その235 魂の在処
毒煙が晴れるまでには、数十秒の時間が必要だった。
その間の僕は、奇妙な感覚に襲われている。
――助けに行くべきか?
よりにもよってそこに、迷いが生じているのだ。
実際僕は、最歩のために貴重な情報を提供している。
これは要するに、彼女の味方をするための行動で。
にもかかわらず、
――夢星最歩は、危険だ。助けるべきではない。
そう思っている。
なのにそれとは、真逆の考えも生まれていて。
――あの娘を、助けたい。
と。
「……………………ッ」
よくわからん。矛盾だ。混乱してる。考えるな。なんでもいい。
とにかく、Wキーを押せ。
そう思って、モニターを睨め付けて。
その瞬間、びゅうと、一陣の風が吹き抜けた。
積乱雲を思わせる濃煙が、ゆるりと流れていく。
やがて、視界が晴れ……そして。
「――?」
奇妙な……人影が、出現している。
単純な人型ではない。
矢印型の尻尾に、蝙蝠の羽。
小さな角が二つ。
男とも女ともわからない、不思議な肉のカタチ。
現れたそいつは……いかにもステレオタイプな“悪魔”という感じの姿だ。
瞬間、理解する。
「あれか…………ッ」
喜田孝之助さんから聞かされていた。
ゴーキ。
僕は、すかさず画面の録画モードを起動し、その姿を記録する。
そして、彼女の顔を改めて観て。
それが……かつての親友、狩場豪姫と一致していることに驚く。
思わず僕は、こう叫んでいた。
「なんてこった。……なにが、どうなってるんだ!?」
さすがにこれは、理解の範疇を超えている。
豪姫は、確かに死んでいた。その死体も見た。
――だが。
実際彼女は、あそこにいる。
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とはいえ僕には、思い当たる件が一つあった。
豪姫には――一度、《魂修復機》による蘇生を試みている。
彼女はまだ、蘇生の間に合う年齢であったためだ。
だが……その時、奇妙なことが起こった。
彼女の蘇生に、失敗したのだ。
このような出来事には前例がなく、また、《魂修復機》自体が未知の技術によって作られている以上、打つ手はなかった……のだが。
――これはつまり、そういうことなのか?
豪姫の魂はいま……あそこにある。
だから彼女には、《魂修復機》が使えなかった。
▼
「豪姫……」
部屋で、一人。
押し殺すような声で呟く。
そして彼女の名を、……キーボードに入力しようとして。
早くも、それどころではない状況となる。
『《ぐるぐる・どーん》!』
というかけ声と共に、豪姫が雷撃を招来したのだ。
天から――雷を呼ぶ。《雷系魔法Ⅳ》だ。
恐るべき、轟音。PCモニターが白くフラッシュ。
そして――ナナミさんの全身が、黒く炭化しているのを見た。
「いかん」
たしかナナミさんは、《魔法抵抗》系を持っていなかったはず。
――僕の情報を使われている。
一拍遅れて僕は、彼女のことも死なせる訳にはいかないことに気がついた。
ミントに《蟲撃》を装備させ、とにかく前進。
ただ、
「――……ッ」
撃てない。
僕には、豪姫を攻撃する理由がない。
「……………くそ」
震える手で、『ごうき』と入力しようとすると、
『……ひ、ははっ!』
ナナミさんの笑い声が響き渡った。
『面白いッ!』
どうも彼女、見た目に反して大した痛痒も感じていないようだ。
『はっぴーばーすでー! デビルマン! ……遊ぼうッ』
すぐさま、ナナミさんが特注ナイフを突き刺す。
狙いは正確――豪姫の左目だ。プレイヤー同様に、そこが弱点だと踏んだらしい。
だが、結論から言うと豪姫は、まったく通じていなかった。
彼女は攻撃を、二本の指で挟むようにして受け止め――
『おっ、おっ、おっ、おっ……!?』
恐るべき指力で、それをひん曲げてしまった。
『すごっ。オリハルコン製のナイフが……ッ』
感心するナナミさん。
余った方の手で、掌底を繰り出す豪姫。
だが、その攻撃は失敗だった。格闘技シロウトの僕にもわかるほど、その一撃には腰が入っていない。力学的にも、それではダメージは最小だ。
