その285 私の顔を
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(歪んだ文字。何かを書き潰した痕跡が数行ほど続いて)
わたしの、心は、もうすこしでなくなる。
だから、この手紙を、残す。
わたしはいま、わたしではないだれかに乗っ取られようとしている。
理由は、自分でも良くわからないけど。
なんで、こんなことになったのか、わけがわからないけれど。
わたしの中に、わたし以外の、誰かがいる。
書いてる意味、分からないかもしれないが。
でも、本当なの。
なんでこうなったか、自分でもよくわからない。
こわい。こわい。こわい。こわい。
お母さんに相談した。けど、「疲れてるのよ」って。
ぜんぜんあてにならない。
こわい。こわい。こわい。
最初は、お風呂だった。
一人で、髪を洗ってたら。
ふいに、鏡の中の自分が、別人のように笑った気がしたんだ。
最初は気のせいだと思ってた、けど。
別人のような私は、そのうち、私に話しかけてきたの。
『はろー。ごきげんよう』
って。
そいつは私に、こう言った。
『こちら、現実世界の人間です。空想世界のあなた、今日も元気に生きてますか?』
私、反射的にこう思った。
こいつに、話しかけちゃいけない、って。
だけどそいつは、構わずこう続けた。
この世界の、真理に関する話を。
――この世界は、一篇の物語に過ぎない。
――私たちは、そのキャラクターにすぎない。
――だから、諦めて。
――あなたたちは、玩具なの。
――あなたたちには、尊厳も、人権も、生きる価値もない。
その日から、だった。
徐々に。徐々に。
記憶のない時間が、増え始めたの。
ある日は、夜の数時間。
夕ご飯を食べた記憶がなくって。
でもいつの間にか、お腹が膨らんでいて……。
『あなたのお母様、お料理下手ね』
って。
そういうメモ書きが、机の上に乗っていた。
怖かった。
なんでこんなことになったのか、ぜんぜんわからなくって。
最初だけ。
最初だけわたしは、“もう一人の私”を説得しようとしたの。
勝手なことは止めて。わたしの身体を、わたしに返して……って。
けれど、ダメだった。どうしようもなかった。
頭に棲み着いた“あいつ”は、まともじゃない。
他人の命を、これっぽっちも尊重していないの。
たぶん、もうどうしようもない。
わたしには、アイツの心が、よくわかる。
あいつは……わたしの、夢星最歩の身体を使って、パパとママを殺すつもりだ。
たぶんそうなったらもう、わたしはわたしじゃいられなくなると思う。
これを読んでいる人がいたら、お願い。
仇を取ってほしい。
わたしを……夢星最歩を。
殺してほしい。
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「……………………………………ふむ」
唇に手を当てる。
書かれた内容について、意外だとは思っていない。
裏切られた、とも思わない。
そもそも僕は、夢星最歩を信用していなかった。
もとよりヤツの行動には、尋常ならざるものがあった。
この手紙はある種の、確認作業に過ぎなかったのである。
――問題は、この情報をどう活かすか。
僕は、正義漢ではない。
夢星最歩の善性など、最初から気にしていなかった。
――むしろこれで、話がわかりやすくなった。
ヤツは、敵だ。
人類の敵。
――だが、利用価値がある。
そんな風に考えていると、
「あー…………、ぷりーず、とらんすれーと」
“暗黒騎士”が、答えを求めた。
「ああ、そうだったな。悪い悪い」
やむを得ず僕は、その内容の説明を試みる。
「サイホず、ぶれいん、いず、……あなざーまいんど。かむ」
「うい」
「にありー、まいんどこんとろーる? いんてりじぇんす、ぐしゃぐしゃー」
「うい」
「めいびー、えいりあん? めいびー」
「…………うい」
「いん、しょーと。…………サイホ・ユメホシ、いず、いーびる」
「…………ふむむ」
すると“暗黒騎士”は、少し落胆したように肩を落とす。
「ええと……いまのでわかった、のか? どぅーゆー、あんだすたんど?」
「…………イエス」
そしてなぜか、首元に手を当てた。
ぷしゅ、と、空気が抜ける音が聞こえて、兜が少し浮く。
目を丸くしてそれを見守っていると、
「――む」
思わず、目を奪われてしまうほどの美形が現れた。
黒髪に碧眼の、とんでもない美人。
顔面は汗で濡れていてわかりにくかったが、それはまぎれもなく……。
「……きみ、女だったのか」
と、漫画でしか見たことがないセリフを口にする。
だが、ちょっとした違和感。
先ほどまで聞こえてきたのは確か、男声だった気がするのだが……。
ヘルメットに、ボイスチェンジャーか何かを仕込んでいるのだろうか?
“暗黒騎士”は、僕の驚きなどまるで意に介さない感じで、
「リメンバー、ミー。リメンバー、マイ、フェイス」
とのこと。
声色は、高い。
やはり兜に、変声機が仕掛けられているらしい。
「ええと……?」
「アイム、るっきんぐ、ふぉー、でぃす、フェイス」
「……はあ」
同じ顔の人物を探している、ってことか?
「シー、イズ、ゆあ、しすたー?」
「ノー。カズ」
かず? 人名か?
うーん……。
「とにかく、お前の顔を覚えたらいいってことだな」
「…………?」
「ええと、アイ、リメンバー、ユア、フェイス。……めいびー」
「のー、めいびー。ぱーふぇくと、りめんばー、ミー」
「はあ」
「ぱーふぇくと、りめんばー!」
……………………しばし、もの凄い美人と見つめ合う時間が過ぎる。
――この人、なんでこんなに必死になってる?
もっと言葉が通じ合えば、話がわかるのだろうが……。
いまは、のんびり話し合っている時間はない。
「……オーケー。覚えた。りめんばー」
「うい」
「きゃん、ゆー、こんたくと、ミー?」
「イエス」
そして“暗黒騎士”は、先ほども見かけた“どこにでも行けるドアノブ”を手にして、こう言った。
「こんたくと、ゆあ、フレンド」
「フレンド? 友人?」
首を傾げていると……この、言葉の通じにくい女はがちゃがちゃと足音を立てて……そして、僕に、顔を近づけた。
ぼんやりその様子を見守っていると……やつは、僕の頬にキスをしたのち、
「うい、あー、ふれんど」
“ドアノブ”をひねり、どことも知れぬ空間へと消えてしまう。
「………………」
僕はただ、人気のない部屋に残され――狐につままれたように、黙り込むだけ。
「ええと……いまのキスは……どういう……?」
よくわからないが。
ただ、彼女の顔は……ものすごく印象に残った。
――私の顔を覚えて……。
彼女の意図は、よくわからんが。
また一人、妙なヤツと知り合ってしまったな。




