その15 1対5
左手で豪姫を操作しながら、右手でくいっと眼鏡の位置を直す。
勝負に挑む前の癖だ。
『ぐるぁッ! ぐるぁッ! があ!』
こちらに向かっている敵の一匹……もっとも足の速い個体が、威嚇の声を上げた。
幕末の頃、数では圧倒的に劣る維新志士が使った手段では、まずいったん敵から逃げ、追いついてきた足の速い者から順番に幕末スラッシュをキメていたという(漫画知識)。
特に”ゾンビ”たちはそれぞれ、損傷箇所によって動きがまったく違う。その戦法を活かすのは難しくなかった。
膝が骨折しているのか、ほとんど歩けていない”ゾンビ”。
右足首が変な方向に曲がっている”ゾンビ”。
怪我はないようだが歩く速度が遅い”ゾンビ”。
頬が裂けているが、ほぼ健康体に近い”ゾンビ”。
最も足が速いが、右腕が根本から欠損している”ゾンビ”。
みんな違って、みんないい(皮肉)。
幸いなことに連中は、おおよそ一列に並んでくれている。
ならばこちらは、順番にその脳天を破壊していけばよい。
僕はまず、最初に突撃してきた”ゾンビ”の頭部を左クリック。力を溜めている間に、全神経を集中して敵の頭部にクロスヘアを合わせる。
FPSで言うところのリコイル・コントロールに近い操作で、僕は敵の顔を恋人のように注視した。
そして、――
どっ、という音がして、目の前の”ゾンビ”の頭が潰れ、その眼窩からエビのように目玉が飛び出る。
「――ははッ」
少しシュールな絵面になって、不謹慎な笑い声が漏れた。
とはいえ、まだ勝負は一回の表。
一匹目の沈黙を確認すると、僕は素早く、次の敵に向き直る。
僕はそいつの脳天目掛けて、先ほどと同じ行動を繰り返す。
一度やったことをもう一度やるだけ。
個人的には得意中の得意分野である。
仕事は大過なく終わった。
「ふたつ。次」
さらに、ぺしゃんこになった死骸をもう一つ。
「みっつ!」
これであとは、身体の損傷が激しい個体のみ。
――勝った。
そう確信した、その時だった。
『があっ!』
それまでずっと足を引きずっていた”ゾンビ”が、蝗虫のように跳びはねたのは。
やつが跳躍したのは、驚くべきことに二メートル以上。
油断していたわけではない。
だが、その不規則な動きに、僕は一瞬だけ思考を停滞させる。
「――ッ!」
こういう時のため、指が自動的に動くよう訓練していなければ、たぶんやられていただろう。
シフトキーを押しながら、Sキーを入力して後退。
同時に視点を左に向け、身体を横向きにする。
ぎりぎり、敵の動きに対応することができた。
右足を損傷していた”ゾンビ”は、コンマ1秒前まで豪姫がいた場所を掠めて、ぐしゃりとアスファルトに横たわる。
――頭部、から、目を逸らすな……!
僕は、その後頭部目掛けて、既にドス黒い血にまみれていた石を振り下ろした。
「よんっ!」
ぐしゃ、と音がして、それきり敵は沈黙。
だが内心、焦りがある。
ここまでうまくやれたのは、自分のテンポで作業を進められたから。
いま豪姫は、最後の一匹の攻撃に、完全に無防備になっていた。
優れたゲーマーとそうでないゲーマーを分ける一つの指標として、「詰み」を読むスピードの違いがある。
諦めた訳ではないが、その時の僕は正直、あらゆる可能性の中から”絶望”の二文字を読み取っていた。
少なくとも、防御に使うためどちらか片腕は犠牲にしなくてはなるまい。
「くっ……」
また僕は、護るべき者を護れないのか。
内心、忸怩たる想いになりながら、しかし、襲ってくるはずの”ゾンビ”はいつまで経っても現れない。
不思議に思って見ると……なんと言うことだろう。
我が愚弟にして、弱虫の亮平が、最後の一匹と戦っているのだ。
わざわざ、安全な我が家の囲いから出て、である。
『このやろ! このやろ!』
彼は今、奪い返したシャベルを使って、足元で這いずっている”ゾンビ”の胴体をぽかぽかと叩いていた。
「馬鹿者め……っ」
敵はほとんど機動力を失っているとはいえ、万が一のことがあるというのに。
”ゾンビ”どもの血だまりでズボンを汚した彼は、ひいひいと喘いでいる。
「それにしても、――あの戦い方」
まるでなっていない。
”ゾンビ”と戦うのであれば、胴体への攻撃はほとんど意味がない。
それに、やるなら叩くよりも突く方がよっぽどいい。
「これは、……あとで説教せにゃならんな……」
しかし。
とは、いえ。
あいつがそれなりに、責任感を持って戦っていること。
その一点だけは、評価してやることにする。
弟はそこでようやく僕が操作する”ゾンビ”の視線に気付いたらしく、慌ててショベルを放り投げた。
それに向けて、正確にEキー。
豪姫が空中でキャッチする。
そして、幼い子供にマリオの動かし方を教えるように、丁寧な手つきで最後の一匹を仕留めた。
これで、五つめ。
「ふうっ」
PC前で、深呼吸する。
何にせよこれで、この辺りの安全は確保できそうだ。