その274 ボドゲ会
アリスが部屋に来るときは、決まってなんらかの前兆がある。
カラスが手紙を運んできたり、電波の通じてないスマホに着信があったり、冷蔵庫に伝言が貼り出されていたり……。
そんなアリスが最近好んでいる“前兆”は――僕の夢の中に登場し、
『あーそーぼー♪』
という、胡乱なメッセージを残していくというもの。
メッセージを受け取った僕は、空き部屋をひとつ、ボードゲーム会用にセッティングして、彼女の登場を待った。
そして、――ちょうど、夕陽が地平に沈んだあたりで……。
『よっす!』
ずしんと、肩周りに重さを感じる。
観ると、少女が一人、仔犬のように飛び乗っていた。
「どけ」
『えへへへへ♪』
その重さは、人一人分には遙かに足りない……5,6キロほどだろうか。
“魔女”アリスの身体は恐らく、見せかけだけのもの。血と肉が通っていない。だからこその軽さだ。
――相変わらず、得体の知れない生き物だな。
僕は、少女の腰周りをひょいと抱き上げ、対面の席へ座らせた。
アリスは、幼児のように足をぷらぷらさせて、
『さーて♪ 今日のゲームは、な・に・か・な~♪』
楽しげにゲームを検分する。
部屋の片隅にはホワイトボードがあって、過去の勝敗が貼り出されていた。
現状の勝率は、おおよそ五分五分。アリスは意外なほどにゲームが巧い。
――まず、本題から入るべきか?
一瞬、そう思うが……まだ早い。
僕自身、この会を台無しにしたくないという気持ちがあった。
だからこそ僕たちは、長くこの良好な関係を築くことができているわけだし。
「では、今日の一本目。『クアルト』というゲームから始めよう――」
▼
……………………。
…………。
……。
それから、数十分後。
「それだと、色が揃ってしまうな。――クアルト」
『ああくそっ。みすった、やらかしたぁ!』
「ミスの防止に気を回すのも大事だが、あえて危険な手を指して、相手を詰ませにいくのも重要だ」
『ぐぬぬ……もういっかい!』
「よし」
僕たちは、いつもと変わらない時間を過ごしている。
こうしていると時々、全人類を裏切っているような気分になるのは、なぜだろう。
恐らく僕は、この世界で唯一、アリスを暗殺できる男だ。
けれどいまのところ、それをする気にはならない。
そうしたところで、何かが解決するとは思えない、ということもあるが……。
人によっては、復讐の執行を望むかもしれないな。
『もっもっもっもっもっもっも』
盤面を睨みながら、カントリーマアムをむしゃむしゃするアリス。
機を見て、僕は口を開く。
「ところで――アリス」
『もっもっもっもっも!』
「ちょっと……食べる手を止めて、話をきいてくれないか」
少女はそこで、冷たいコーラをこきゅこきゅと飲んで、
『――うみゅ? なんじゃい』
「実を言うと……今日はひとつ、良くないニュースがある」
『なにそれ』
「最近また、“バグ”と出くわしてな」
『えっ』
少女の唇から、ポロリとクッキーの欠片がこぼれた。
『マジか、それ』
「ああ。お陰で、東京駅の避難民は全滅してる」
『そんな馬鹿な』
アリスの目が、大きく見開かれた。
どうやらこいつ、東京駅で起こった事件、何も知らないらしい。
僕はアリスに、事件の概要をざっくり説明する。
――“ランダム・エフェクト”に所属する複数のプレイヤーがおかしくなったこと。
――東京駅構内に、ゾンビ毒がばら撒かれたこと。
――根津ナナミとの戦い。
――“獄卒”の狂気。
――髑髏仮面の女……夢星最歩のこと。
――この世界は、『J,K,Project』というゲームと関係があること。
『え、え、え、え、え…………?』
アリスの顔色が変わったのは、『J,K,Project』の名前が出た辺りだろうか。
彼女は、すっかり狼狽しながら、それでもカントリーマアムを食べる手を止めない。
その様子はまるで、皿の上のクッキーをなくすことが、問題解決の手助けになると信じているかのようだ。
「夢星最歩。――彼女も、“魔女の落胤”なんだろ」
そう訊ねるが、アリスは一瞬、不思議そうな表情をしたのち……、
『…………あ。ああ? そう……かな。たぶん』
「――? 覚えてないのか」
『うん』
アリスは、真っ直ぐな目でそう応える。
どうやら、本当に覚えてないらしい。
『儂もほら、いろいろなやつをプレイヤーにしてるから。全員覚えてるわけじゃないんよ』
夢星最歩。
あんまり忘れ去られるキャラではないと思うんだが……。
「……とにかく」
疑問で満たされそうになる頭を切り替え、もっとも重要な交渉に集中。
「このままだと、まともに暮らしていくこともできない。“バグ”の修正を頼みたい」
『ん。そうじゃの。やろう』
アリスはそう、あっさりと頷く。
読み通りの反応だ。
『それじゃ、行こう』
「えっ。今からか」
『うん。いますぐ』
意外だったのは、その行動の速さだった。
アリスは、尻に火が点いたみたいに立ちあがって、
「しかしお前……今日は、休暇中じゃなかったか」
『相手が“バグ”となると、休日返上もやむなし』
なんか、クレーム対応に追われてるプログラマーみたいなことを言うなぁ。
『ってわけで、儂は行く。――悪いがおぬしには、案内人になってもらうぞ』
「……は?」
僕は一瞬、耳を疑って、
「忘れたか。僕は家の外にでると、死んでしまう……」
『わかってる。誰が力を与えてやったと思っとる』
「だったら……」
『安心しろ。力を与えられるということは、その力を奪うこともできるということじゃ。今回は特例として、お主を普通人に戻す。そうすりゃ外出しても、死ぬことはない。……じゃろ』
「…………いいのか?」
『ああ。――少しの間、不自由するかもしれんが。我慢してくれ』
息を呑む。
――力を与えられるということは、その力を奪うこともできるということ。
言われてしまえば、その通りなのだが……。
『どうする? ――もし、お主がどうしても嫌だというなら、構わんが』
「ああ、いや……」
まさかこんな形で、外出できる日がくるとは。
結局僕は、二つ返事でうなずいた。
実際これは、外の空気を吸う最後のチャンスかもしれない。




