その22 女
『わあああああああああああああああああああああああああッ』
悲鳴の合唱を聴きながら、豪姫はショベルを振った。
絵の具で一筆入れたように、ぴっとアスファルトの上に血痕が飛ぶ。
『や、殺りやがった……!』
『このガキ、……化け物め!』
正解。
少女は、それに応えるように低く、うなり声を上げる。
僕は内心、「良い練習台になった」と思っていた。
リーダー格の鈴木とやらは、深く傷ついた肩を押さえつつ、半泣きになって、
『すんません、ほんとすんません、勘弁して下さい……許して下さい……』
そのセリフ、――さっきまで彼らが言われる方だったろうに。
肺の中にある、熱い空気を吐き出す。
それでも、なりふり構わず掛かってこられたら、まだこちらに勝ち目はなかった。が……考えてみれば連中は、”ゾンビ”とは違うのだ。痛い想いはしたくない。
向こうにはもはや、ほんの一欠片も戦う気がないらしい。最後に一人、派手に頭をかち割って見せたのが良い薬になっている。一罰百戒というやつだ。
僕は油断なく、敵全員を一望できる位置にまで後退し、これ以上、攻撃の意志がないことを示した。
すると連中は、負傷した仲間と死骸を抱え、ほうほうの体で走り去っていく。
『は、ははは……やったな、兄貴。……兄貴?』
弟が、怪物を見るような目でこちらを覗き込む。
安心させるため、僕はマウスを縦に振って頷いた。
『でも……、でもさ、あそこまでやることなかったんじゃ。最初の一人で、十分……』
『…………ぐるるるるる…………』
僕が答える代わりに、豪姫が殺意に満ちた声を上げる。
亮平はそれだけで、ぱっと顔を背けた。
『ああ、そうだった。そっちは話せないんだったな。忘れてたよ』
それはどこか、自分に言い聞かせているようだった。
『ま……まあ、皆殺しにされないだけ、連中もツイてた。よ、な?』
僕はPCからいったん視線を逸らして、天を仰ぐ。
――どうも、弟は気付いてないらしい。
だがそれを、わざわざ説明しなくて済むことには助かっている。
豪姫の持っていたショベルは、”ゾンビ”の血が付着したものを使っていた。
最初の一人を刺した時点で、もはや取り返しがつかないことになっていたのである。
高確率で感染した者、四名。
足を負傷した者、二名。
僕は連中は、誰一人として助からないと思う。
それに結果として一つ、貴重な知見を得られた。
どうやら”ゾンビ”を殺すより、――人間を殺した方が、よほど経験値を得る効率がいいらしい、と。
▼
暴漢が去り。一段落して。
ふと、三人の女性がステンレス製のシャッターごしにこちらを覗き込んでいることに気付く。
彼女たちの表情は様々だ。
訝しげだったり、挑むようだったり、怯えているようだったり。
いずれにしろ全員、年若い。化粧に慣れている雰囲気があるから、たぶん僕と近い年齢――大学生くらいだろう。そういえば、この近所には芸術系の大学があるんだったな、と思い出す。確か壱本芸大学とか言ったか。
『……あの。助けてくれた、んだよ、な?』
最初に口を開いたのは、三人の中で最も背の高い女性だった。
彼女は、どちらかというと豪姫に向かって話しかけていたようだったが、応えたのは亮平である。この男、早くも鼻の下を伸ばし始めていた。無理もない、彼女らはそれぞれ雰囲気が異なるが、いずれも美人揃いだ。
あの男たちが力尽くで手に入れようとしたのも頷ける。
『ええと。……そっす。ご迷惑でしたか?』
『迷惑だなんて。そんなことない』
男っぽい口調で話すその女性は、少し視線を泳がせて、
『……そこの彼女、すごいんだな』
『ええ。まあ。ちょっとイカレ気味ですが、世の中がこんな風になってからは、助かってます』
豪姫の設定については、事前に打ち合わせしている。
生まれついての怪力娘(ちょっぴりお馬鹿)だと。
『君たちは、これからどこに行くつもりだ?』
『すぐそばのホームセンターへ』
『……ん。なんで?』
『武器が……”ゾンビ”と戦うための武器が必要でして』
『戦う?』
彼女は、そんなこと思いつきもしなかった、とばかりに目を丸くして、
『そんなの、自衛隊とか、そういう人に任せた方がいいんじゃ……』
『そういう訳にはいきませんよ。ある程度は自力で戦えるようにならないと。それに今後は、さっきみたいな連中と、物資の奪い合いにもなるでしょうし』
『そうか。そう、だな』
そこで亮平は、――『連中と違ってがっついてませんよ』という雰囲気を出しながら、こう言う。
『もしよろしければ、一緒に来ますか?』
『一緒に?』
『ええ。あんまり長くここにいると、さっきの奴らが戻ってくるかも知れないし。……もちろん、無理にとは言いませんけど』
長身の女性が、二人の仲間に目配せする。
『そうね。わかった。あなたについてくわ』
『良かった! ――正直、放っておけないと思ってたところなんすよ。はっはっは』
亮平の空笑いが、見ていて痛々しい。
『おれ、先光亮平って言います。こっちの女の子はカリバちゃん』
『ああ。――私は空良美春』
そして、後ろにいる二人が、順番に口を開く。
『あ、あたし、不忍かさねって……いいますぅ』
『私は宝浄寺早苗だよ。よろしくね』
『よろしく、よろしく』と順番に手を握っていく弟を見ながら、僕はPC前で、皮肉な笑みを浮かべている。
――男を殺して、女を得る、か。
終末らしくなってきたじゃないか。どうにも。