この動きには、見覚えがある。
《怪力》系のスキルだけを取得して、《格闘技術》を取らなかった“プレイヤー”。
どうもいまの豪姫は、それに近いスキル構成らしい。
『………………ッ』
ナナミさんは、白塗りの化粧をにやりと歪ませて、ぴょんぴょんとスキップ。
こっけいな仕草で、ぺこりと挨拶して見せて。
『ひひひ。……あんた、つよいね』
『まあね』
『そんじゃ、あたしもマジになって……ひひ。ルールを説明しよう』
彼女の仕草は、まるで戦闘者のそれではない。
“遊び人”の戦いは……まさしく、遊ぶように戦うのだ。
『るーるを、せつめー? なにそれ』
『うふふ』
するとナナミさんは、たかたかとタップダンスを踊りながら、見るものを退屈させないような仕草で――こう続けた。
『《あそび》には、“ルール”必要なの。優しいピエロが説明したげる』
『さんきゅー』
『ある、一定以上のレベルに到達した“プレイヤー”にはね。……全員、共通する能力があるの。――世界のルールを、自分専用に書き換える能力。“現実改変”って言えば、わかりやすいかな』
『へえ。そーなの?』
『うん。せーかくにはそう“なりがち”ってこと。“魔力制御”でスキルを合成していくと、最終的には必ず、その領域に辿り着くんだ』
ちなみにこの情報、僕にとっては既知だ。
“サンクチュアリ”では、風通しの良い情報共有が行われている。
――レベル120以上のプレイヤーは必ず、なんらかの隠し球を持つ。
それがいま、彼女が話してくれていることだろう。
それが、『現実改変』と呼ばれていることは初めて聞いたが……。
『基本的に。ある一定レベル以上の“プレイヤー”同士の殴り合いって、すごく不毛なの。千日手になりがちでね』
『へー』
素直に、情報を受け取る豪姫。
こういうとこ、妙に昔の彼女が思い出されて、妙な気分になる。
『だから、強敵相手にはいつも、必殺の一手を覚えておく。あたしの場合は……――これ』
そして彼女が懐から取りだしたのは……数枚のメンコであった。
『このメンコは、『機動戦士ガンダム』の超激レアメンコだ。『ククルス・ドアンの島』で登場する作画失敗ザクが……なんの勘違いか、正式なデザインとして描かれてる。一説によると、こことは違う時空から持ち込まれたとされてる』
なにそれ。ほしい。
『それにこっちは、『ウルトラマン』に登場するゾフィーならぬ、宇宙人ゾーフィのメンコ。正義のキャラクターのはずの彼が、まるで悪役のような設定に書かれてる』
マジかよ。そんなの実在したのか。
豪姫は、僕にオタク話を聞かされたときの表情で、敵対する相手を睨め付けている。
『……それが、どうした? 謎のオタクグッズ自慢が、あんたの能力ってこと?』
『もちろん、違う。……ねえ、悪魔ちゃん』
『ゴーキでいいよ』
『そんじゃ、ゴーキちゃん』
なんかこの娘ら、妙に仲良くなってないか?
『“プレイヤー”が能力を作る時、まず考えるべきは……自分のスキル構成の“長所”は何かってこと。“格闘家”なら、自分の“力”が唯一無二の基準となるよう、現実を改変するんだ。“魔法使い”なら“魔力”、“盗賊”なら“素早さ”……。そんな風にして、現実のルールを決定していくわけ』
『ふむふむ』
『あたしの言いたいこと、わかるよね。つまりあたしの“現実改変”は……』
『《魅力Ⅹ》。“魅力”に関係することか?』
『そう!』
道化師が笑って、両親指を立てる。
『ってわけで! “遊び”のルール、理解した?』
『んー』
豪姫はしばし、頬を掻き。
『でもそれ――』
そして、おもむろにナナミさんの首筋に手刀を繰り出した。
今度は、しっかり腰が入っており――しかも、早い。
それは、明らかに人間の動きではなかった。
瞬間、ナナミさんの首から上が跳ね、大空を舞う。
『あんたが、その“現実改変”とやらをする前に倒せば、終わりじゃね』
僕はその姿に……ただ、目を見開いていることしかできない。




