほどあるのだから。


――外すか。VRゴーグル……。


 そう思っていると、


「うーっす! ちょりーっす」


 ふいに、後ろの席の黒ギャルが声をかけてくる。

 僕は、しっかり間を作った後、


「…………ええと。ちょりっす」

「ひひひ。ノリいいじゃん♪」

「……なんです? 何か用ですか?」

「べつに? ちょっとヒマしててさ」


 「ちょっとヒマしている」から、知らない人に話しかけるのか。

 とんでもないコミュニケーション力だ。僕にはとても真似できそうにない。


「あんた、どこ出身?」

「………………。都内だけど」

「お金持ちのひと?」

「いや、そうでもない」

「ひょっとして、プレイヤーだったり、する?」

「………………」


 視線を逸らして、


「ノーコメントで」

「あ! やっぱりそうなんだ!」

「なんとも言ってないが」

「ひひひ。あたし、ウソを見抜ける人なんだよね~」


 いかん。厄介な陽キャに絡まれてしまっている。


「そこで寝ている娘もそうでしょ? ――ふふふ。プレイヤーの人って、なんとなーく雰囲気が違うんだよね」

「そうかい?」

「うん。なんだか、自信満々って感じのオーラ。『私、神に選ばれた者です』って感じの」

「……………………」


 マジかよ。気をつけるようにしないと。


「そういう君はどうなんだい」

「あたし? あたしは普通の人間だよ。“プレイヤー”様に護られてる、一般人」

「そうか」


 頷いて……黙り込む。

 あまり、彼女と話し込むべきではない。そんな風に思えたためだ。

 別に、非コミュを発症しているのではない。

 バス内は今、静まりかえっていて、仲良く会話をする雰囲気ではなかったためだ。


 だが少女は、そんなことお構いなし、という雰囲気で、


「あたし、ヒカリっていうの。よろしくね」


 手を差し伸べる。


「ぼく……いや、私は、ミント」


 一応僕は、それに応じて、


「きみ、……積極的なんだな」

「うん。だって、これから半日もバスで揺られてるなんて、……無理じゃん? 話し相手がほしくってさ」


 まあ、その気持ちはわからないこともないが。


「それに、もしアクシデントが起こった場合、“プレイヤー”様とは挨拶しておいた方がいい。その方が、生き残れる確率が上がるもの」


 それは確かに、そうかもな。


「……危険なのか? このバス」

「どうだろ。そういう話は、聞いたことないけど……でも」

「でも?」

「今どき、何が起こるかわかんないもの。そーでしょ?」


 そんな言葉を呼び水に、バスがゆっくりと停車する。


「…………?」


 乗務員の女性が何やら、運転手と話し合っている。

 一瞬、僕たちは目を合わせて。


「あの、すいませーん。どうかしたんですかぁ?」


 ヒカリさんが席を立った。


「ああ、……いえ。……ちょっと……」


 何が起こったか、返答を聞くまでもない。


 真っ直ぐに拓けた道路。

 その先に、不定期に揺れる、黒山の人集り。


 バスの前方、数百メートル先に……ゾンビの群れが見えたのである。


「嘘……」


 それを見た他の乗客も、顔色を蒼くしている。

 恐らく、どこかのフェンスが壊れて、そこからゾンビが侵入したのだろう。


「こーいうこと、よくあるの?」

「いいえ。とくにここ一年では……聞いたことがありません」


 確かに、そうそうあることではない。

 東京~大阪間のルートは、多くの物資のやり取りがある、人類の生命線だ。

 当然、その道のりは、厳重なバリケードが張られている。


 そうしたバリケードは、ゾンビの力では破壊できないような作りになっていることが多い。


――面倒だな。


 嘆息混じりにそう思って。


「ひひひ」


 するとヒカリさんは、いたずらっぽく微笑んだ。


「やっぱり、話しかけといて良かった♪ もしもの時は、護ってよね」

「………………」

「もう私たち、友達でしょ。ねーっ?」


 …………やれやれ。

 苦手なタイプだ。

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