その188 気楽な仕事
「――お前。”楼主”の手のものか?」
”獄卒”の口調は、淡々としている。
「………………………………」
女は応えず……徒らに露出面積の高い格好で、ゆらりと理津子たちの前に現れた。
ほとんど下着みたいな格好だが……《皮膚強化》をとった人間にとって、服などというものは所詮、飾りに過ぎない。
実際、目の前の襲撃者は、目のやり場に困るような服装でも構わず戦るつもりらしい。
「一応、警告しておこう。貴様と我々では、覆しようのない戦力差がある。――商売道具が傷つく前に、降参するんだな」
「………………………………」
返答、なし。
無視……というよりは「何を言えば良いか分からないでいる」という感じ。
現れたこの女、それほど場慣れしている訳ではなさそうだ。
理津子は一瞬、隣の男に目配せして。
――”獄卒”のやつ……この女の人を殺してしまうつもりかな。
ふと、心配になる。
”不死隊”の人間は、決して殺人に手を染めない。
もしそうしてしまったら、”不死隊”として活動できなくなる決まりだ。
これは、当然の判断といえる。
無限の命と、限りある命。どちらを優先すべきかは明白だった。
例えそれが、敵の命であれ……。
――その魂が悪に堕ちるなら……永遠の眠りを覚悟せよ。
その覚悟があるものだけが、”不死隊”となる。
多田理津子も当然、そのつもりだ。
「そんな、怖い目をするな」
深刻な表情に気づいたのだろう。
”獄卒”が、皮肉っぽく笑って、答えた。
「私だって、無意味に人の命を奪うのは好きじゃない」
「……そう」
敵前でする話ではないが……理津子にとっては、大切なことだ。
「だが――、友人に裏切られたのは……少しばかり、堪えた」
そして男は向き直り、
「もう一度だけ聞くぞ。貴様、”楼主”の命令で待ち伏せていたのか?」
するとようやく、女が口を開いた。
「ちがっ、――……ちがうわ。”楼主”様は――関係、ない。ぜんぜん」
「…………そうなのか?」
「わたしは……『魔性乃家』で、アズサって名前で働いてる女。……今日は……あなたたちが追ってる女の子のために……きたの」
”獄卒”の眉間に、くっきりと深い溝が生まれた。
「つまり――こういうことか? 貴様はいま、個人的な理由でここにいる」
「うん」
「信じられんな。普通の女が、爆発物を使えるとは思えん」
”爆発物”というのは、さっき閃光を放った何かのことだろう。
「……………………使えるから、使ったの。それだけ」
「正直に言え。貴様、”楼主”に命令されてきたんだろう?」
「いいえ。違う」
アズサは、屹然とした目つきで、こちらを睨み付けている。
「わたし、あの娘の友達。……だから、ここにきた。それだけ」
「…………ちっ」
男は舌打ちして、制帽を少し持ち上げ……短く刈り込んだ髪を撫でた。
「信用ならんな。身体に聞くしかなさそうだ」
「やってみなよ。こちとら、客とのプレイで慣れてる」
「………………」
やはり、こうなるのか。
嘆息しつつ、理津子は”獄卒”と距離を取る。
”戦士”の戦い方は、実にシンプルだ。
突撃して、ぼこぼこにぶん殴る。猪武者のスタイル。
きっと彼もそうだろう。
そして”獄卒”は、懐から金棒――ならぬ、警棒を取り出す。
アルミ合金製のそれは、伸縮式で、長さ1メートルほど。
警棒と言うには、少し長すぎる形である。恐らく特注品だろう。
戦闘準備を完了すると同時に、”獄卒”が軽く、地面を蹴った。
――早いな。
理津子は、彼の動きを目で追いながら、そう思った。
きっと、普段から喧嘩慣れしているのだろう。動きに迷いがない。
警棒の先が地面に擦れて、ちりりと赤い火花が散る。
「――――ッ!」
目にも止まらない速さで、横薙ぎ一閃。勝負あり。
……そのはずだった。
だが結論から言うと、そうはならなかった。
ピカッ、ピカッと、先ほども見た光。
「…………あ」
瞬間、理津子は、なんとなく今後の流れを予測した。
――彼の負けだ。
強烈な光の奔流と、耳をつんざく衝撃音。
「が、あッ!?」
”獄卒”の特製警棒が宙空をくるくると舞い、理津子の足下に転がる。
警官のコスプレをした男が、壁際まで吹き飛ばされた。――利き腕の、肘から先が吹き飛んでいる。
「…………いッ……! 今のは……!?」
とはいえ気丈にも彼、まだ意識はあるらしい。
芋虫のように地を這いながら、必死の形相で敵と距離を取っている。
対する”アズサ”とやらは、ほとんど半泣きで、
「や………………やった! ウィルちゃん!」
すると奇妙なものが、彼女のすぐそばに浮かび上がった。
蒼白い焔と――その中に浮かぶ、ぎょろりとした二つの眼球。
――なに、あれ……?
眉をひそめて、その様子を伺う。
するとその焔は、溶けるように空気中へ消えてしまった。
訳が、わからない。
敵は、ごく普通の”奴隷”じゃなかったのか?
一応、ああいうシロモノの存在は、聞いたことがある。
”精霊使い”と呼ばれるプレイヤーが使役すると言われる……”精霊”の類だ。
――マズいな、これ。
眉をしかめる。
どうやらこの仕事……一筋縄ではいかなそうだ。
アズサは金切り声を上げながら、こう叫ぶ。
「……ここから立ち去りなさいッ! それなら……もう、攻撃、しない!」
「………………………………」
理津子は、応えない。
無言のまま、足下に転がっていた警棒を拾い上げる。
「はやくっ。仲間のところに帰れっ」
「………………………………」
内心、ほっと胸をなで下ろしている自分がいた。
――この、仕事は……。どうやら、交渉の余地がなさそうね。
で、あれば。
思うまま、暴力を振るって良いということで。
気楽な仕事だ。
少なくとも、コミュニケーション能力を試される仕事よりは、よっぽど――自分の性に合っている。