その276 新たな家主
そうして僕たちが案内されたのは、『魔性乃家』における、ごく普通の“仕事部屋”の一つだ。
「ここか」
案内されるまま扉を開くと、そこには――非現実的なサイズの男根の張り型が。
「………………うおっ」
意表を突かれて、不覚にも悲鳴を上げる。
『わあっ。ちんちんだ!』
アリスもアリスで、子供のような感想を述べて、
『すごいな、これ。30センチくらいあるぞ。――おぬしの股間にも、ぶら下がっとるのか?』
「馬鹿いえ。こんなのがついてる人間がいるか」
『そうなのか?』
「そうだよ」
答えつつ――内心、自分にそう言い聞かせている。
温泉とか銭湯とか、合宿とか……そういうイベントは、ことごとくスルーして生きてきた。考えてみれば僕、他人の生殖器の形状に関して詳しくない。
案外、これくらいのサイズが平均、なのか……?
「……馬鹿な話してないで、行くぞ」
『うい』
そうして僕たちは、張り型が飾られた前室で靴を脱ぎ、室内へと入り込む。
するとそこには――
「……………………!」
思わず『ぎょっ』となるほどセクシーなネグリジェに着替えた、夢星最歩の姿があった。
普段は身体のラインがわかるようなピッチリスーツを着こなしている彼女だが――今日の最歩は、名称不明のすけすけな布地を身に纏った、ほとんど下着姿と言って良い格好だ。
最歩はいま、仮面をつけていない。
彼女は、胡散臭い笑顔を浮かべて、
「こんにちは! 今日はご指名、ありがとー!」
と、悪ふざけをする。
「……やめろ」
「お客さん、こういうお店、初めて? それとも良く来るんですか?」
「………………。やめろ」
「もーちーろーん。あなたは初めて、ですわよね? だって貴男は――極度の潔癖症。子供の頃から、お泊まり会ひとつ参加できない、引きこもり男。……そうでしょ。“ゾンビ使い”さん」
僕は、少しだけ閉口して、
「よく、僕の正体に気づいたな」
「顔を隠しても、無駄です。あなたのことは、なんでも知ってますから」
「………………」
《ほとんど無害》を使ってからというもの、最歩から妙に好かれている。
あのスキルには、そういう効果もあるのかもしれない。
「今日は、急に尋ねてきてすまない」
「いいえ。あなたなら、いつ訊ねてこられても大丈夫、ですわ♪」
「…………」
ひょっとすると彼女も、“ネイムレス”のファンだったのだろうか。
僕は、マスクとサングラスをとって、
「その様子だと、もう気づいてるな。――“バグ”の件だ」
「わかってます♪ “獄卒”さんも“楼主”さんも、別室で待機してますわよ」
「――? ちょっとまて。“獄卒”だけじゃなくて、“楼主”も?」
「ええ。……実を言うとあれから、ちょっと状況が変わりまして。“楼主”さんにも、“バグ”の症状がでてしまったんです」
「なんだと」
ということは、彼も『JKP』のキャラクターだったということか。
「彼は、大丈夫なのか」
「まだ、ちょっぴり様子はおかしいですけど。……少なくともいまは、暴れてません」
ということは、ちょっと前まで暴れていたのか。
「ところで、私いま、ここに住んでるんです」
「ああ」
それは、さっき聞いた情報だな。
「しかし、危険じゃないのか? この辺りは“プレイヤー”の行き来も多い。……顔が割れてないとは言え……」
僕は、彼女のすらりとした腰周りを観て、
「下手に動けば“サンクチュアリ”に見つかってしまうぞ」
顔がわかってなくても、こういう体付きをしている女は、そう多くない。
「それが――ちょっぴり、“楼主”さんに頼み込まれてしまって。この見世の仕切りを頼まれているのです」
「……仕切り?」
「ええ」
少女は、ぽすんとベッドであぐらをかく。
「“楼主”さんの正気が保障されない、いま。――この見世には、信頼出来る守護者が必要なんだそうで。……それが、私なんだそうです」
えー。
コイツ、言うほど信頼出来るか?
強いのは認めるけど。
「私自身、下手に配下を増やすのは好きじゃないんですが――。まあ、ここには友達もいるし」
「それで、住処を変えた訳か」
「はい」
こくんと頷く最歩。
僕は渋い顔をして、
「まあ、そっちの事情はわかった」
どうもこいつを相手にすると、少しペースが乱れるな。
「とにかく今日は……“バグ”の調整を急ごう。……アリス?」
振り向いて、傍らの少女に目線を送る。
するとアリスは、じーっと最歩の顔を見て、
『………………?』
なんだか、不思議そうな表情をしている。
だが、最歩の方は特に遠慮はないらしく、
「こんにちは、アリス」
と、手を振るだけだ。
「灰里さんの言うとおりですわね。とにもかくにも、二人を安心させてあげないと」
『……ん……』
アリスは、しばらくぼんやりとした目を向けて、
『――あれ? 儂らって、会ったこと、ある?』
「ありますわよ。いぜん」
『えっと。……あれ? そうだっけか……?』
「かなり前のことだから、覚えてなくてもしかたありませんわ」
『あー。そうかも』
アリスが、ぽんと手を打つ。
どうやら、納得できたみたいだ。
「さあ、行きましょう。二人が待ちかねていますわ」
そうしてアリスは、ひょいと立ち上がり――僕の左腕に、そっと手を回す。
僕は一瞬、何かのプロレス技をかけられるのかと思って身構えるが……。
「うふふふふ。――うふふ。しあわせ」
恍惚なその表情に、眉を段違いにする。
――こいつ、……たしか、素手で人間を引き裂けるくらい強かったよな。
正直、ちょっと怖い。
そう思った。




