その16 感謝の気持ち
『兄貴。……兄貴、なんだよな?』
PC画面の中の弟に、僕はマウスを上下に振って首肯する。
『そっか。よかった。それにしても、すげー格好だな』
実にわかりやすく、チラチラと豪姫の乳を見つめる亮平。
……女子って、男の視線をこういう風に感じていたんだな。
『とにかく、こいつを家に入れればいいんだっけ。ホントに大丈夫なのか?』
再び首肯する。手筈通りだ。
彼に案内させて鉄門を開け、二人揃って我が家に移動する。
玄関の方から音がして、そこで僕は足早に階段を降りた。
するとそこに……、いた。
高校の卒業式以降、一度も顔を合わせなかった同級生。
あの、狩場豪姫が。
――ねーねー、修学旅行の自由行動、あたしらのグループに入らない?
――良かったな! 少年。ねんがんのハーレムだぞ。
――無理してるかって? 別にしてないけど。
――でも、あんただけ先生と回るってのは……。なんか哀しいじゃん。
記憶のフラッシュバック。
眉間を、ぐにぐにと揉む。
『あー。うー』
彼女は今、生前の活発さを忘れ、何ごとにも興味を失った様子でぼんやり虚空を見つめている。
単純に、僕は思った。
美しい、と。
ただ、不思議とエロティックな感じはしない。
血の気が消えた白い肌が、どこかマネキンめいているからか。
何にせよ僕が感じていたのは、名画の中の裸婦を眺めているような、そういう、荘厳な気持ちだった。
「生きてるようには見えんが、死んでるようにも見えないな」
「ああ。……すげえな。これが女の裸かぁ」
もっとも、弟の方はそうではないらしく、鼻の下を伸ばしている
とりあえず僕は、豪姫の目の前でパチンパチンと指を鳴らして、”ゾンビ”としては完璧に無害化していることを確認する。
そして風呂場に連れて行き、まずは汚れた足をペットボトル入りの水でさっと清めてやった。
隣で少しそわそわしている弟に、
「亮平。悪いが母さんの服を持ってきてくれ。なるべく動きやすいのを」
「あ、ああ……」
「それと、櫛もいる。下着もな。ブラジャーは……彼女の場合、いらんだろうが」
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その後、童貞二人、あーでもないこーでもないと不器用な手つきで服を着せる作業を挟んで。
Tシャツの上に厚めのジャケットを羽織らせて、下は黒のジーンズ。軽く櫛ですいた髪の毛の上に、キャスケットを深めに被せる。
痩せ気味だった母と体格があまり違わなかったことには助けられた。
豪姫は今、少なくとも見た目だけでは生者と変わらないように見える。
「ふむ……。だがまだ少し、血の気が薄いな。もう少し厚めの化粧をした方がいいかもしれない」
「ちょっと。――ちょっと待ってくれ、兄貴」
「ん?」
「ところでさっきから俺たち、何やってんだ?」
「そんなの決まってるだろう。彼女に服を着せてやってるんだ」
「そりゃわかるけどさ。なんで?」
なんで、だと?
少し考えればわかることじゃないか……と言いかけて、悪い癖が出ていることに気付く。
何ごとも、ちゃんと言って聞かせなければ人は動かない。
「彼女には、――今後、人間のフリをして行動してもらう」
「そんなこと、できるのか?」
「ああ。というかぶっちゃけると我々は、そうする必要があるのだ」
「なんで?」
「理由はいくつかある。一つ言うなら、その方が経験値稼ぎに有用だからだ」
「経験値?」
僕は、簡単に事情を説明する。
――”プレイヤー”って連中がいてな。そいつらは基本、生き物を殺したり、人に感謝されるなどして経験値を稼ぐ。んで、レベルアップして、強くなっていくわけよ。
という、アリスの言葉について。
「詳しくはいろいろと検証してみなければわからんが……今後、経験値稼ぎにおいて、”人に感謝される”ということがキーになっていくと思う」
「感謝……か」
そこで、弟もなんとなく僕の言いたいことを察したらしい。
「そうなると、僕の能力は大きなハンディキャップを背負うことになる」
「そうだな。……誰も”ゾンビ”なんかに感謝はしない」
「うむ」
わざわざ、アリスが”感謝”などという言い回しを使ったことが気になる。
人から”感謝”されるためには、いろいろな条件が必要だ。
ピンチの時に駆けつけてくれた相手によっても、想いは異なる。
絶体絶命の時、――スパイダーマンが駆けつけたか、ゴジラが駆けつけたか。
前者なら彼をヒーローと崇めるだろう。
しかし後者の場合、自分の幸運を喜ぶだけかもしれない。
「そっかそっか。恐ろしい怪物よりも、見目麗しい女の子に助けられた方が……」
「ああ。感謝の度合いは大きいだろう」
「そっか」
亮平は納得して、腕を組む。
「難儀な能力だな、兄貴のそれも。女神様だって、せっかくなら無敵のチート能力で無双して、女抱きまくってガハハ、みたいな力を授けてくれればよかったのに」
僕は少し嘆息して、
「わかってないな。亮平」
「?」
「これはゲームだ。人間というコマを使って遊ぶ、神々のゲーム」
「……」
「で、あれば、不正行為が許されるはずはない。ゲームは公平でなくてはつまらないからな」
「そりゃわかってるよ」
弟は、唇を尖らせる。
「でも、……それでもさ。あんたなら、盤面をひっくり返す方法を知ってるんだろ」
「…………」
応えない。それを弟に話したところで、仕方がない。
「兄貴はこれまで、どんなゲームの攻略法だって、見つけてきたじゃあないか」
「当然だ。珍しい才覚ではない。それがゲーマーというものだ」
話を打ち切って、二階へと向かう。
やるべきことは山ほどあった。
――とりあえず、他にも何体か”ゾンビ”を味方につけよう。
そうして武器を手に入れ、物資を手に入れる。
そして、……”ゾンビ”の軍団を作るのだ。
「僕は次の作業にうつる。豪姫はここにおいていくけど……亮平、万が一にも、手を出すんじゃないぞ。”ゾンビ”になりたくなければな」
「わかってるよ」
亮平は大きく嘆息した。
「兄貴ひょっとして、おれのこと、かーなーりー馬鹿だと思ってない?」
「うん。思ってる」
素直に頷いて、
「仕事が一区切りついたら、先ほどの”ゾンビ”戦の反省会を行う。覚悟しておきなさい」
厭な表情を作る弟に背を向ける。