その255 真逆のもの
――来る。
直感的に理解する。
回避出来ない。ダメージが、来る。
異変は、右目から。
引き裂かれるような痛みが起こって……暗闇。
どう、と、血が噴き出すのを、残った左目でぼんやりと見て。
紙切れが破れるように――自身が引き裂かれていく。
傷は見る見る、自分の心臓に向かって行って…………。
そして。
▼
「――?」
発生したダメージが、ゆっくりと巻き戻っていく。
傷が、癒えていくのだ。
「…………え」
まるでジッパーを閉めるみたいに、開いた傷口が消える。
「なに、これ」
“敵”も、目を疑っているようだ。
「あれれ? どーいうこと?」
不審げに、周囲をキョロキョロと見回す。
そこではちょうど、チキンラーメンを擬人化した生き物が、トゥインキー一世と決闘を演じており――彼らもまた、この異常な状況に驚いているようだった。
観ると、早矢香と杏奈も、傷が塞がっている。
杏奈に至っては、失われていた左腕が元通り生えてきているほどだ。
――これは……。
少なくとも、害意のある行動ではなかった。
となると犯人は、ただ一人。
――ゾンビ使い。
どうも自分に、《自然治癒》が付与されているらしい。しかも、超強力なやつだ。通常、プレイヤーが覚える《自然治癒》は『大怪我しても、一晩眠れば安静化する』程度だが、いまナナミに付与されている《自然治癒》は、発生した傷がすぐさま快癒するレベルのものだ。
――これは。
そして、いま。
ナナミの心に、とある情景がちらついている。
――――――――――――――――――――――
“終末”直後。
マンション二階。ベランダに陣取って。
眼下では数百匹のゾンビが、君に向かって手を伸ばしている。
君は今、一糸まとわず、彼らを見下ろしている。
――最期のときだ。
覚悟を決めた君は、オーディエンスに向かって、こう叫んだ。
とびっきりの笑顔。
とびっきりの声。
とびっきりのファンサービス。
初配信の、あの時のように。
視聴者は多い。
彼女の配信人生においては、類を見ないほどだ。
みんな、生きた人間ではないけれど……君に注目してくれている。
君はいま、ずいぶんと久しぶりに気持ちが上向いている。
今日の演技は、いつもより気持ちが引き締まる気がしていた。
「みんな。今日も観てくれて、ありがとな」
「今日は、みんなに――食レポをお届けしようと思う」
「いま、巷で大はやりのジュースを、一杯」
「あんまり、流行り物には興味がないあたしだけれど」
「今日ばかりは、流行に乗ってみることにした」
「みんな――観ててくれ」
死人たちはただ、君に手を伸ばす。
君はその、虚ろな目をじっと見返して。
――ごめんな、灰里。
――できれば最期に、もう一度だけ会いたかったけれど……。
そう、心の中で思って。
君は、コップの中にあるドス黒いものを。
死人の血を、呷った。
――――――――――――――――――――――
君は、出来損ないだ。
君の血族はみな、強い力を持つ。
にもかかわらず君は、仲間のような能力がない。
――いい? ■■■。物語というものは……。
姉のアンリは言う。
――優れた人物を登場させ。
――彼らの恐怖と哀しさを惹起し。
――カタルシスを達成するものよ。
それに対して、
――アンリ。それは違うな。
兄のアダムはこう反論する。
――この世の中は、悲劇じゃない。喜劇だ。
――物語は常に、読者への優位性をもたらすものでなければならない。
――この場合は第一に、劣った人間を描くものである。
――とはいえそれは、われわれに苦痛を与える性質の愚かしさであってはならない。
――彼らの結末は常に、ハッピーエンドでなければならない。
君は、兄姉の話に入り込めずにいる。
――ねえ、■■■。あなたはどう思う?
――『悲劇』と、『喜劇』。
――どちらがより、価値あるものなのかな。
――どちらが……世界をより良くするかしら。
より正確に言うと、彼らとの対話に、意味を見いだせずにいる。
悲劇でも、喜劇でもない。
君は世界を、ゲーム的であるべきだと定義している。
ゲームには、物語がある。
プレイヤーがいて、ゲームマスターがいて。
そして、勝者と敗者がいて。
その全てにドラマがある。
ただそこに、ルールがあれば。
ストーリーなど、必要ないではないか。
――ねえ、■■■。あなたはどう思う?
けれど君は、押し黙る。
決して想いを、口にしない。
優秀な姉と兄の、足手まといになりたくなかったから……。
――アンリ。あまり■■■を困らせるものじゃないよ。
――■■■はすこし、引っ込み思案なところがある……。
苦笑するアダム。
君は、愛すべき家族の期待に応えられず、惨めな気持ちになっている。
その気持ちが殺意へ変わるのは、それからもう、間もなくのことだった。
――――――――――――――――――――――
“プレイヤー”として生きていると、この手の『情報』には慣れっこだ。
だが、いま経験したそれは、アリスがもたらすそれとは根本から違っている。
「これ、は……?」
与えられたのは、情報、だけではない。
『感情』も、一緒に。
とある日の、夢の中の出来事のように。
――死を覚悟した、とある少女の想い。
――期待に応えられずにいる、とある少女の寂しさ。
それらの感情が、ナナミの頭に流れ込んできた。
幻覚だろうか? いや、そうは思えない。
頭に浮かんだのは、いま目の前に居る、二人の過去。
彼女たちの……トラウマに起因する、何かだ。
「……………………」
「……………………」
恐らく同じことが、敵である二人にも起こっている。
なんだか、こちらを見つめる目つきが、変わっている気がした。
いま、起こっていることの詳細はわからない。
ただ根津ナナミは、直感的に理解している。
――このスキル。
《あそびの世界》と真逆の効果だ。
ナナミの『現実改変』は、“共感”を武器とする。
だが、この『現実改変』は、“共感”により傷を癒やすのだろう。
共感の対象は――恐らく、敵。
感情移入により、プレイヤー同士の戦闘を、強制的に千日手とするスキル。
――なんてこと。
こんなものを、事前に用意できたとは思えない。
ゾンビ使いはたぶん……いま、この瞬間。
新しくスキルを、創り出したのだ。
“プレイヤー”にとってそれが、どれほどリスクの高い行動か、わからない訳でもあるまいに。
スキルの作成は、取り返しが付かない。
本来、推敲に推敲を重ねてやるべきものだ。
その理由はただ、一つしか考えられない。
――あたしを、救うためか。
根津ナナミはいつしか、戦意を喪失している自分に気づく。




