その210 友よ
――殺される。
孝之助がそう思った、次の瞬間だった。
『――…………!』
彼の想定は、外れることになる。
致命傷を受けたはずのよし子がバネ仕掛けのように身を捻らせて、孝之助を弾き飛ばしたためだ。
「…………ッ!?」
身代わりに、彼女の背中に杏奈の踵落としが突き刺さる。
鋼鉄のボディが、ぐにゃりと歪むのがわかった。
『ビー、ガガガ…………ッ』
耳もとで、彼女の悲鳴が聞こえる。
「――ちっ」
現れた“暗殺者”、杏奈の鋭い舌打ち。
――もし生き残ったら、逃がして上げる。
どうやらもう、その約束を守ってくれる気配はなさそうだ。
「あんた…………!」
「――何? 何か文句ある? 聞くだけなら聞いて上げてもいいけど?」
背筋が凍るような態度だ。“プレイヤー”はどいつもそうだが、年上に対する敬意というものがまるで感じられない。
――落ち着け、落ち着け。
よし子はまだ……生きている。きっと。
人間なら死んでもおかしくない怪我だが、彼女はロボットだ。
――殺させない。
よし子は。よし子のことだけは。
彼女は孝之助が、初めて愛した人。
そう思う一方、こうも思う。
この一ヶ月の出来事は全部、演技だったのかも。
そうじゃないと、おかしい。
だって彼女はあまりにも……自分にとって、都合の良い存在だった。
喜田孝之助は、お世辞にも男前とは言えない。
“奇岩”。
それが彼の、学生時代のあだ名だ。
彼の頭部の変型を言い表したものである。
――自分みたいなしゃっ面の男に、恋人なんて出来る訳がないのだ。
ずっと、そんな風に思って生きてきた。
そんな自分にとって、よし子の存在は……。
「…………………………………………ッ」
もし。
もしも。
この一ヶ月の出来事が、すべてウソだったとしても。
それでも構わない。
自分のこの気持ちは、本物だから。
――……すまん、友よ。
孝之助は、あの世にいるはずの夜久銀助に頭を下げる。
約束を守れるのは、ここまでだ、と。
心の迷いが立ち消える。
自然、喉から声がでる。
「ちょっと…………待て」
「…………あ?」
冷酷な目線をこちらに向ける杏奈に、声をかける。
「お前の持ってる“証明書”は偽物だ」
普段はもごもごしゃべる孝之助も、この時ばかりは明朗な発声だった。
「――は?」
“暗殺者”の動きが、ぴくんと止まった。
「もし、命乞いのためのウソなら……」
「マジだ。大マジ。――“口裂け女”は、銀助に教えられてた、偽の保管場所だったんだ」
「馬鹿な」
「ウソは、ついてない。保障するよ。もし俺を殺したら、“悪魔の証明書”は永遠に手に入らないって」
「………………………………」
杏奈は一瞬、逡巡して見せて。
「……ふうん」
低く鼻を鳴らす。
「じゃああんた、私に、それを信じさせなさい」
「…………?」
「プレゼンしろって言ってるの。『自分が“証明書”の在処を知ってる』ってこと」
ああ、そういうことか。
孝之助は、舌の上に苦いものを感じながら、こういう。
「俺、銀助と約束していたんだ。“証明書”を渡す相手は、この世で、たった二人。いや、四人かな。“三姉妹”か、“終わらせるもの”か。そのどちらかだ」
「……それで?」
「最初から、“ゾンビ使い”に“証明書”を渡すつもりはなかったんだ。だから彼には、ダミーを受け取ってもらうつもりだった」
「それで?」
「それがいま、あんたが回収した紙切れだ」
「………………」
女は、たったいま奪取した“証明書”のダミーを、ちらりと横目で見る。
そして、
「だってさ。どう思う?」
無線機で連絡している仲間に、声をかけた。
『…………んー。……そうね。その可能性は。ゼロじゃない』
「聞いてくれ。……夜久銀助は、“絶対安全な場所”に、“証明書”を隠した。……この場所は決して、“絶対安全”というほどじゃない。だろ?」
いま自分は、理路整然としているはずだ。
当然だろう。……全て、真実だ。
孝之助が案内したこの場所は――あらかじめ銀助に教えられていた、偽の情報。
便所で酒を捨てたのも、嘘。
それっぽい理由をつけて、“口裂け女”の居場所へ誘導させるためだった。
『………………んー。それじゃ。……“証明書”は。どこ?』
「いま俺が持ってる。――たぶん」
『………………は?』
圧倒的強者を目の前にして、孝之助は喉の乾きを感じている。
だが、それでも彼は、この話を続けなければならない。
『何か持っているようには見えないけど。――ひょっとして。上着に隠してる?』
「いや。そうじゃない」
『…………?』
「確かにそれを、俺は持っている。……だが、それを認識することができない」
『………………何を。言ってるの?』
焦れた杏奈が、コツコツと苛立たしげに踵を鳴らす。
「ねえ、早矢香、もう殺しちゃおうよ、こいつ……」
『ちょっと待って』
冷静な相棒で助かる。
『筋は。通ってる。“悪魔の証明書”は。……他者の認識を変異させるものだって聞いた』
「なにそれ」
『私たちはいま。“証明書”が見えている。けど。それに気づいていないだけ。……そういう可能性があるってこと』
「なにそれ、やっべ。ちょーすげーアイテムじゃん」
孝之助は、うんうんを顔を縦に振る。
内心では、
――すまん、銀助。
と、幾度も幾度も、頭を下げながら。
あいつとは、本物の友情で結ばれていた。
自分は、その友情に殉じて、死んだって構わなかった。
けれど…………今は………………。




