その273 弟
「――以上が、東京駅で起こったことの顛末だ」
ナナミさんとの戦いから、数日ほど時間をおいて。
僕は、弟である先光亮平を自宅に呼んだのち、情報共有を行っている。
「…………なんか、いろいろあったみたいだな」
話を聞き終えて……亮平は、なんだか複雑そうに、僕の自室のドア――スイーツ王国の刺客に破壊されたやつ――を検分した。
「あーあ。派手に留め金が壊れちまって……」
「これ、もうどうしようもないかな」
「んー。まあ、ここの板を補強すれば……なんとか」
「たのむ」
率直に頭を下げると……弟は、ぽりぽりと鼻の頭を掻いて、
「まあ、おれに手伝えることなんて、あんまりないからな」
「別に、そんなことはないが」
「いーや。そうさ」
亮平の口調には、皮肉な含みがある。
「それで。――“サンクチュアリ”の動向はどうだ?」
弟は今、かなり出世していて……航空公園にいる避難民の代表を務めているらしい。
いまはその立場を利用して、色々と情報を流してもらっている。
「ひとまずナナミさんは、“サンクチュアリ”で預かることになった。……あの人、野に放つには強すぎるからなぁ」
「ふむ。――だが、いいのか?」
「少なくともみんなは、問題ないって言ってるよ。だいたいあの人、もとは“終わらせるもの”の友達だったんだろ? いまやあの娘は、この国の“救世主”だ。文句を言うヤツもいないだろ」
「……………………」
慎重に弟の顔色をうかがう。
いまの話――どこまで本気か。“サンクチュアリ”の空気感が知りたかったのだ。
僕は、『魔王討伐』の一件に関していくつか、懐疑的な考察をしていた。
――これで終わるはずがない。
正直、そう思っている。
僕たちの世界は、神々(あるいは、それに類する存在)の玩具だ。
僕ならきっと、好きな玩具を手放さない。
ならば……今後また、僕たちには何らかの試練が与えられるだろう。
「………………兄貴」
顔色の悪い弟が、心配そうに僕を観ている。
「やっぱりまだ――例の件、続けてるのか」
「無論だ」
「でも、あれ以来俺たち、……優希を失ってるんだぜ」
「その言葉には語弊があるな。別に優希は、死んだ訳じゃない」
「似たようなもんさ」
「ム」
僕は、視線を落とす。
自室の床は、メイドロボを失って以降、小さな埃が目立つようになっていた。
「だって……俺たちはもう、二度と優希に会えないかもしれない……っ」
弟は、少し声を荒げた。
頬に血色が宿り、じょじょに感情が昂ぶっていくのがわかる。
もともと燻っていた火種が、ふいに爆発した。そんな感じだ。
「あんたは結局、おれたちを騙したんだぜ。甘い餌で釣ったあげく、自分のエゴを押しつけた」
「………………うむ」
「特に綴里は、一生あんたを恨んでる。……もう二度と、チームを組むことはないだろうな」
「…………うむ」
「なあ、兄貴。――あんたはなんで、そうなんだ? 賢い自分を鼻にかけて、俺たちのこと、ただのバカだと思ってるのか? だから俺たちに相談もしないで、色んなことを勝手に……一人で決めちまうのか?」
「…………そんなことはない」
「だったら、どうして……――どうしてあの件、おれたちの説明してくれなかったんだよ」
「それは……」
そうしてしばらく押し黙り……唇をへの字にして、こう応えた。
「僕には、お前たちの説得ができないと思ったからだ」
「説得って……」
「ああ。――だが、その必要もない仲間が、一人だけいた。僕の話を、無条件に受け入れてくれる仲間が……」
「……………………。それが……」
「そうだ。神園優希だった」
「だからあいつは、行っちまったわけか。おれたちに、なんの相談もせずに」
「…………そうだ」
話しながら僕は、内心こう思っている。
――ようやく、弟とこの話が出来る。
ずっと逃げ続けていたことと、向き合える。
「そもそも。――僕の考えた“世界の救い方”には……いくつかの問題がある……いや、あった」
問題解決には、仲間の犠牲が必要だった。
そうして……その役目は結局、神園優希が務めた。
故にいま。
神園優希は、ここにいない。
本来それは、僕がやるべきだった、が。
僕は、この家を出るわけにはいかない。家の外に一歩でも足を踏み出したが最後、頭が爆発して死ぬことになっているためだ。
「優希は結局、納得してくれた」
「そりゃまあ、そうだろう。あの娘は、あんたに惚れてたからな」
「…………」
それに関しては、勘違いがあるようだが。
「あんたは、優希の想いを利用したんだ。それで、一番の厄介ごとを、彼女に押しつけた」
だがまあ、そういう側面が、皆無だった訳ではない。
僕は、この世界を救うために、ありとあらゆることをするつもりだった。
そして、その最適解が――。
――神園優希の、異世界転移。
という判断だった訳だ。
だが、今になって思うと、その判断は正直、間違っていたかもしれない。
僕の独断は結局、綴里と亮平の逆鱗に触れて、ネイムレスの不和を招く結果となった。
少しずつ時間をかけて、関係の修復を図ろうとはしているが……困ったことに僕は、その手の行為が得意ではない。
人は往々にして、不条理な考え方をするものだ。
論理的思考は決して、万能の武器ではない。
「それで。――一つ、いいか」
「なんだ」
「あれから、優希と連絡は取れたのか」
「いや」
この期に及んで、僕は嘘を吐く。
実を言うと僕は、アリスからいくつか事情説明を受けている。
だが、それについて語るのは、もう少しあとの方がいい。
「優希は、……無事、なんだよな?」
「わからん」
下手な期待を持たせても、かえって不安を煽るだけだ。
神園優希の冒険は――いずれ、語るべき時がくるだろう。
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そうして、気まずい雰囲気のまま、亮平の仕事を見守って。
「……ひとつ、いいか」
別れ際、僕は亮平に声をかける。
「――なんだ」
「神園優希から……一つだけ、伝言がある」
「えっ」
「『俺は必ず、帰ってくる。だからその時、笑って出迎えてくれ』って」
「…………………………」
「僕たちの世界は。――それまでずっと、僕たちが考えているようなものじゃなかった。神園優希は恐らく、僕たちの知らない情報を、山ほど持ち帰ってきてくれる」
「……………………」
「その時、僕たちは、彼女にとっての帰る場所でなくちゃいけない」
亮平はしばし、やるせない表情でうつむく。
「――勝手だよ。兄貴も。優希も」
「ああ。すまん」
僕はただ、頭を下げることしかできない。
「次にくるときは、綴里も連れてきてくれ」
「んー。……無理だと思う」
「それでも、頼む」
「………………。わかったよ」
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そうして、弟を見送って。
“魔女”アリスの来訪は、それから間もなくのことであった。




