その270 出会いのイベント
ここは、“君”の故郷と似て非なる世界。
“君”は、『とある理由』によりこの世界に転移してきた女の子だ。
“終末因子”である“君”の、目的は一つ。
――この世界に、安楽なる死をもたらすこと。
終焉をもたらし、黄昏の見届け人となること。
倫理の境界で、悩むことはない。
いま“君”のいる世界はどうせ、滅びゆく運命だ。
病床に伏す不治の病人には、安息を与えなければならない。
終末のラッパは、すでに吹かれた。
“君”の仕事は、神の御意志なのだ――。
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さて。
“君”がいま、東京駅周辺に足を伸ばしているのなら、とある情報を聞きつけたためかもしれない。
――この終末世界において、未だ経営を続けている風俗店が存在している。
その名も、『魔性乃家』。
“楼主”と呼ばれるプレイヤーによって経営されているその見世には、後ろ暗い噂も多い。
曰く“楼主”は、暴力的な独裁体制を敷いている、とか。
曰く“楼主”は、プレイヤーの力を悪用している、とか。
曰く“楼主”は、美女の避難民を見つけては、無理矢理娼婦にしている、とか。
噂を聞いた“君”の心には、義憤に近い感情が渦巻いているだろう。
“君”は、世界に終焉をもたらすものだ。
しかし同時に、悪を憎む気持ちも持ち合わせている。
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“楼主”との『出会いイベント』の発生フラグは、三つ。
①チュートリアル・イベントが終了している。
②レア度SSR以上のモンスターを、一匹以上仲間にしている。
③都内に存在するいずれかの“プレイヤー”から、『魔性乃家』に関する情報を聞いている。
以上の条件を満たした状態で、君が『魔性乃家』付近を歩いていると……とある暴漢に襲われるイベントが発生。
敵は、複数人の暴漢で、大した脅威ではない。
手持ちのSSRモンスターを繰り出せば、苦戦する相手ではないだろう。
“君”が暴漢と戦っていると……ふいに、とある男の助太刀が入る。
金髪碧眼の、中性的な麗人だ。
“楼主”と名乗った麗人は、《火系魔法》で悪党を打ち払ったのち、君に救いの手を差し伸べる。
「今どきもう、あんたみたいな美人が出歩いて良い時代じゃない。うちにきな」
言われるがまま、彼に導かれたその場所こそが、『魔性乃家』。
“楼主”は、噂に聞いていた“奴隷使い”であった。
そこで君には、二つの選択肢が与えられる。
一つ。
“楼主”を敵と見做して、彼の暗殺を決意する。
二つ。
“楼主”に利用価値があると見做して、彼との協力を決意する。
いずれにせよ、その後の展開に大きな違いはない。
彼を殺すことはできず、“楼主”と“君”はやがて、協力関係となるだろう。
これには、メタ的な理由がある。
彼には『J,K,Project』において、ゲーム的な役割が与えられているためだ。
“君”はこれから、手に入れたアイテムを売却することができるようになる。
その、『売却相手』こそが、“楼主”なのだ。
彼は、“君”が利用するに足る、価値あるNPCとなるだろう……。
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……と。
メモの内容は、以上となります。
一年以上前、ここを通りかかったときはなんとも思いませんでしたが……今思えば私、あの時はイベントの発生フラグを満たしていなかったのかも。
そうなったらそうなったで、“楼主”さんを利用する機会が失われていたかもしれないわけで……むしろ、運が良かったのかも。
なお、イベントのシナリオそのものは、それほど特筆すべき内容ではありません。この手のソーシャルゲームにありがちな、「カッコいいキャラがカッコ良く登場する」タイプのものです。
ただ一点、このシナリオの特徴を描くとするならば――「悪者かと思った人が、善人だった」という意外な展開があるという点。
実際、“楼主”さんは、悪人ではありません。
彼の悪い噂は、外から際限なくやってくる悪人を避けるため、わざと流したものだったみたい。
ここで働く娼婦の皆様も、納得して働いていると聞きます。
故に『魔性乃家』は、未だ顧客満足度の高いサービスを提供できているのでしょう。
なんだかんだで、人は欲望に素直な生き物。
この手のサービスの需要は、狂気に染まったこの世界においても依然として在り続けるのです。
だからこの縄張りは、“サンクチュアリ”とも“ランダム・エフェクト”とも決定的な対立をせずに存在し続けることができた。
「ねえ、スズネさん」
「何」
「“楼主”さんが、……どういう風におかしいのか、具体的に教えていただけること、できます?」
「具体的に、っていうと?」
「しゃべり方とか、仕草とか……そういうのです」
「そうやね。――ぶっちゃけ、ぱっと見ではわからん」
「ふむ」
「けど、……うーん。なんちゅーかね。微妙に口調が違ってるというか……ちょっとだけズレてるというか……実際、親しい人やないとわからんレベルの異常なんよ。きっとあんたも、会えばわかる」
なんとなく、彼女の言いたいことがわかってきました。
この手の作品って、初期と後期で、微妙にキャラが違ったりします。
スズネさんの抱えている違和感って要するに、そういうことなのかも。
そうして私たち、人気の少ない廃墟へと辿り着きます。
かつて数多の避難民で賑わっていたであろうその区域には、今や人気はなく。
放置されたままのテントやら食べ物の包装紙、タバコの吸い殻なんかが散らばっていて、ずいぶんとうら寂しい空間でした。
周囲を眺めつつ……私、頭の隅っこでこう思ってます。
――この風景、見覚えがあるな。
たしか、ゲームの戦闘背景に使われているとこだ。
あまり印象的な空間ではありませんが……、戦闘シーンでよく使われているから、記憶に残っているのかも。
「それで……」
私が口を開いた、その時です。
「ちょっとまって。話の途中だけど……」
暗がりから、六人ほどの男性が、わらわらと現れました。
その手には、ナイフやら角材やら。
まあ少なくとも、「仲良くしようよ」って雰囲気ではありませんね。
「なんか、変な奴らが来てるね」
「あらら? お知り合い?」
「知らんな。少なくとも、客じゃないし」
「へえ」
「……珍しいな。このあたりはもう、あの手の暴漢は見かけなかったんだけれど……」
「『あの手の暴漢』というと?」
「身の程知らずだよ」
ああ……まあ。確かに。
私たちって、いかにも“プレイヤー”っぽい二人組ですからねぇ。
「おいおい、ねーちゃん! かわいいねえ! ちょっと俺たちと、遊んでいかねえか?」
連中は、思わず笑ってしまうほどステレオタイプな台詞を吐いて、ふらふらと歩み寄ります。
「んー?」
そこで私、少し眉をしかめました。
この人たち……なーんか、目の焦点、合ってなくない?
みんな、ビー玉みたいな目をしているというか……。




