その259 もうひとり
――バグ、か。
その言葉には一応、心当たりがある。
それは、一年以上前のこと。
“プレイヤー”となり、アリスが僕の部屋に出入りするようになって。
――やっぱほら、過去改変って、めちゃくちゃコスパ悪いのな。その結果、訳の分からんあの、デブ”飢人”みたいなバグも生まれちゃって……。
とある敵との戦いで、アリスがそう漏らしていた。
それ自体は、なんてことのない言葉だ。
会話の流れの中で産まれた、ちょっとした妄言のようにも思える。
だが僕は……少し、喉に引っかかるものを感じていた。
――アリスにとってこの世界は、ある種のパソコンゲーム的な何かなのかもしれない。
シミュレーション仮説、という話を聞いたことがある。
この世界の正体は……仮想現実だったー、とか。
SFもののコンテンツとしては、わりと取り上げられがちなテーマだ。
手軽に意外性をもたらすことができるし、大抵の設定とかみ合わせが良いためである。
「………………」
僕はしばらく、渋い表情をした後、
「でも、そう簡単に受け入れられるものじゃないよな」
と、独り言。
自分たちの世界が、そういうふうにできているとは思いたくない。
ボタンひとつで消滅するような、不確かな世界だとは思いたくない。
“獄卒”はその後、たっぷりと『ゲームの台詞』を朗読したのち……やがて、こう言った。
『では、私はこれから、仕事に戻る。――さらばだ』
……と。
そして。
しばらく彼は、焦点の合わない目で虚空を眺めたのち……、
『…………あ、ぐ……』
突如として口から、泡を吹きはじめた。
『――うわっ』
『“獄卒”さん!?』
ナナミさんと最歩が声を上げ、倒れる彼を支える。
『……死んだ?』
『縁起でもないこと、言わないでください。生きてます』
『なんだろ。――いま一瞬だけ、正気っぽい顔になった気がするけど』
『目を覚ました時、元に戻っていることを願いましょう』
そうして彼を、近場のソファに寝かせて。
しばしの、待ち時間。
殺し合いを演じた少女たちが、気まずくテーブルにつく。
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それから、十数分ほど。
状況は、少しだけ整理されている。
まず、ゴーキ。
彼女には聞きたいことが山ほどあったが――なぜか、逃げるように姿を消してしまった。
早矢香さん、杏奈さんは、部屋の隅っこで魔力の補給中。
二人とも、明らかに気力を使い果たしていて……戦士として再び起つまで、しばらく時間がかかるだろう。
結局、駅員用のオフィスに残されたのは……、
『はい。お茶。未開封のペットボトルだから、毒は入ってないよ』
『ん。ありがとうございます』
『ゾンビは……なにも飲まないか』
リラックスモードの、最歩とナナミさん。
そして、気を失っている“獄卒”の三人だ。
ナナミさんは、応接用のソファにどかっと座り、
『しっかし……。どうしたもんかね。この始末』
『どうもこうも。死んだ人は戻りませんし』
『戻る命も、ある。“サンクチュアリ”の力を借りれば……』
『“魂修復機”ですか?』
『ああ』
『でもあれ、若い命にしか使えないんでしょう』
『それでも、何も残らないよりマシだ』
そうしてナナミさんは、安堵混じりにこう呟く。
『一時は、奴らと戦争する可能性もあったけれど。もう、うちらに戦う力はない。これで実質、都内にいる有力なプレイヤー集団は、“サンクチュアリ”だけになったな』
『…………』
その口ぶりから察するに、どうも彼女、『そうなる』ことを望んでいたフシがある。
案外彼女、裏で“終わらせるもの”と繋がっていたのかも知れない。
『ねえ、最歩。あんたはいったい、何を知っている? あんたまさか、アリスから何か、聞かされてるわけ?』
最歩は、視線を落として、こう応えた。
『まあ、そんなとこです』
『そっか。……それでいろいろ、詳しいわけ?』
『ええ』
『ねえ、一つ、聞いても良い?』
『なんです』
『あんた、“魔王”の関係者だったり、する?』
『………………。どうして、そんなことを聞くんです?』
そこでナナミさん、ソファで眠っている“獄卒”を眺めて、
『知っての通り月原は……ずーっとうわごとを言ってたんだけどさ。いま思えばこいつ、いろんなことを話してた気がする。……たぶんその、『JKP』の台詞なんだろうけど』
『ふむ』
『あんたのいうゲームが、どれくらい関係があるのかはわからない。けどこいつ、こんなことを言っていたんだ。「魔王は、我々のすぐそばにいる」って』
『……へえ。それ、まじ?』
『それで、聞きたいんだけど。『JKP』において“魔王”って、どういうポジションのキャラクターなの?』
最歩は、真っ直ぐな目で、こう応えた。
『主人公の別名です』
『…………へえ』
『ソーシャルゲームの多くは、主人公名を自由に入力することができますの。けれど、その名前の全てを、声優さんに呼んで貰うことはできません。――だからゲーム内において主人公は、「おまえ」とか「きみ」とか、……「“魔王”」と呼ばれるのです』
『……………………ふむ』
キャラ名を決められるタイプのゲームあるあるだな。
ナナミさんは、しばし目を伏せた後、
『ちょっと、整理してもいい?』
『どうぞ』
『“獄卒”や“偽勇者”、“堕天使”は、『JKP』というゲームのキャラクターだった。彼らは、普段は普通の人間のように見えるけど、何らかの“バグ”が影響して、その行動がおかしくなった』
『はい』
『奴らは、『JKP』の“主人公”キャラを、あんただと認識している』
『そうですね』
『それは、あんたの固有スキルってこと?』
『まあ、そんなところですね。――私、“魔女の落胤”ですもので』
最歩は、“魔女の落胤”という言葉を妙に強調している。
『……それでその、『JKP』の“主人公”キャラは、“魔王”と呼ばれている』
『はい』
『その……“魔王”って名前は通名で、あんたのジョブってわけじゃない』
『まあ、そうなりますわね』
『なるほど。だからか』
『……?』
『あたしも、おかしいと思ってたんだよ。――“魔王”が、二人いるわけないって』
『???』
そこでナナミさんは、ひょいっと気安く、最歩の隣に座った。
『あたしてっきりさ。あんたのこと、“人類の敵”の方の“魔王”なんじゃないかなって思ってた』
『…………?』
『でも、そんなはずないんだよねぇ。あんたが“魔王”なら、事前情報と食い違ってるし』
『じぜん、じょーほー?』
『聞いたことない? 実はもう、“魔王”の居場所は割れてるって話だよ』
それに関しては、さっき工藤さんが話してくれていたな。
あれは、最歩にカマをかけるつもりの発言だったが。
『ふむ。……それで、その方の、お名前は?』
『それは、ひみつ』
『…………』
『ただ、この辺りに住んでるみたいね』
と、その時だった。
『う…………ム』
二人の会話を遮るように、男の声が。
“獄卒”が、目を覚ましたのだ。




