その197 憧れの人
そうして私は、大慌てで路地裏へ逃げ込みました。
その後ろには、猛烈な粉塵が迫っていて。
危うく、全身土まみれになるところでした。
「ひえぇぇぇぇぇぇぇ……」
私、ぞっと背筋を凍らせながら、物陰に身を隠します。
「あ、あぶなかったぁー。……お風呂もない環境で、汚れるのは勘弁です」
『心配するとこ、そこかよ』
ゴーキちゃんが、呆れたように言います。
だってしょーがないでしょ。
いまの私、シャワーを自重しなくてはならない身の上ですの。
一度身体が汚れたら、しばらくそのままでいなくちゃいけません。
私にとって世界征服は、気持ちに余裕がある時にする、趣味のようなもの。
万全な体調を維持するのも、お仕事の一つなのです。
『ってかさー。マスターさぁ』
「ん?」
『自分から武器手放して、やりっぱなしで逃げて……。いっちゃあなんだけどオメー、喧嘩の才能、ないんじゃねーの?』
「てへへ」
『いや、テヘヘじゃなしに』
そう言われると少し、気まずいかんじ。
私、確かにそういうこと、得意じゃありませんのよねー。
昔から、不器用といいますか。
喧嘩とは縁遠い生活をしてきたもので。
『これやっぱ、あたし以外の仲間、必要かもね。戦闘を担当してくれるやつ』
「……そう思います?」
『うん』
うへえ、困った。
私、あんまり仲間、増やしたくないんですのよね。
……まあ、バトル役の子はそのうち、作るつもりだったんですけれど。
理想はやっぱり、世界で一番信用できる存在……私自身が矢面に立つことなのです。
「……金策用の仲間は、どういう感じ?」
『今んとこ、外ればっかし。やっぱ、一日二日で作れる確率じゃねーな』
そっかー。
やっぱりどうしても、運が絡む作業になるとなぁ。
私が、ぷひーっと嘆息していると……。
「貴様」
灰色の土埃の中から、一人分の影。
その声優には、聞き覚えがあります。
――”獄卒”さんか。
私、ひょいと顔を出して、彼の姿を見ました。
『おい……危ないんじゃ……』
「いえ」
大丈夫。
私は、にっこり笑顔で立ちあがります。
彼はこちら側。
それが、わかっていましたので。
『J,K,Project』に置ける、彼の立ち位置は知っています。
”獄卒”さんって、物語世界における「憎めない敵役」ポジションのキャラクター。
立場的な問題で私と組みすることはないのですけれど……彼自身の心情は、主人公である”私”に感情移入せずにはいられない。
そういう感じの子、なんです。
彼きっと……根っこのところに、”終末因子”が育ってる。
世界を憎んでいるんですよ。
だからでしょう。同じく”終末因子”である私に、惹かれずにはいられない。
「貴様…………貴様は…………」
”獄卒”さんは……いま、自分に芽生えつつある新しい感情に、動揺しているみたい。
「――――――――――」
しばし、押し黙って。
「………………あの」
口の中でもごもご言った後、手書きのメモを取り出し、
「これ。……その。連絡先なんだが」
私に、そっと手渡します。
そこには、東京駅内にある、とある部屋の地図が描かれていました。
すると彼、そのような真似をしている自分に驚いているような顔をして、
「別にこれは……変な……変な、意味じゃない。口説いているとか、そういうことじゃ。……ただ、貴様の強さに、……興味があって」
うふふふふふ。
強い存在に対する憧れは、男の子であれば誰しも持つもの。
相手の好意を確信している恋愛ゲームって、実に気分がいいですわねー。
”獄卒”さんったら、先ほどまでの屹然とした態度はどこへやら。
なんだか、純朴なティーンエイジャーみたいに、顔を赤くしていました。
「ひとつ、よろしくて?」
私、魅力的なお姉さんっぽく(当社比)微笑んで、
「こんな風に、一方的に連絡先を渡されても、困りますわ。……罠かもしれませんし」
「罠じゃない」
”獄卒”さん、慌てて言います。
「もし罠なら、こんな風に話しかけたりしない。……立場はどうでもいい。貴様の話を聞きたい。興味がある。……悪いか?」
私、ちょっぴり腕を組み、
「あなた、自分だけの私書箱、みたいなものはありませんこと?」
「あいにく、ない」
「であれば、”楼主”さんを通して用意してもらって下さいまし。彼なら、安全にやり取りできる場所を準備してくれるはずです」
「しかし…………」
そして私は、彼の肩にポンと手を当てて、
「それと。――もし、私と仲良くしたいのなら……”楼主”さんとも、喧嘩しないでくださいましね。いいですか?」
「あ、ああ…………」
そういって私、”ドアノブ”を捻りました。
すると、私の背後に木製の扉が出現。それを開きます。
「それでは。また、縁が繋がれば」
うんうん。
なかなかクールな去り際だった気がするぞ。
▼
『ってか、マスター』
「え?」
『路地裏に逃げ込んだとき、”ドアノブ”のこと忘れてただろ』
「……。てへへ」
『さてはあんた、当意即妙なムーブ、めちゃくちゃ苦手だな?』
まあ、良いじゃないですか。
お陰で、”獄卒”さんとの繋がりが生まれたワケで。
何ごとも、塞翁が馬というやつです。