その272 出会いのイベント
さて。
悪者(仮)を無力化した私は、ゴールデンドラゴンの頭をぽんぽんと撫でてやったあと、彼を“テラリウム”に戻します。
そして、
「はろーはろー。おきてー」
気を失った一人の肩を、ゆさゆさ。
「く…………」
彼、満足に動かない身体で、ゆっくりと手を伸ばして、
「な…………な…………な……っ」
息も絶え絶えに、口を開き……。
「――なあ、お嬢さん。俺たちとさぁ、スケベなことしようや」
先ほども聞いた台詞を、リピート再生。
「………………。正気を取り戻して」
「ぐひひひひ」
一応の説得は、どうやら無駄みたい。
彼は、ゆっくりと振り上げた手を、よろよろと振り回します。
まるで、子供が駄々をこねてるみたいに。
煤と埃で黒くなった顔を上げ……手と足をじたばた。
どうやら彼、この期に及んでなお、攻撃しているつもりみたい。
ゲームに登場する雑魚敵が、パラメータ的には瀕死であるにも関わらず、無限に敵意を向けてくるようなことがあります。
彼の姿はちょうど、それみたいでした。
こりゃ、ダメみたいですねぇ……。
「うーむ。厄介な」
私それを、じーっと観察して。
「やっぱ、この“イベント”を終わらせるしかないのかな」
「――…………」
スズネさんは、私の独り言になんの反応も示しさず、
「まあ、ええわ。――とにかくいまは“楼主”様の元へ」
「ですね」
「“楼主”様はたしか、この辺りをずーっとうろついてるはず。そのうち会えると思うんやけど」
「………………あっ。でも」
「?」
「ひょっとすると、こっちから会いに行く必要ないかも」
「どういうこと」
「イベントの流れだと、このあとすぐ……」
と、その時でした。
「――そこまでだっ!」
という台詞と共に、私の頬を猛烈な熱気が掠めたのは。
オレンジ色の輝きが閃き――じたばたしていた彼の顔面が、ぱっと燃え上がります。
「えっ?」
彼の顔面が醜く焼けただれ、炭化。
目の前の浮浪者は、瞬く間に死んでしまいました。
「うわわっ」
驚いていると、続けざまに《火系魔法》が繰り出されます。
どう、どう、どうと、火焔の舌が暴漢たちを舐めとり、その命を奪い去っていきました。
既に無力化されていた彼らは、気の毒なくらい無力にトドメを刺されていきます。
振り向いて見ると……そこにいたのは、“楼主”さん。
彼は、『ピンチに駆けつけたヒーロー』然とした雰囲気を纏いながら、続く《火系魔法》を詠唱します。
「ちょっと! “楼主”様!?」
スズネさんが、悲鳴を上げました。
実際、“敵”がもう、身動きできないことは明白で。
“楼主”さんにだってそれくらい、わかっているはずなのに……。
「喰らえ、悪党めっ」
最後の一人……気を失い、地面に倒れていた男に向けて、《火系魔法》が直撃します。
哀れ暴漢は、断末魔を上げることもなく即死。
「………………――」
この光景には、さすがの私も閉口して。
「危ないところだったね。怪我はないかい」
そう言いながら声をかける“楼主”さんに、ひどく不気味なものを感じています。
「今どきもう、あんたみたいな美人が自由に出歩いて良い時代じゃない。うちにきな」
そう言って彼は、紳士的に私の肩に手を置きました。
「“楼主”さん……」
「どうした? 急いだ方がいいよ」
「ええと、一応確認しておきます。――いまあなた、私と会話することができますか?」
「“ゾンビ”が現れてからこっち、人の心は荒れるばっかりだから」
「あのぉ…………」
「でも、うちの見世なら大丈夫。『魔性乃家』っていうんだけどね」
「『魔性乃家』…………」
「聞いたことがないかい? この辺りで、唯一開いてるファッション・ヘルスなんだが」
「知ってます。……っていうか私、しょっちゅう出入りしてるじゃないですか」
「……まあまあ。そんな、不安そうな顔、するなよ。こっちだって別に、獲って食おうってわけじゃないんだからサ」
ああ、やっぱり。
会話が噛み合わない。
「“楼主”様…………」
スズネさんが、複雑な表情で“楼主”さんを見つめています。
無理もありません。
“楼主”さんの安否は、“奴隷”である彼女たちにとって命に関わることなんですから。
私、彼女の目を見て、
「事情は、わかりました。この症状は知っています。きっと、治すことができる」
「…………本当?」
こくんと肯き、彼女を勇気づけて。
「しばらく、彼の茶番に付き合いましょう。その後、正気を取り戻したら……彼をうちで預かります」
「……留守は、長くなるかな」
「わかりません。一ヶ月はかからないかと思いますが」
“奴隷使い”ナシにここの縄張りを護り続けるのは、厳しいかもしれません。
「場合によっては、“サンクチュアリ”から増援を頼んだ方がいいかもしれない」
「…………口でそう言うんは簡単やけどね。今の情勢でそれは……そのまんま、連中の傘下に入るようなもんやし」
そっか。
「とにかく私は、仲間と相談する。あんたはとにかく、“楼主”様の回復に集中して」
「了解。――それと」
私は、足下に転がる、炭化した死体を観て。
「彼らの埋葬、お願いします。たぶんこの人たち、何の罪もない一般人でしょうから」
そういうと一瞬、スズネさんは眉をしかめます。
彼女が、この状況をどこまで呑み込めているかはわかりませんが……。
「………………。せやね。すぐ、手配する」
ただなんとなく、異常な出来事が起こっていることは、察しているみたいでした。




