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その20 殺意

 とはいえ、状況は良くなかった。

 まず、数が多い。見える範囲だけで八人もいる。

 しかも武装した八人だ。仲間を呼べば、もっといるかもしれない。

 対してこちらの戦力は、足手まといのゲームおたくと、女”ゾンビ”が各一匹。


――たぶん、殺し合いになるだろう。


 亮平が奇跡的な交渉術を発揮すれば話は別だが、残念ながら彼はそういうタイプではない。


 こうなってくると、とれる戦略は限られていた。

 こちらには、攻撃力がまったく足りていない。まともにやり合うわけにはいかない。

 しかし、ただ一点、優位な点があった。

 豪姫も、亮平も、どう見ても強く見えないところである。


 で、あれば、とるべき作戦は一つ。

 可能な限り引きつけた上で、一撃。不意を突く。

 これしかない。

 僕が弟の言うとおりのスーパーマンであれば、誰も彼もを無傷のまま救うことができたかもしれない。

 だが残念ながら、まだ僕はその領域に達していない。

 故に、血を見る必要があった。


――人殺し、か。


 正直、それほど複雑には考えていない。自然界では当然のように行われている行為だという想いと、……しょせん僕が行うのは、敵キャラクターに向かって左クリックするだけだという考えがあった。

 ただ一点、心の障害があるとすればそれは、「なんとなく験が悪い」という感情に行き着く。


 よく、物語の中で”超えてはならない一線”とされるもの。

 物語の登場人物の、哀しいその後を決定づける行動。

 ……殺人。


 これから行うワンクリックは、何より重い。だが、やり遂げなければ。

 僕が責任を負わなければ、弟が何らかの形で代償を支払う羽目になる。


 戦場において、兵士が殺人を実行するための第一の動機は、仲間に対する責任感であるという。

 人は、自分自身のためには”戦闘”よりも”逃走”あるいは”威嚇”を優先しがちな生き物だ。だが、誰かのためなら非道な行いも可能とする。


 イスラエルでは決して、女性兵士を戦場に出さないという。

 これは、彼女たちが死傷すると、男性兵士が敵に対しての際限ない残虐性を発揮してしまい、結果として味方全体の士気を下げてしまうためだ。


 だから、……と、いうわけではないが。

 僕には”弟のためならば”この手を汚すことも構わない、という気持ちがあった。


「ふう…………ふう…………っ」


 気がつけば、PCモニターの前でびっしょりと汗をかいている。

 頭の中では、「手を出すなら、まず僕が」という台詞が、繰り返しリピート再生されていた。


『あのーう、みなさん?』


 弟が、びっくりするくらい震えた声で、服飾品店の前にいる男たちに声をかける。

 すると連中は揃って、ぎょっとこちらを見た。明らかに、犯罪行為の露見を恐れている様子だ。

 だが、目の前にいるのが、ひ弱な男とチビ女に過ぎないとわかって、彼らは再び憎悪を漲らせる。

 連中の代表格と思しき、肩幅の広い金髪の男が言った。


『あんだよ、お前。消えろ』

『あのその、……あんたら、そこで、なにやってんすか?』

『き・え・ろ』


 野犬の群れとなった彼らは、ぎらぎらとした目つきで亮平を睨んでいる。

 いじめられっ子といじめっ子の構図となって、弟はなんだか、口の中でもごもごと何か言った。

 がんばれ、亮平。

 クラスの日陰者が年に一回くらい見せる勇気を、今こそ発揮するのだ。


『見たとこ、なんか、誰かを脅してるみたいに見えるんすけど』

『だからどーした?』

『いや、そーいうの、良くないなって』

『そんなの、お前にカンケーねーだろーが。それとも、女の知り合いか?』

『いや、わかりませんけど。顔見えてないし』

『だったら、もういいだろ。な? 消えろ。な? あんま邪魔すっと、そっちのツレまで喰っちまうゾ』

『ダメっすよ。見過ごせませんって』

『…………ちっ』


 男は苛立たしげに舌打ちして、右目の下あたりをびくびくと痙攣させた。

 正直、ここまでのやり取りを客観的に見て、弟の劣勢は明らかだ。

 声は引きつってるし、言葉は噛み噛みだし、ボソボソしゃべりで何を言ってるかわからないところがある。金髪の男は真っ直ぐこちらを見ているのに、亮平の方は何故か、叱られているかのように地面を見ていた。

 絵面だけ見ると、万引き犯(亮平)を咎めるコンビニ店員(金髪男)という感じ。みっともないことこの上ない。




 だがしかし、僕はそんな弟を、心の底から誇らしく思っていた。




『止めましょうよ。こんなん、絶対良くないっす。地獄に堕ちますよ』

『地獄、だあ? あんた、知らねーみたいだから言っとくけど、今いるこの場所がもう、地獄なんだよ……っ』


 この金髪、わりと気の利いた返しをするじゃないか。


 と、その時だった。

 連中の一人が、「もう十分だ」とばかりに五番アイアン振り回して、こちらに近づいてきたのは。


『……っけんじゃねーぞ、……まってっとっ、……ろっちまうからなあ!?』


 怒り狂った彼は、ろれつの回らない言葉で歯がみしている。

 顔が耳まで赤い。ひょっとすると酔っているのかも知れない。


『ンナどもは……れらのモンだからよーぉッ!』


 その時が近づいていた。

 やるときが。

 だが、ここに来てはっきりと迷いが産まれている。

 怖かった。

 他に何か手があるのではないか。

 話し合いでことが済まないか。

 自分たちは何か、致命的な間違いを犯しているのではないか。


 そう思ったのも無理はない。


 今、こちらに向かって歩み寄る男。

 どうみても、成人していなかった。

 十代半ば。……中学生か、大きく見積もっても高校一年生くらいの年頃だ。

 頭は丸坊主で、恐らく何かスポーツ系の部活をやっていたのだと思われる。


――子供。子供、だと……くそ、くそくそくそ。冗談じゃない。


 以前、アリスを刺した時とは状況が根本的に異なる。

 あの時はほとんど、自殺するような気持ちだった。どちらにしろ自分の命は長くないし、そうすることで世界が救われるなら本望だと。

 だが今、目の前にいるのは……ちっぽけで、粋がっているだけのクソガキに過ぎない。

 世界がこんな風になってなければきっと、善良な暮らしをしていたであろう。

 ただの、子供。


 さすがに、マウスを持つ手が震えた。

 その若造を下がらせろ、亮平。

 仮にやるにしても、そいつはダメだ。僕は厭だ。


『ちょっと……そんなものを振り回すな。危ないぞ!』


 亮平が叫ぶ。

 年長者の忠告を聞かず少年は、


『っぜーんだよ!』


 弟の肩辺りに、五番アイアンを叩き付けた。

 とはいえ、当たったのはグリップに近い部分だ。威力はほとんど殺されている。


『……ぎゃ……ッ!』


 だが、弟は一瞬、苦悶の表情を浮かべて。


 それで、十分だった。


 少年の腹部にクロスヘアを合わせて、――左クリック。

 邪魔な雑魚敵を排除する時の要領で。


 同時に、狩場豪姫が動いた。

 僕の殺意を、現実の形に変えるため。

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