その237 彼女の世界
「――…………なんだ、これは?」
事態の異常性には気づいている。
故に、手を出せない。
下手に攻撃すると、何かのしっぺ返しがくる。
そう思えたためだ。
『ふーん♪ ふふふふふーん♪ ……ひひっ』
ナナミさんが――五体満足でポケットをまさぐっていた。
『えーっと。どーれーがーいーいーかーなー?』
首から上を吹き飛ばされたはずなのに、当然のように無傷。
明らかに、普通の状況ではない。
――『現実改変』。
ルールの書き換え、か。
彼女の思うとおりの世界。
“遊び人”にとって、もっとも有利なルールの世界。
――もはや、物理的な攻撃は大した意味がない。だから豪姫の攻撃は、ナナミさんにダメージを与えることはできなかった。
そういう予測を立てる。
だが、……だとすると、攻撃が発動する条件がわからない。
彼女の創り出した世界では、何をすることで戦うのだろう。
ヒントは――“遊び人”の代表的なスキル。
《魅力Ⅹ》か。
「まずいな、この状況」
得体が知れない。
これから何が起こるか、見当もつかない。
一応、似たようなスキルをひとつ、知っている。
秋葉原に“王”と呼ばれるプレイヤーが存在する。
“王”には、自分の配下に“ルール”を強制する力がある。
ナナミさんが使っているのは、“王”のスキルの延長線上にあるものに違いあるまい。
――しかし……。
正直、かなりマズいことになっていた。
ナナミさんはいま……最歩の知り合い(?)を殺してしまった。
最歩はもう、彼女を赦すつもりはないだろう。
このままでは、夢星最歩とナナミさん、そのどちらかを失うことになる。
『ところで、ゴーキちゃん。ひとつ、いいかな』
と、そこでナナミさん、ポケットから何かを取りだした。
異様な感じのする動きだが……豪姫はまだ、手を出せないでいる。
嫌な予感がする。やぶ蛇を恐れている。
そんなとこだろう。僕も同感だ。
『悪魔ってさ。あらゆる遊びに精通してるって聞いたけど……それって、デマ?』
『……何?』
『だってさ。さっきのメンコ、ピンときてないみたいだったからさ』
『…………………………』
『ひひひ。だんまりか。――じゃ、これはどう? 興味ない?』
そして彼女は、……一枚の紙切れを取り出した。
『酔った手塚治虫が、とある居酒屋で描いたとされる、ウランちゃんのポルノ絵。……正真正銘の本物だよ。どう?』
『どうって?』
『だーかーらぁ。――興味、ある?』
『ないけど』
『ありゃ。そっか』
そしてナナミさんは、それをポケットにしまって……今度は、別のものを取り出す。
『じゃ、次。2010年に放映した『ハートキャッチプリキュア』に登場し、のちにBPOの苦情により存在を消された技、“おしりパンチ”が描かれた貴重なカード。なんと声優の直筆サイン入り』
『…………いや、だから』
『それなら、ポコモンカード。公式トーナメントで優勝した栄誉を称えたもので、書き下ろしのピカニャンの絵が描かれてる』
『いらん』
『あれー?』
ナナミさんは、細い目を見開いて、大袈裟に驚く。
『あんた、アニメ・コンテンツに興味ない娘?』
『………………ない』
そうだ。 昔からそうだった。
豪姫はオタク気質のところはあるが、オタクではない。
彼女の興味は、彼女独特のルールに従っていて……僕みたいな、アニメ・ゲーム一辺倒というタイプではないのだ。
『そんじゃ、ちょっとだけパンピー向けのアイテムに切り替えようかなー』
『オメー、……もう戦う気がないなら、消えろよ』
『――ひひひひ』
そして彼女、ポケットから、手のひらサイズのフィギュアを取り出す。
それは――王冠を頭に乗せた『不思議の国のアリス』人形で、ジョン・テニエルの挿画を立体化したものだ。
「こんなのはどう? 海洋堂で作られた、『不思議の国のアリス』のフィギュア。――“ゾンビ”騒ぎのお陰で生産中止になった、幻の逸品」
『……ん』
「おっ」
そこで、ナナミさんの目が、少し見開く。
『いま始めて、興味を示したね?』
『いや、あたしは別に』
『そーお? でもあたし、そーいう感覚には鋭くってさ。……ひひ。“遊び人”だから』
言いながら、彼女がしたことは……。
僕に言わせれば、『背筋が凍るほどに』、狂気的な行動であった。
ナナミさんは突如として、『不思議の国のアリス』のレアフィギュアを足下に落とし、めちゃくちゃに踏んづけまくったのだ。
それは見た感じ、ひどく滑稽で……不気味な光景だった。
まるで反抗期の子供が、だだをこねているみたいに。
――なんだ、これ?
そう思っていると……異変は、すぐに起こった。
『ぐ………………ほッ…………!』
豪姫が、突如として吐血。
『おっ。アタリか』
ニコリと笑う、ナナミさん。
「――?」
眉をひそめて、画面を注視して。
そして……“それ”は、僕にも起こった。
ぽた、ぽたたた……と。
愛用のキーボードに、どろりと鼻血が垂れていることに気づいて。
「――――!?」
嫌な予感がして、手鏡で顔を見る。
「………………なっ!?」
ただでさえ不健康そうな僕の顔面が、ひどい土気色に染まっていた。
「こ…………これは…………ッ!?」
僕が驚いている間も、状況は進行している。
『いひひひひひひ。大当たりぃ~』
『な……に…………ッ、が………………!?』
豪姫が問う。
その口元は、大量の血液で濡れていた。
『ふふふふふふ。教えてほしい?』
『……ッ』
悶絶する豪姫が、敵を睨んだ。
『ざんねんだけど、そこまでは教えてあげなぁい。……あたしね、――ひひ。解けないなぞなぞを解いている人の顔が……大好物なの』
話を聞きながら――僕は、全身を襲う強烈な痛みに悶絶している。
本体への直接攻撃は、これで二度目だ。
「………………………………くっ」
口元から溢れる血液を抑えながら、僕は奇妙なものを幻視している。
顔面。
人の顔面が、ぷかぷか宙空に浮かんで、こちらを見下ろしていた。
『やあ。こんにちは』
そいつはあろうことか……僕に向かって、口をきく。
『死にそうなところ悪いが、窓を開けてくれないか? ……この部屋は少し、息が詰まりそうでね』




