その257 バグ
ナナミさんから、事情説明が行われる。
とはいえ、《あそびの世界》は発動しっぱなしだ。
これは、ナナミさんなりの自衛行動だという。
最歩も豪姫も……、――まだ、彼女を殺すつもりはあるみたいだから。
僕は、ゾンビたちに“時空器”を保護させた上で、事態が落ち着くまで《あそびの世界》と《ほとんど無害》を発動させたままにする。
真逆の効果を持つ、この二つのスキルを発動させておけば、この場における、あらゆる争いごとを消滅させることができるだろう。
『まず、ケツロンからききたい。――ここにゾンビドクをばらまいたのは、だれです?』
そう訊ねると、ナナミさんは唇を真一文字に結んで、こう言った。
『それを説明する前に一つ、見せたいものがある』
そうしてナナミさんは、一行を非常階段へと導く。
ナナミさんが最初に居た場所――東京駅の屋上へ向かいたいようだ。
ぞろぞろと、一列になって先を進んでいくと、スイーツ王国の民、低糖質系おやつの民が彼女に続く。彼らは皆、穏やかな表情をしており――その姿はいまや、『世界平和』という概念を具象化したかのようだ。
『見せたいものって、ひょっとして“獄卒”さんのことですか?』
『そう』
『彼が……どうか、したんですか?』
『見た方が早い』
『………………』
首を傾げる最歩。
豪姫の方は、ずっと神妙な表情でいる。
一行が屋上に到着すると、そこには三人の男が倒れていた。
うち、二人はナナミさんの手により殺されているが、一人はまだ存命。――その、生きている彼こそが、“獄卒”くんである。
彼は、相変わらず倒れたまま、へらへらと薄笑いを浮かべていた。
――?
今更ながら、少し不信に思う。
彼の様子がおかしいのは、ナナミさんの《ローテンション》を受けたからだと思っていたが……どうも、違う気がするのだ。
僕は、落ち着いて彼の表情を観察して……。
『ええと……一応、見ましたけど。それが?』
最歩と同じ感想を抱く。
するとナナミは、彼の隣に座り込み、
『おい、――月原。起きろ』
“獄卒”を、本名で呼ぶ。
『……………………』
『お前の“魔王”さまがお出ましだよ』
その、一言がきっかけになったのだろうか。
月原と呼ばれた青年は、がばりと起き上がり、
『なんだ、お前。来たのか』
と、突如として立ちあがった。
『え? あ、はい』
『付いてこい。東京駅を案内してやろう』
『……へ?』
そういって“獄卒”が、すたすたと先を進む。
ここまで来た道を、足早に戻るような格好だ。
『いや、なんで……?』
僕も含めて、その場に居る全員が、揃って同じ表情をしている。
『何が何やらわからない』という……。
彼は構わず、以下のような話を続けた。
▼
『東京駅は、南北に細長くのびた形状をしている。出口は二ツ。東側が八重洲口で、西側が丸の内口だ』
『基本的に、多くの物資は、東側……八重洲口に集まっている。……この、土産物屋のあたりだ。ちなみにこの辺は、しっかりと“プレイヤー”が警備していて、表に出ている配給品をもらうには、ここの住民登録を行った者だけだ』
『外から来た人間が食事したいなら……ここ。東京ラーメンストリートのあたりだ。ここは今も外食屋をやってる。出てくるラーメンは、中央府から仕入れた、本物の中華麺だ。少々値が張るが、かなりうまいぞ』
「あ、そうそう。ちゃんと観光客向けのお土産も用意されてる。……昔みたいに、東京ばな奈とかはもうないが――。ほら。ゾンビおにぎりだ。全体的に緑色のやつ。味? うまくはないぞ。細かく刻んだピーマンの炊き込みご飯で、かなり苦い」
▼
など、など。
どこかで聞いたような『東京駅の案内』を、壊れたカセットテープのように話し続けているのだ。
すると、歩の顔色が徐々に蒼くなっていく。
『えっ、えっえっ。なにこれ……?』
『どうした?』
『これ…………この話。前に、獄卒さんと、デートした時の内容……』
『………………』
ナナミさんも、神妙な表情でいる。
先を進む“獄卒”は、そんな彼女たちの様子などまったく気にかけずに、廊下を歩いた。
やがて最歩は、おずおずと口を開く。
『ええと、“獄卒”さん?』
『なんだ』
『もっとこう――言いたいことがあるのでは?』
『言いたいこと?』
そして彼は、少し困ったように笑って、
『別に、何もないが』
『でも、あなた、殺されかけていたんですよ?』
『殺されかけた?』
『ええ。――すぐそこにいる、ナナミさんに。さくっと刺されかけて』
『……………………?』
“獄卒”は、じっと最歩を見つめて。
『それは、まあ。どうでもいいじゃないか。それよりもいまは、私たちプレイヤーの居住区域を案内しよう……』
そこでようやく、僕にも事情が呑み込めてきた。
――正気ではない。
理由は良くわからないが彼は、『とある行動』を行わずにはいられないようだ。
この……『東京駅を案内する』という行動を。
『月原のやつ、――おかしくなっちゃってさ。ずーっと同じ場所で立ちすくんでいて……いま、ようやく動き始めたと思ったら、やっぱりこの調子だ』
『………………』
彼の行動を見ていると、なんだか……出来の悪いロールプレイングゲームのキャラクターを思い起こす。
イベントの発生フラグがバグった結果、状況のズレた台詞を口にするキャラクター、という感じだ。
『えっえっえっえっえっえっ…………』
最歩の顔色はもはや、完全に血の気が失せている。
『ちょっとまって。――“獄卒”さん。……バグっちゃってる……?』
“バグる”とは、言い得て妙だ。
確かに、彼の挙動はどこか……バグったゲームキャラのようで。
だが最歩には何か、比喩表現を越えた――思い当たる節があるようだ。




