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その233 遊び人の女

 扉を開けると……そこにいたのは……。

 一人の、女性。

 その目の前に並べられた、三人の男。

 うち一人には、見覚えがあった。


 確か彼とは、一瞬だけ顔を合わせている。

 “獄卒”と呼ばれている、警官のコスプレをしている男だ。


 彼らはみな、異様な状態で倒れている。

 目を、かっと見開いて……空を眺めている状態で、ぴくりとも動かないのだ。

 気を失っているようには、見えないのだが。


『ひひひひひ……ひひ……ひ……』


 僕は、そんな男たちを見下ろす……ピエロ姿の女を見た。

 彼女は今、折りたたみ式の椅子にだらしなく座って、“アイスクリーム”粉末を吸い込んでいる最中のようだ。


『へへ。へへへへへ……』


 僕が診たところ、明らかにまともな状態ではない。


 だがそれは、麻薬の所為ではないはずだった。

 確か“遊び人”は、酒や麻薬の効果を無効化できるはずだから。


「根津。――根津、ナナミさん…………」


 モニター前。

 ぼそりと独り言ちる。


 元、サンクチュアリの“遊び人”……。


 話によると、“終わらせるもの”とも親交があり……こことは違う世界――()()()を冒険したこともあるという。


 つまり彼女は、“救国の英雄”ということだ。

 鏡の国の冒険記録がなければ――ゾンビの掃討は、もっと時間が掛かっていただろうから。


『いひひひひひひひひ…………ッ。ひひ、ひひひ…………』


 彼女の様子がすこしおかしいのは恐らく、《ハイテンション》と呼ばれるスキルを使っているためだろう。

 彼女は、何かが面白くて笑っているのではない。

 ただ、スキルによる精神操作により、笑っているのだ。


 だが。

 にもかかわらず。

 僕には彼女が、泣いているように見える。


『あー、おかしい……。けっさくだ……』


 天を仰ぐ、ナナミさん。


『ほんとにこの世は、喜劇だよ…………』


 彼女が――正気を失った理由は、すでに聞き及んでいる。

 “終末”後には、ごくごくありふれた理由。

 親しい人を、亡くしてしまった。


 それ以来ずっと《ハイテンション》を維持しているらしい。


 だから彼女は、いつも楽しい。

 だから彼女は……いつだって、笑っている。


「どうする……。僕は、彼女を殺せるのか……?」


 独り言ちる。

 決して僕は、ナナミさんと懇意にしていた訳ではない。

 ただの、知り合いの知り合い……程度の関係に過ぎない。


 けれど……彼女の経歴は、決して無視して良いものでもなかった。


『どーしてこーなった♪ どーしてこーなったー♪ ……っと』


 言いながら彼女は、まるで茶漬けを啜るみたいにして麻薬を体内へ流し込んだ。


『ふぅーーーーー。きもちー』


 と、そのタイミングで、最歩が指さす。


『あーーーーーーーーッ! 誰かと思ったらそこにいるの、“獄卒”さんに“偽勇者”さんに、“†堕天使†”さんじゃありませんの!?』


 どうやらみんな、彼女の知り合いらしい。


『まじかまじかまじですか! 私のイケメンたち……なぜにー!?』


 ぴょんぴょん跳ねて、怒り狂う最歩。

 良くわからないが……連中、彼女のハーレム要員かなにかか?


『ひひひ…………ひひ』


 そしてナナミさん、ゆっくりと顔をこちらに向けて。


 白塗りの肌に、涙で濡れた目尻。

 そして、血のように赤く塗りたくられた、唇。


 その顔つきからは……ナナミさんが正気を手放して久しいことが読み取れた。

 “サンクチュアリ”で見かけた彼女とは、根本から違ってしまっている。


『あんたら、どなた?』

『私は、夢星最歩。隣は“ゾンビ使い”さん。――さあ。そこの男性陣を解放してください。今すぐに』

『ダメ』


 ナナミさんの返答は、極めて決断的だった。


『だってもう――こいつらは、“経験値”になってもらうことが確定してる』


 その次の瞬間だった。

 さく、さく、と。

 彼女は、転がっている男のうち二人――“偽勇者”と、“堕天使”と呼ばれていた二人の眼球に、錐のような先の鋭い刃物を突き刺す。


 目のも止まらぬ早業で……止める間もなく。

 いま、僕たちの目の前で、二人の“プレイヤー”の息の根が……止められたのだ。


『…………ふふふ。れべるあーっぷ』


 その、次の瞬間には、――最歩は走り出している。


 彼女の背には、かつて見たことがない怒気が感じられる。

 もちろん、僕もその背中を追従した。


 なんでもいい。

 とにかくナナミさんを……彼女を、止めなよう。

 何をするにしても、全ては優位な状況を確立してからだ。


 そう思って――まず、《雷系魔法Ⅱ》を発動。

 自身の周囲に、数個の雷球を出現させ……敵の動きに備える。


 “遊び人”は正直、戦いが得意なジョブではない。

 だが、いくつか気をつけなければならない技も存在している。

 それが……《風船爆弾》というスキルだ。


 案の定、ナナミさんは右拳をぎゅっと握り、それを筒のようにしてぷくーっと息を吹き込む。

 すると、吹き込まれた息が変化し、鮮やかな黄色の風船が一つ、生み出された。


『――――――!?』


 得体の知れない状況に、躊躇したのだろう。

 最歩の駆け足が、少し遅れる。


 その間も、ナナミさんは様々な色と形の風船を生み出していった。

 いまや、彼女の姿が見えないほど大量の風船に囲まれた彼女は、


『言っておくけれど――この技、受けない方がいいよ。ひひ』


 知っている。

 その内部には、さびた鉄釘を始めとする、有りと有らゆる危険物が仕込まれている。

 まともに受けてしまうと――防御力を強化した“プレイヤー”ですらダメージは免れない。


 また、風船には目に見えないほど小さな空気噴出口があり、ナナミさんはそれにより自在に軌道を操作することができるという。


 …………だが。


――今朝。ナナミさんと会うと分かっていた時点で……その展開は予測済みだ。


 だからこそ、ミントをここに連れてきたと言っても過言ではない。

 僕の手持ちで《雷系魔法Ⅱ》を使える個体は、彼女の他にいないから。


「……いけ」


 僕がそう、呟くまでもなく、――《雷系魔法Ⅱ》が飛ぶ。

 そしてそれらは、ナナミさんが産み出した風船を、ことごとく破砕していくのだった。


『おおおおおおおっ。ないす、ぞんび!』


 夢星最歩の、跳ねるような歓声。


 ……だが、結論から言うと僕の判断は、言うほど「ないす」ではなかった。

 爆ぜる風船は、毒ガスのような何かを大量に発生させて、東京駅の屋上を、オレンジ色のガスで充満させていったのである。


「……まずいっ」


 呼吸器官は、“プレイヤー”の弱点の一つ。

 ゾンビであるミントは平気だが、最歩はやられてしまうかもしれない。


「ナナミさん。頼む」


 内心、苦しい思いに囚われながら、呟く。

 君は、優しい女の子だったはずじゃないか。


 だとしたら。何故……。


 何故、人を傷つけようとする。


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