その189 得意な仕事
「………………………………」
「…………なっ。なによ、あなた……まだ、やるの……?」
”アズサ”は、困惑した表情でこちらを睨め付けている。
「何をしてる。逃げろ」
そばで転がっている”獄卒”が、落ち着いた口調で諭した。
この男、片腕が吹き飛んでいるというのに、ずいぶんと冷静だ。身内に優秀な《治癒魔法》の使い手がいるのかもしれない。
「私のことはいい。さっさと逃げて、仲間と連絡を取れ」
「――いいえ」
理津子は、手に入れた新しい武器で、こつこつと床を叩いて、
「”不死隊”は、逃げない」
だいたい、ここで逃げたら生き埋めになった夜久銀助を助けられない。
「…………馬鹿ねっ」
アズサが、吐き捨てるように言う。
「わたしのウィルちゃんは……手加減が苦手なの!」
ピカッ、ピカッと、例の輝きが視界の隅をちらつく。
「――ッ!」
来る。
そう理解した理津子は、上体を大きく逸らして回避行動。
腹筋で上体を支える曲芸じみたポーズで、出現するはずの”何か”を観察する。
瞬間、顔のすぐ前に、強い熱量を持つ何かが現れた。
――これ……。前に一度、話だけ聞いたことがある。
確か名前は……”ウィル・オ・ウィスプ”。
光の精霊だ。
よく見るとそいつ、”空飛ぶ生首”とでも言うべき形状をしていた。
正直、かなりキモい。
『GAAAAAAAAAAAAAAHHHHHHHH』
現れたそいつは、明後日の方向に光の奔流を吐き出している。
――なるほどね。だいたいわかった。
その攻撃を、直感的に理解する。
光線による攻撃。
扇状の範囲。
レベル89の”戦士”の腕を吹き飛ばす威力。
まともに受ければ、助からない。
けれど……。
――見かけ倒し。攻撃する直前に、予備動作があるタイプ。強い敵じゃない。
そう思いながら、上体を起こして。
心の中にはいま、”彼女”の背中が浮かんでいた。
――あの人ならたぶん、鼻歌を歌っているだろう。
勇気が湧いてくる。
理津子は警棒の先を、アズサへと真っ直ぐに向けた。
「……もう一度」
「?」
「いまの、もう一度やってごらん。…………その時が…………あんたの友達が、死ぬ時よ」
凍てつくような口調で、事実を口にする。
”不死隊”は、人を殺さない。
けれど、それ以外のものは……平気で殺す。
「――そんなの……!」
「やってみないとわからない? いいえ、違う。私、あなたよりもずっと、戦い慣れてる。だからわかる。戦いの結果がわかる」
理津子は薄く微笑んで、そう告げた。
仲間たちから、”プレイヤー”顔負けと呼ばれている彼女の戦闘スキルは、精度の高いコンピューターのように、この後の戦いをシミュレートしていた。
「お願い。降参して。私、あなたを傷つけたくない。…………仲間に、怒られてしまうから」
真っ直ぐに敵の目を見据え……そう言う。
けれど、ダメだった。
むしろアズサの表情に、怒気が膨らんでいく。
多田理津子は、交渉ごとが苦手なのだ。
「…………ウィル――」
娼婦の、呟き。
それが合図となった。
「――お願い!」
ピカッと、光が瞬く。
その時にはすでに、理津子はアズサの眼前まで駆け抜けている。
「――ッ」
アズサと目が合う。
このまま突っ込めば……”獄卒”と同じ展開。
むろん理津子は、そうしない。
コンマ数秒ほど、敵の出方をうかがう。
すると、想定通りのことが起こった。
チカッ、チカッと二度、ウィル・オ・ウィスプの閃きが、こちらを追従するように追いかけてきている。
――”光の精霊”は、御主人様想いなのね。
もう彼女には、敵の動きが手に取るようにわかった。
素早く振り向き、精霊のいると思われる位置に、思いきり警棒を振り抜く。
ぶおん、と、得物が空を切る。
手応えは、まったくなし。
だが、
『GIEEEEEEEEEEEAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!』
ゆらめく蒼白い焔が、断末魔の悲鳴を上げた。
それきり《ウィル・オ・ウィスプ》は、霞のようにかき消えてしまう。
「――ウィル!」
アズサが、泣きそうな表情で叫ぶ。
「警告は、した」
一応、そう言って。
改めて、アズサの頭部に、警棒を振り下ろした。
彼女はそれを、辛うじて両腕で受け止める。
ごきり、と。
警棒を伝って、嫌な感触がした。
「――アッ」
か細い悲鳴が上がる。骨が折れたらしい。
無理もない。通常の”奴隷”は《骨強化》を獲得できない。
スキルによって強化された筋力の前でそれは、枯れ枝を構えたに等しかった。
「………………ごめんね」
そんな彼女の横っ面へ、もう一撃。
「………………ッ!」
その頬に、くっきりと赤黒い痕が生まれる。
「ああ…………ううう…………」
それで、十分。
「もう一発……いっとく?」
「ひっ」
アズサと名乗った娼婦は、すぐさま戦意を失って、その場でごろんと仰向けになった。
実に動物的な、恭順を示すポーズ。
「やめてっ。…………もう……いじめないで…………もう、……なにもしないから…………!」
その姿を、じっくり冷静に見下ろして。
――やれやれ。
戦意がないことを確信する。
彼女は、よく知っていた。
女性の心をへし折るのは、こうするのが一番効率が良いことを。
これは実際、興味深い心理的反応だと思う。
今どき、”プレイヤー”の力を得たものは、肉体的損傷をほとんど無視することができるのに。……人間だった頃の習慣が残っているのだ。
――この娘……きっと、”なりたて”なのね。
そう解釈して、理津子は倒れた女性に、手を差し伸べた。
「……………………それじゃ。……あとで事情を、教えてもらう。いいわね?」
「は、はい…………」
「約束したよ」
そして理津子は、その手を握り。
残った腕で、容赦なく彼女の側頭部に一撃、警棒を振り下ろした。
「――!」
アズサは一瞬だけ目を見開き……そのまま、意識を失う。
「………………一丁上がり、と」
ほっと一息。
やっぱり自分には、こういう形の交渉がいちばん性に合ってる。
そう思った。