その191 ドアノブ
殿を”獄卒”が務め、気を失ったアズサを銀助が背負い、理津子がそれをサポート。
三人とも、新手の刺客を意識してか、すこしぴりぴりしていた。
それでも、自然と口は開く。
”サンクチュアリ”の人間は、”終わらせるもの”を畏れている。
けれど、彼女の話題が大好きなのだ。
「銀さんってさ。……最初、”彼女”に喧嘩売って、ボコボコにされたよね」
「言わないでくれ、恥ずかしい」
そういう彼は、ぽりぽりと後頭部を掻きむしる。
「でもあの時の俺、もともと勝つつもりなかったんだぜ」
「……それ、前も聞いたけど。本当なの?」
「ああ。俺は最初から、”彼女”に”従属”するつもりだった」
「――――ふーん」
”彼女”と決闘した際、銀助がこんな台詞を吐いていたのを思い出す。
――負けたら負けたで、俺も友だちに加えてくれ!
と。
「でも、なんで?」
一度でも”従属”したプレイヤーは、その関係が解消されるまで、一切の敵対行動が取れなくなるという。
”プレイヤー”にとって”従属”は、己の人生を捧げるに等しい行為なのだ。
「あの時は、そうするのが善いと思えた。それだけさ」
「…………本当に?」
「ああ。それが……正義の行為だってな」
銀助はそこで、少しだけ言葉を切って。
「――いや。なんならいまも、そう思ってる。”サンクチュアリ”は、白。それ以外の”プレイヤー”チームのほとんどは、真っ黒か、黒に近い灰色だ」
「……………………」
世の中、そこまで単純じゃない。
けれど……最近の情勢を考えると、そう思ってしまうのも無理はなかった。
神様はどうも、自分たちのことなんてこれっぽっちも気にかけてない。
そんな中、清く正しくあることは、自然の摂理に反しているのかも。
けれど理津子は、こう思うのだ。
心が外道に堕ちるなら。
自分が自分でなくなってしまうのなら。――死を選んだ方がよっぽどマシだ、と。
「俺はこの世界で、”正義の味方”になりたい。それが俺の根っこにあるもの。……俺らしい、生き方だからさ」
呟くように言った、その言葉。
多田理津子はその後、何度もそれを、思い出すことになる。
――自分もきっと、そういうものになりたい。
だから自分は、強く在りたいのだ、と。
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奴が現れたのは、そんな会話の途中であった。
「………………………………………」
とくに、何か言葉を発することもなく。
ただ、路地裏の方から、”ゾンビ”のようにふらりと現れたのは――。
「…………ちょっと。あれ」
”仮面の女”であった。
全身、光沢のあるレザースーツを身に纏ったその女は、漆黒の髑髏面をこちらに向けながら、行く手を塞ぐように歩く。
「あなたたち」
その特徴的な猫なで声には、聞き覚えがあった。
以前も、聞いた声。
自分を殺した、女の声。
――間違いない。あいつだ。
理津子は、隣にいる銀助の袖をちょいちょい引っ張って、合図する。
「ん」
それで十分、伝わったらしい。
彼は、背中のアズサさんをゆっくりと地面に降ろして、
「きみか?」
”仮面の女”に話しかけた。
「…………その、人に、」
女は応えず、ただ落ち着いた口調で、訊ねる。
「――何をしたんですの?」
理津子はその時、とある人のことを思い出していた。
ちょうどいま、話題にしていたから、かもしれないが。
――この、感じ。
この、怒り方。
どこか、”終わらせるもの”に似ている。
そんな気がしたから。
「攻撃してきたのは、彼女から。我々は対応しただけだ」
銀助も、まったく同じことを考えたようだ。
早口で、こちらに非がないことを説明する。
「……だから――」
奇妙なことが起こったのは、その次の瞬間だった。
ふっ……と。
足下にいたアズサの身体が、地面へ向かって落ちていったのだ。
「――えっ?」
と、同時に。
理津子の脳内に、妙な情報が流れ込んできた。
▼
――”どこにでも行けるドアノブ”。
ヒトの意思が物理的作用を及ぼす力を、超能力と言う。
超能力の存在が科学的に立証されてからというもの、精神感応移動は22世紀の文化人における必須の特技となっていた。先進国ではこぞって精神感応移動の訓練を義務教育に組み込まれ、最大何キロメートルまで移動できるかを競うスポーツが大いに流行した。
”どこにでも行けるドアノブ”は、小学校低学年用の精神感応移動補助装置である。
これは、内部機構に特別な仕掛けが施されているわけではない、何の変哲もないただのドアノブだ。なぜこれに精神感応移動を補助する働きがあるのか、突き止めたものは誰もいない。
ひょっとするとこの世界は、何か、大いなる存在が見ている夢のようなモノに過ぎず、精神感応移動とはその大いなる存在がもたらした、ちょっとしたきまぐれのようなものではないか……そんな説が唱えられたが、これは黙殺された。
あまりにも突飛な発想だし、それが事実だとしたら、とても怖いからである。
▼
理津子は、ごくんと唾を呑む。
「――何?」
そう発言するのが精一杯だった。
いま、頭の中に流れ込んできた、妙な情報は……。
隣を見ると銀助も、同じようなカオをしている。
「いまの。理津子にも聞こえたのか」
「…………ええ」
聞こえた、というより……『情報が頭に流れ込んできた』という感じだが。
すると、後方にいた”獄卒”が追いついてきて、
「だとすると、妙だ。”プレイヤー”じゃない人間にまで……」
「……それにいまの……明らかに、いつもと違ったぞ」
「そうだな」
男二人が、深刻にうなずき合う。
「”アリス”の声じゃなかった」
「ああ。もっと無機質で……頭の中に流れ込んでくる感じ」
「何か、妙だ」
理津子には良くわからない……何かが起こっている。
自分にとって、だけじゃない。
”プレイヤー”にとっても、異常な出来事が。
ただ、理津子が理解したのは――捕らえたはずのアズサが、現れた”仮面の女”の足下に瞬間移動していること……そして、先ほど説明を受けたアイテム――”どこにでも行けるドアノブ”と目されるものが、彼女の手のひらに握られていること。
「………………!」
歯がみしながら、理津子は現れた女を見据えた。
それと、もう一つ。
”仮面の女”がいま、復讐に燃えていること。
いまから自分たちは、彼女と戦わなければならない。