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その19 犯罪行為

 とある服飾店の閉じたシャッターを、金属バットががしゃんと叩いた。


『オイコラァ! 開けろよ!』


 そして、複数人の怒鳴り声。


『開けろ、開けろ、開けろ開けろ開けろ! あ・け・ろ!』

『アーーーーーーーッ! アアアアアア!』

『逃げられねーぞっ! 女ァ!』

『マジでよォッ! はやく覚悟決めろよォ! 俺らけっこう、優しいからさあ!』

『死人集まってきたら、そっちだって困るでしょお?』

『マジで! 護ってやるのはマジで! マジのマジだからッ』

『ってか、早く出てこねーと……』


 かーん、と、ゴルフクラブが地面を打つ音が、閑静な住宅街に響き渡る。


『これ! コイツお見舞いしちまうからなぁ!』


 そこには、服飾品店を取り囲む、十代から二十代ほどの男たちの姿が見えた。

 目をこらすと、店の奥の暗がりに、数名の女性がいる。

 すぐ、彼らが何を行っているかはわかった。

 たぶん、女性を襲って我が物にしようとしているのだろう。


「へえ。元気が良いなあ」


 と、独り言。


 アウトブレイク直後、僕は人間の心の脆さを痛感するような事件を多数、目の当たりにしている。

 意外だったのは、――思ったよりも多くの人に、暴力を振るう能力が欠如しているらしい、ということ。

 少なくない人々が”ゾンビ”に噛みつかれるその瞬間まで、これが悪い冗談だと信じていた。

 「結局これ、何かのおふざけなんでしょ?」という表情のまま死んだ人は数知れない。家族を目の前で食い殺されてもなお、催眠術師がパチンと指を鳴らせば全てなかったことになる、と、世界中の人間が信じているかのようだった。


 噂によるとなんでも、あれこれ手を尽くして会社に向かっているサラリーマンが未だにいるらしい。

 それもこれも「上司からの連絡がない」という理由で。

 正常性バイアスもここに極まれり。


 そういう意味で、あの無頼漢どもはこの狂った世の中に適応した者たち、と言えるのかも知れない。


 ことここに至って、誇り高きヒトが、チンパンジーのレベルに堕ちてしまうことは正直、やむを得ないことだと思っている。

 何せ我々人類は、ほんの一週間で驚くほど数を減らしてしまった。

 どうにかして元通り、また霊長類の頂点に返り咲かなければならない。

 次世代に遺伝子を残すことが目的なのであれば、彼らの言う『護ってやる』も『優しくする』も、あながち嘘ではないかもしれなかった。


 ……と。

 ここまで冷静に分析しておいてなんだが、正直言うと「まずいな」と思っている。「これはどうも、運が悪いぞ」と。


『兄貴』


 決意を秘めたまなざしの弟を見て、僕は額に手を当てる。

 たぶんヤツは、()()つもりだろう。

 その結果、どういう結末が待ち受けているかもわからずに。


『おれ、アウトブレイク直後、水の買い出しに行ったろ。その時、……普通の人もたくさん通るような往来で、十人くらいのやつが、円陣を組んでるのを見たんだ。連中は何か、はやし立てるような声を上げていて……』


 僕はPCデスクの上で頬杖をついている。

 ところで、今晩のおかずをどうしようか。そんな風に考えながら。


『何か、見世物をやってるんだと思ってた。けど違ったんだ。連中、女の人を……若い女の人を、裸にひんむいてやがった』


 珍しい話ではない。

 ネットが繋がらなくなる前、SNS上ではそういう話が大量に出回っていた。

 警官隊による最初の抵抗、――まあ結局、”ゾンビ”の進軍を一日と止められなかったが――が行われた時、実質この辺りは数日、無政府状態になっていたのだ。


『おれ、一瞬思っちまった。「ちょっとおもしろそーだな」って。でもすぐ、それが全部、後悔にひっくり返った。……女の子が、ほんの小さな……小学校低学年くらいの娘がそれを、泣きながら見ているのに気付いたんだ。たぶんきっと、裸の女の娘さんだったんだと思う』

「…………」

『怖かったよ。何が怖かったって、悪党どもじゃない。みんながみんな、見て見ぬ振りをしていたことに』

「…………………」

『誰も、あいつらを止めなかった。誰もだ。みんな、トイレットペーパーとか、食糧とか、水とか運ぶのに必死で……おれもそうだった』


 弟は、予備の武器をいったん電柱の裏に隠して、身軽な格好になる。

 そして、再び豪姫を通じて、僕に語りかけた。


『でも結局、それって言い訳だったんだ。「自分には仕事があるから」ってさ。……それでおれは、あの親子を見捨てたんだ』


 というか、台詞が長い。

 どうせやるなら、「あいつら許さん、やっつける(どんっ)」でいいのに。

 まあこういう時にまで理論武装を試みるようなところ、さすが我が兄弟、と言えないこともない。


『おれ、今度は逃げないよ』


 亮平がそういう行動に出るであろうことは、予測がついていた。

 人一倍臆病なくせに、無謀なことを平気で言うのだから困る。


『なあ兄貴……手伝ってくれる、よな?』


 顔をしかめる。

 その場にいれば、百万の言葉をもって考えを改めさせるのだが。


――まあ、話し合いの余地がないのなら、仕方あるまい。


 僕はというと、この手の行為に関して感ずるところはあまりない。

 そもそも、悪事や犯罪というものは、ある種のストレス環境下において人間が起こしうる、一つの結果にすぎない。

 日が落ちると暗くなる。夜行性の動物が活動を始める。

 それと同じ、自然現象の一種だと解釈していた。


 明日をも知れぬ世の中だ。

 積極的に交尾の相手を求めるのは、生物としてはむしろ健康的であるともいえる。

 もちろんだからといって、強姦を肯定する訳ではない。

 だが、わざわざ仲間の救出を遅らせてまですることだろうか。

 この道草のお陰で、二人の救出が間に合わない……そんなことになったら、亮平は責任をとれるのか。


 と、そこまで考えて。


――ああ、僕のこういうところで、優希と綴里は離れていったんだったか。


 人知れず自省する。


「まあ、いいだろう。付き合うよ」


 自室にいて一人、僕は誰ともなく呟いた。

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