その266 リフレイン
『こっちに生存者がいるぞ。だれか手を貸してくれ……!』
声に呼ばれ、理津子さんとともにそちらへ向かうと……。
『――あ、ぐ。あぐ、あぐ、あぐっ』
そこには、一人の少女がいた。
彼女の顔には、見覚えがある。というかさっき会ったばかりだ。
水谷瑠依。
東京駅に紛れていた、小さな女の子。
ゾンビの噛み跡のあった娘だ。
彼女はいま、海老反りになって床に倒れており、びくんびくんを身体を揺らしていた。
「これは…………?」
彼女の様子に、僕はすぐさま、状況を理解する。
“終末”以降、山ほど見させられてきた状況。
『あっ、あっ、あっ。ぐ、ぐぐぐぐ……』
“ゾンビ”化だ。
――助けないと。
そう思う一方、こうも思った。
――彼女、今になってゾンビに……?
以前見かけた噛み傷的に、“ゾンビ”化はもう間もなくだと思っていたのだが……。
――ナナミさんと戦っている間も、彼女ずっと“ゾンビ”にならずにいたのか?
だとすると、それは何故?
『おい、おい、おい。まずいな。――“どくけし”の予備は?』
彼女を取り囲むのは、十代後半と思われる、数人の青年たち。
“不死隊”の面々だ。
『多くないな。道中で使っちまっただろ』
『…………そっか。んじゃ、これから大人のゾンビ予備軍と出くわすことを考えると……』
『さすがに、温存した方がいいかも』
『ってことは……』
『しゃーない。可哀想だが、「大丈夫だ、ドラゴンボールで生き返れる」するか』
『そうね』
皮肉っぽく、その中の一人が頷く。
そして、その一人が……そっとサバイバルナイフを取り出した。
『せめて、苦しまないように死なせよう』
『ええ』
どうやら、話がついたらしい。
――くそっ。
僕は内心、忸怩たる想いだ。
今の僕は、“どくけし”を手に入れる方法を知っている。
最歩を連れていれば、彼女を苦しませることもなかったのに。
『よしよし。怖くないからな』
“不死隊”の一人が、優しげな表情で幼女の頭部を抑える。
それは、酷く残酷な絵面だが……昨今では日常茶飯事でもあった。
『あっ、あっ、ぐぐぐぐぐぐ……が…………あ……』
『暴れない、暴れない……』
そして、彼女の頭頂部に、ナイフを差し込み……かけて。
その時だった。
『あの御方が…………!』
突如として童女が、はっきりと口を開いた。
その様子に一同、息を呑む。
それはどこか、『エクソシスト』で少女が悪魔に取り憑かれるシーンを彷彿とさせた。
『あの御方が…………!』
彼女の声はどこか、子供離れした雰囲気を纏っている。
『私が、私が、私が、わたしが、わたしがわたしがわたしが……俺が……ッ』
何か、異様な出来事がおこった。そんな感じだ。
『俺が……ッ。死ぬ!』
そう呟き。
それきり少女は、突如として無垢な寝顔となり、力なくその場に、ぱたりと倒れる。
――死んだ。
その場にいる誰もが、そう思った。
だが、
「………………ん?」
客観的にその状況を観察していた僕だけが、奇妙なものを観る。
どろり、と。
彼女の傷口から、ドス黒い液体が流れ出たのだ。
それは、コールタールを思わせる粘性をもった何かで……ぐにゃりと蠢いている。
――これは……?
どろどろのそれに……僕は見覚えがあることに気づく。
“サンクチュアリ”で活動している時、一度だけ観察したことのある。
“王”の使役する、“スライム”と呼ばれる生物だ。
色とサイズは違うが……そいつはどことなく、“スライム”に似ている。
気のせいかもしれないが……。
『ぐ、ぎぎぎぎぎぎぎぎぎ……』
ドス黒い“スライム”は、太陽に蒸発するアルコールのように白煙を出し……そして、消失していく。
……………………と。
その時。
その、瞬間だった。
僕の脳内……というより、この世界中に存在する“プレイヤー”全員の脳内に、アリスの言葉が響き渡ったのは。
その声は我々に、こう語りかけた。
――”魔王”が死亡しました。
――”魔王”が死亡しました。
――”魔王”が死亡しました。
と。
大切なことなので三回言いました、とばかりに。
▼
――現時刻をもって、フェイズ3を中断。
――以降、フェイズ4開始までの期間を”安息期”とします……。
――”安息期”は、人類の休息期間です。
――これに伴い、プレイヤーのステータス値が変動します。
――カルマ”善”のプレイヤー:あらゆるステータス値が強化されます。
――カルマ”中立”のプレイヤー:ステータス値の変更なし。
――カルマ”悪”のプレイヤー:あらゆるステータス値が弱体化します。
――”強奪”に関するルールが変更されます。
――カルマ”善”のプレイヤーがカルマ”悪”のプレイヤーを殺した場合、追加でスキルを獲得できるようになりました。
――カルマ”悪”のプレイヤーがカルマ”善”のプレイヤーを殺した場合、スキルの強奪が不可能になりました。(経験点は引き続き取得可能です)
――フェイズの中断により、”敵性生命体”の習性が変異します。
――”ゾンビ”の運動能力、人類を感知する能力が減少します。
――これまで活性化していた一部の”敵性生命体”が不活性に戻ります。
――”魔王”討伐により、実績報酬システムは凍結されます。
――すでに取得済みの実績を除き、新たな実績の解除が不可能になります。
――実績報酬に代わる追加要素として”クエストボード”が追加されました。
――詳細は、各地に配置される”クエストボード”にてご参照下さい。
――プレイヤー専用の特殊武装が解禁されます。
――フェイズ3中断により、全ての上級職が解禁されます。
――フェイズ3中断により、以下のスキルが解禁されます。
――《交渉》系スキル
――全てのユニークスキル
――全てのジョブスキル
――フェイズ3中断により、特殊な条件を満たすことで習得可能なスキルを追加しました。
――フェイズ3中断により、フェイズ3で提示された未達成のクエストは強制終了します。
――クエスト未達成によるデメリットは無視されますが、クエスト達成ボーナスも得られません。
▼
「…………………………」
僕はただ、黙ってその情報を聞いていた。
けれどその内容はどこか、右耳から左耳に素通りしていくようで。
――人生とはいつも、ままならない。
世界を動かすような決定的な出来事は、昼寝している間に起こってしまう。
僕は、……この物語の主人公ではない、から。
だからこうして、物語のネタバレを喰らったみたいな気持ちで、ただ一人佇んでいるしかないのだ。
ふと、“不死隊”の一人が、こう呟く。
『“終わらせるもの”だ。彼女がきっと、……やったんだ。やり遂げた』
『そうだ……』
『――ハクさん』
『すごい……』
『人類の……“プレイヤー”の、勝利だ……ッ』
歓喜の雄叫びが響き渡ったのはそれから、数秒後のことである。




