その281 隠されたもの
「ちょっとまて。――本当か」
「ええ」
最歩が、PCを操作する。
「たしか、デスクトップにショートカットがあったはずなのに」
「少し、貸してみろ」
「はい」
さっと、PC内のデータに検索をかける。
たしかに『J,K,Project』なるゲームは、このPC内には存在していない。
「…………む」
眉をひそめて、モニターとにらめっこ。
「どうしましょ。――これ、もうどうしようもないかしら」
「いや」
首を横に振る。
「これくらいなら、サルベージできる」
「さるべーじ?」
「ああ。パソコンを以前のバージョンに復元できれば、データも戻るはずだ」
「なんと。――そんな、スーパーハッカーみたいな真似が」
「……そこまで大層な話じゃない」
この程度のトラブルは、誰しも一度は経験する。
ご多分に漏れず僕も、平時にダウンロードしておいた専用ソフトを保存していた。
「だが、いったん持ち帰る必要があるな」
「……えっ。持ち帰るんですか?」
「ああ」
「えっと。えっと……」
すると最歩は、突然目を泳がせた。
「そうなると、その。――私のいろんな……個人的なこととか、見られちゃうんじゃ」
「仕方ないだろ。人類のためだ」
「うううううぅ……い、いやですぅ……」
この期に及んで最歩は、年頃の娘のようにごねた。
「大丈夫だ。約束する。『JKP』に関係すること以外、何もみないよ」
「そういう問題じゃないですよぉ」
「どっちにしろ、このPCは精査する必要があるんだ」
「ううううう……でも、でもぉ……」
苦い顔をする最歩。苦笑する僕。
『……おい。おぬしら』
アリスは唇を尖らせて、
『なんでもいいから、脱出しよう。さっきのやつが戻ってきたら、ややこしいことになる』
たしかに、それはそう。
僕はいったん、PCの電源を切って、パソコン本体のコンセントを抜く。
『とにかく、安全地帯へ』
「わかった」
アリスはすでに、“どこにでも行けるドアノブ”を捻っている。
開かれた先は――僕の部屋。
『帰るぞ』
「あ! ちょっとまて!」
一瞬、声を張り上げる。
まずい。このままでは。――そう思ったが……もうおそかった。
「わぁい!」
夢星最歩が、アリスを押しのけて扉の奥に飛び込んでいったのである。
僕は思わず、こう叫んだ。
「ばかっ」
『…………へ?』
目を丸くするアリス。
『――って。…………あ!』
一拍遅れて、自分がしでかしたことに気づいたらしい。
最歩に、僕の家を知られてしまった。
『……ご、ごめん……』
「――~~~~~~~~~~~~ッ」
眉間に手を当て、低く唸る。
――僕のミスだ。
アリスのやらかしは、今に始まったことではない。
こういうことは、僕がケアしなければいけなかった。
「へーっ。……ここが、灰里さんのお部屋なのね……!」
扉の奥ではすでに、最歩があちこちを検分している。
いまの僕は、無力だ。それを止めることはできない。
「おまえ」
「せっかくだし、お外見に行こーっと!」
そのままやつは、部屋を飛び出してしまった。
「………………」
眉をひそめて、
「――アリス。わかってるな?」
『うむ……』
「連れ戻してこい。責任を取れ」
『…………はい。……あ、でも、“ドアノブ”は……』
「しばらく僕が、預かっておく」
そういうことになった。
▼
そうして僕は、最歩の部屋にあったPCその他の機材を自室に運び込み、モニターに繋ぐ。
「――さて」
僕はとにかく、データの復元作業を始める。
――とはいえ、ソーシャルゲームのデータを復元しても……。
中身を見るには、専門の知識が必要かもしれない。
僕に出来るのは、消えたデータを元に戻す。それだけだ。
――せめて、テキスト・データだけでも抜き出すことができれば、大きな助けになるのだが。
そうして僕は、USBフラッシュメモリを経由してデータ復元ソフトをインストール。
最近削除されたデータの復元しようとする……が。
「…………?」
首を、傾げる。
データの履歴を確認したところ――最歩のPCから、何らかのソフトが削除された形跡が見つからなかったのである。
「おかしいな」
考え得る限り、いろいろと調べてみるが……やはり、データはない。
そもそも、このPCに『JKP』なるソフトがインストールされていたとは思えなかった。
「……???」
こつこつと、デスクを叩く。
――これはいったい、どういうことだろう。
まあ、“あの御方”の正体によっては、どんな不思議なことが起こってもおかしくはないが。
「……………………」
しばし僕は、腕を組んだまま、PCとにらめっこ。
そのまま、五分ほどぼんやりしていると……。
突如として、画面が切り替わった。
今どき珍しい……スクリーンセーバーが起動したのだ。
「――?」
瞬間僕は、奇妙なものを目の当たりにした。
画面に表示されていたのは、PC内に存在している写真のスライドショーで、夢星最歩の自撮り……と、思われるもの。
人差し指をピンと立てた、奇妙なポーズだ。
奇妙だったのはその顔に、奇妙な翳りが感じられたこと。
なんというか……すこし、無理して笑っているかのような。
――あ、いけない。
最歩には、『JKP』以外の情報を覗かないといったばかりだ。
不慮のこととはいえ、このままでは約束を破ったことになってしまう。
――やめよう。
そう思って、マウスを動かす。
ぱっと画像が消えて、……しかし、網膜に焼き付いた、先ほどの写真が忘れられない。
「……………………」
腕を組み。悩む。
ひょっとすると、これは……。
いま、僕の悪いところが出ようとしている。
好奇心が、道義心を上回る瞬間だ。
窓を開け、ちらと外を見る。
庭先では、
『こりゃー! まちなさーい!』
「うふふふふ♪ 捕まえてごらんなさぁい」
『こんにゃろー! ききわけなさーい!』
アリスと最歩が、謎にじゃれ合っている姿が見えた。
この分なら、戻ってくるのはしばらく後になるだろう。
「…………」
逡巡は、数秒だった。
僕は一人、“どこにでも行けるドアノブ”をひねる。
現れた扉のその先は……夢星最歩の自室だ。
僕は足早に、探索を始めた。




