その203 危険な手紙
命を、狙われている。
「…………………………?」
手紙を読んで、孝之助はしばし、道路の真ん中で立ち止まっていた。
「なんだ、これ」
人違い……ではない。
これにははっきりと、自分の名前が書かれている。
では、悪戯か。何かの悪い冗談か。
あるいは風俗店特有の、謎文化の一種とか?
……よく、わからないが。
すぐさま手紙のことを、思考の隅に追いやる。
――思ったより良かったな。あの店。
それよりも、初体験の感傷に浸るのに忙しかったためだ。
ふわふわと、足取りもおぼつかなくなっている。
あんな体験をしてしまってはもう、生身の女で興奮することすらできなくなってしまうのではないか。
そう思える程度には、気分が高揚していた。
極彩色に輝く雑居ビルの下、スピーカーで拡張された、『酒』『お酒』『とにかくお酒』という声。
『どうせ人生、三十年。それならいまこそ、酒を飲め』
”終末”後の流行歌。
悪い気分ではなかった。
今夜は一杯、ウイスキーをやってもいい。
そして彼は、“終末”後に作られた、無料の宿泊施設へ到着する。
“守護”と呼ばれる、政府公認の“プレイヤー”によって運営されているその一時避難所は、いまもなお、数多くの人々が暮らしていた。
入り口で管理人から部屋の鍵を受け取り、自室へと向かう。
マンションは、なかなか上等な鉄筋コンクリートだ。
人口が激減しているため、皮肉にも居住スペースは余っている。
孝之助は、心地よい疲労感と共にベッドへ横になった。
「…………ふう」
それで。
ええと。
なんだっけ。
もう一度、紙切れをチェックする。
「詳細は……しばし後。………………ゾンビ使い、か」
やっぱり、訳が分からん。
とはいえ、空想を膨らませることはできる。
――自分が何か、恐るべき陰謀に巻き込まれて。
――日常を逸脱し……冒険が始まる。
――できれば全てが終わったころには、美女と大金が手元に残っていて欲しい。
――そして“中央府”に移住して、幸せな人生を送るのだ……。
そんな、益体もないことを考えていると……。
ぴんぽーん、と、インターフォンが鳴った。
「――?」
自分を訪ねてくる人間なんて、そうはいない。
いるとすれば、もうすでに故人の夜久銀助か……。
――ゾンビ使い。
そう思い至って、ぎょっとした。
「マジか……?」
起き上がり、すばやく身なりを整える。
冒険……が始まるかどうかはともかくとして、客には応対しなければならない。
自分が狙われているというのは、何かの勘違いだろう。たぶん。
正常性バイアスといやつかも知れないが……。
がちゃりと、鉄の扉を開けて。
そこにいたのは――二十歳かそこらの、見慣れない女性だった。
肩まで伸ばしたウェーブヘアが、よく似合っている。上下青のシャツとジーンズを合わせた、カジュアルな服装。
――ちょっとキツめの美人だな。
そう思うが、それ以上の感想はない。
いまの孝之助は、そういう感覚が麻痺していた。
先ほど無上の快楽を経験したばかりで、その心は賢者の如く落ち着いている。
「あ、どうも」
頭を下げるとその女性はにたりと笑って、
「どうもこんにちは。私は“焼き肉食べ放題穂乃華”よ」
「は……?」
焼き肉? 食べ放題? ほのか?
「……変な顔には、慣れてる。うちのチームの決まりでね。好きな晩ごはんのメニューが、コードネームなの」
「はあ」
「“ハンバーガー大好き太郎”ってしってる? そいつの手のものよ」
「え? ああ……」
それくらいは、知っている。
たしか、東京駅を中心に活動している“プレイヤー”で、“ソフトクリーム”という麻薬を主に取り扱っている連中の一人だ。
はっきりいって、あまり評判が良いとはいえない輩である。
「あなたが、……ゾンビ使い?」
念のためそう訊ねたのは、――のちのち考えると、ひどい愚策だった。
瞬間、“焼き肉食べ放題穂乃華”の表情が、不快そうに歪んだためである。
「――なるほど。すでに接触があったのか」
「え」
「それでは、事情を説明している時間はない。……“証明書”をよこしなさい」
「…………は?」
首を傾げていると……その時だった。
「はやく」
穂乃華が、目にもとまらぬ速度で右腕を振るったのは。
ばつん、と、顔面が揺れて。嫌な感触があった。
「……いま、すぐに」
彼女の指先に挟んでいるものを、観る。
人間の、耳。
「………………………………………えっ」
一拍遅れて、それに見覚えがあることに気づいて。
孝之助は、自身の顔面左側が、燃え上がるような熱を感じる。
「えっ…………え…………ええええ……」
どっ、どっ、どっ、と、左肩が濡れる。
自分の血で。
女は、たったいま引きちぎった孝之助の耳をぽいっと投げ捨てて……そして、サディスティックに笑った。
「さて。“証明書”は?」
「なんだって?」
次の瞬間、自身の右頬が叩かれる。
「“証明書”を。はやく」
「それ、知らな」
左頬。
「“証明書”」
「だから」
右頬。
古びた白壁に、交互に血飛沫が跳ねた。
「ひい……ひい…………」
女はまだ、にこにこと笑っている。
どこか、ピエロのように。
「苦しみ抜いた末に経験値になるのと、楽に経験値になる。どっちがいい?」
「……………………!」
『経験値になる』。知っている。
東京駅の“プレイヤー”たちが使う隠語。
殺すという意味だ。
「俺は…………俺は………………っ」
彼女の中ではもう、喜田孝之助の結末は確定しているらしい。
震えが、止まらない。どうしてこんなことに。
「まじで…………な、な、ななな。なんにも、知らなくて……」
「よし。では、死のっか♪」
そして穂乃華は、一瞬だけ呼吸を整えて。
「えいやっ!」
気合い一閃。チョップを繰り出す。
――終わる。自分の人生が。
そう思った、次の瞬間だった。
『トオオオオオオオオオオオオオオオオオリャアアアアアア! ╰(‘ω’ )╯三』
ほんの、十数分前に聞いた声が聞こえて。
穂乃華の後頭部に、鋼鉄の拳が突き刺さった。
「な…………っ!?」
突然の乱入者に驚き、前につんのめる穂乃華。
部屋に直通しているリビングに、ずでんと女がひっくり返る。
『コノ、腐レ外道ガァアアアアアアアアアアアア! ココハ、私ガ相手ジャアアアアアアアアアアア! (>_<)』
メイドロボが、その場に駆けつけた。




