その194 最期の想い
夜久銀助は、自身のダメージを、どこか客観的に観察していた。
――ひどい手疵だ。
まるで、攻撃を受けた部位が、消しゴムで消されてしまったかのように消失している。
首を動かし、目線を壁に向けると、そこには赤黒いミンチとなった肉片がこびりついていた。……ほんの一瞬前まで、自分の身体の一部であったものだ。
――殺られた。
はっきりとそう、自覚している。
もう、助からない、と。
彼は、リアリストである。無意味な希望には、決してすがらない。
――ついに、この日が来た。
神の気まぐれで与えられた命が、神の気まぐれによって奪われる。
そんな日が。
――格好悪ぃ。
それが、彼が自分の人生に与えた、最終評点。
朝起きて。
洗濯したての、お気に入りのマスクを被って。
久々の仕事だった。
殺人事件の調査。
きっと”プレイヤー”同士の諍いだろう。
「――戦争だけは、避けなくてはなりませんね……」
”彼女”が、そう言っていた。
選ばれて自分は、ここにいる。責任のある仕事だった。
油断は、してなかったはず。
けれど結局、なんの見せ場もなく、死ぬ。
良いところ、なし。
自分の年齢では、魂修復機による蘇生も望めないだろう(あれには、二十歳以下の若者でなければ蘇生できないという制限がある)。
――まあ、人生って案外、そういうもんなのかもしれないけれどな。
地面に倒れ伏しながら、霞む目で事態を見守る。
「く、そ………………! 銀、さんッ!」
相棒の理津子が……紙一重で”フライパン”を回避している。
その目尻には、涙が浮かんでいた。
(間に合わない、間に合わない、このままじゃ、間に合わない……!)
彼女の心がそう、叫んでいるかのようだ。
対する”仮面の女”は、ぷんすか怒りながら、
「あー。もー! どーせあなた、生き返るんでしょう!? さっさと諦めなさいなッ!」
そんな風に、言っている。
まるでそれは、部屋に出たゴキブリを追いかけているような口調だ。その手つきもちょうど、折りたたんだ新聞紙を振り回しているように見えなくもない。
――”獄卒”は?
視線を、少し動かす。
警官のコスプレをした偉丈夫は今、すぐそばで棒立ちになっていて、戦闘に加わろうともしていない。
どうやら、完全に戦意を失っているように見えた。
畏れている、ようには見えない。
見惚れているようだった。
――こいつ……。
やはり、味方じゃなかったのか?
銀助は内心、歯を食いしばる。
もしそうなら、今日の出来事はぜんぶ、”ランダム・エフェクト”の罠だったとうことだろうか?
――くそ…………ッ。
心はいま、憎悪に燃えている。
けれど身体の方は、電池が切れたかのように動かなくなっていた。
――”サンクチュアリ”の子供たちと、馴れ合いすぎたか。
こういう陰謀を見抜くのは、大人の仕事だ。
それなのに。
――すまん。みんな……。
▼
夜久銀助が、ずっと探し続けてきたものがあった。
自分が命を賭けるに足るものを。
本当に美しいものを。
心の底から”正義”だと思える何かを。
むろん、”正義”という言葉が持つ危険性は重々承知している。
時としてその言葉が、暴力を正当化されるために使われることも。
”正義”の反対は、また別の”正義”であるということも。
その上で彼は知りたい。
この世の中に、真に普遍的な”正義”はあるのか。
自己正当化のため使う欺瞞でも、時と場合によって移り変わるものでもない”正義”。
トロッコ問題の明瞭なる解答を。
夜久銀助の夢は、子供の頃から変わらない。
”正義の味方”になることだから。
▼
いま、彼の脳裏に、走馬灯の如く浮かんでいる光景。
”終末”以前の記憶。
好きだった映画の記憶。友人の記憶。仕事の記憶。
人生に、退屈していた時代の記憶。
そして――”終末”直後の記憶。
初めてゾンビの大群を目の当たりにして。
そこに、自分の死に場所を見いだした。
見事、”ゾンビ”を討ち果たし。
”プレイヤー”となり。
けれど人生は、ままならなくて。
世界を救うには、自分はあまりにも、弱い。
――最後に。一撃。
大人であれば果たすべき、最後の仕事を。
使う技は、決まっている。
彼が使う、とっておきのオリジナル。
《騎士の鉄槌》と《スキル鑑定》を組み合わせて制作されたそのスキルは、敵が邪悪な存在であればあるほどに、その威力を増すという。
人殺しのこの女には、さぞかし効くだろう。
「――――――」
ゆっくりと息を吸い、そして吐く。
終わりが、近づいている。
多分、スキルを使用すると同時に、絶命することは間違いなかった。
だが、それでいい。
夜久銀助は、命と引き換えに悪の禍根を断つのだ。
「――――――――――――…………《正義の………………」
自分の持つ、全ての魔力が、手のひらへと収束していくのがわかる。
「鉄槌》…………………………ッ!」
同時に。
「――ッ?」
手のひらの中に、彼がいままで経験したほどのない威力が産み出されていることに気づいた。
――これは………………!
彼はかつて、子供ばかりを選んで殺す、快楽殺人鬼にこの技を使ったことがある。
だがその時ですら、これほどの威力は産まれなかった。
その、あまりの重量に、ぱたりと腕が地に落ちる。
「………………………………う、そ………………だ、ろ…………?」
――投げられない。
死にかけた彼が支えるには……彼女の”悪”は、あまりにも重すぎたのだ。
嫌な予感がする。
嫌な予感がする。
ひどく、とてつもなく。
自分たちが相手にしている、そいつの正体に。
今。
夜久、銀助だけが、気づいている。
――まさか……こいつが……!
”魔王”、なのでは。
「――ん?」
”仮面の女”と、目が合う。
何か、直感的に、嫌な予感がしたのかもしれない。
背筋が凍る。
これはもはや、自分一人の心にしまっておいてよい問題じゃない。
”サンクチュアリ”とか、”ランダム・エフェクト”とか、そういうチーム同士の諍いを超越した…………。
――伝えなければ。
仲間に。理津子に。”彼女”に。
それが、……彼の遺した、最期の想いだ。