その160 雛罌粟雪美という少女
ここで、雛罌粟雪美について、少し語っておこう。
彼女はある種の、狂人である。
雪美はずっと、自分自身で答えを見つけられない子だった。
歩く時。右足から歩き始めるか、左足から始めるべきか。
パンをかじる時。バターから塗るべきか。ジャムから塗るべきか。
ドアノブを捻るとき。右に捻るべきか。左に捻るべきか。
二者択一の問題は、まだいい。
迷った時は、コイン。
最悪でも、それで決めることができる。
問題は、三つ以上の選択肢の中から、何か一つを選び取らなければならない時。
いつ。
誰と。
どこで。
なぜ。
どのようにして。
近所にあるレストランから、たった一つを選択するだけでも、彼女は思考停止してしまう。人形のように、かちかちに固まってしまう。
……だから。
自分は、たぶん。
この、――ゾンビに溢れた世界では、生きていけない。
朝起きて。
渋谷にゾンビが現れて。
世界が変わってしまったとき、そう確信した。
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『はあはあはあはあ! なるほど』
そんな雪美の悩みを、”魔女”アリスは、にこやかに聞く。
『おぬし、面白い奴じゃの。その生き方じゃ、平時でもキツかろ。今までどうやって生きてきた?』
「たいていの場合は、母が指示をくれました」
そして取りだしたのは、一冊のノート。
「もし、こういう疑問に苛まれたら、このように行動しなさい」という、”ルールブック”。
その内容はどこか、コンピュータのプログラムめいていて……同級生から彼女は、こんな風に呼ばれている。
ロボ子、と。
『へえ。ちなみにその、親御さんは?』
「いまはゾンビの、お腹の中です」
『ほう。そっか』
それは、都合が良い。
言外にそう匂わせながら、『ふふふふふ』と笑うアリス。
雪美も別に、それを咎めようとは思わない。
母親から受け取ったノートには、そういう時の振る舞いについて、書かれていなかったから。
『それならお主には――”剣闘士”の力がぴったり、じゃの』
「剣闘士、ですか?」
古代の、奴隷戦士。
どこか、泥臭いイメージ。自由のために戦うイメージ。
”ロボット”である自分とは、水と油みたいに思えるけれど。
『この”剣闘士”には、とあるおまけがついておる』
「ふむ」
『……雛罌粟雪美にとっての、”主”とでも呼ぶべき存在。命令を下す存在だ』
「命令、ですか」
そうか。
思ったより、自分にぴったりかも。
ロボットには、人間の御主人様が必要だ。
『おぬしはこれから、テレビ・ゲームに登場する、プレイヤー・キャラクターのようなものとなる』
「ふむ」
『安心して良い。その際、自我は決して、失われない』
「はあ」
それは別に、どうでもいいけど。
『……うふふふふ。おぬしいま、「それは別に、どうでも良い」と思ったな?』
「はあ」
『ふふふ。ふふふふふ! 面白い! お主、この辺に住んでる”プレイヤー”の中でも、ぶっちぎりでイカレてるぞ!』
「そりゃどうも」
他人事のように、頭を下げる。
褒められたときはそうしなさいと、母に言いつけられていた。
『では、覚悟はいいようだな? お主これから、結構、不自由な生活だぞ。念のため、報告しておきたい相手などは、いないか?』
「いません」
『で、あれば。――与えよう。”プレイヤー”の力を……』
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それからだった。
雪美の頭に時折、とある女性の声が、聞こえるようになってきたのは。
――もしもし。
――もしもーし。
――聞こえますかー?
――私、あなたの生きている……その。
――ちょっとだけ未来の時間から、声をかけています。
――よろしくー。
――これから時々、あなたに助言したり……。
――あなたの代わりに、発言したり……。
――あなたの身体を、借りたりしますけどー。
――よろしくー。
テレビゲームの、キャラクター。
アリスはそう、簡単に説明した。
その言葉の意味を、雪美はそこで、思い知らされている。
「あなたの……名前は?」
――”終わらせるもの”と、お呼び下さい。
「終わらせる、もの……」
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――まず……そーですね。武器を手に入れるところから、初めてみましょーか。
――実績報酬の、”救援物資”を。
「実績報酬? 救援物資?」
――べつに、大したことをする必要は、ありません。
――適当に、その辺のコンビニから、いろいろな物資を持ち込めばいいだけ。
――かんたん! みんなには感謝されるし、良いことづくめ!
「なるほど」
――他にも……いくつか、必要なアイテムを手に入れていきましょう。
――ご安心ください。私は経験者ですので。
――ばっちり、雪美さんをサポートしますよ!
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――つぎに……あなたに必要なのは……ふむ。
――”幸運のコイン”、とかかしら?
――ねえ、”賭博師”さん。”幸運のコイン”って、どうやって手に入れたんですっけ? ……”金貨”じゃなくて、”コイン”のほう。縁さんがパクったやつじゃない、本物の……そうそう、それ。
「え? とばくし?」
――ああいえ。こっちの話です。おきになさらず。
「はい」
――ではでは。一つずつ、課題をこなしていきましょう。
「了解です。”終わらせるもの”」
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――じゃ、いい感じにレベルも上がってきたし……。
――お次は、いい感じの仲間でも、見つけましょっか。
「仲間……ですか?」
――そうそう。一人より二人。二人より三人です。
「しかし……可能でしょうか。私のようなものに……」
――できますよ。雪美さんは、とっても魅力的ですから!
「そう、ですか?」
――ええ。……設定上……はいはい。そうですね。”魅力値”高め。顔が良い。いけますいけます。
それに、この時期にプレイヤーになった人って、もの凄く心細いんです。
かるーく声をかければ、すぐ仲良くなれますよ! ちょろい!
「……なるほど。でもいったい、誰に?」
――たしかアリスは、こう言っていたんですよね?
――その辺りにはもう二人、”プレイヤー”がいるって……。
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――うん、うん。いい感じ。
――いろいろありましたけど、仲良し三人組になりましたね。
――飯田保純さんには、申し訳ないことになってしまいましたが……。
――こいう悲劇を避けるためにも。……もっともっと、強くなりましょう。
――それじゃあ、次は……。
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――”ゾンビ使い”に関しては……謎に包まれてます。
――ぶっちゃけ私も、面識はないんですよね。彼と。
――でもきっと、悪い人じゃないと思います。
――戦うにしても、決定的な敵対はしないこと。
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――いま戦った、あいつですか?
――私たちの時代では、”飢人”と呼ばれている怪物です。
――プレイヤーがゾンビ化し、”変異”したもの。
――やつらは、精神の一部、あるいはその大半を、”魔王”に乗っ取られた状態。
――あなたたちの、敵です。
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――え? 美空さんが、指から出た水を飲んじゃった?
――あら、まー。
――でも、大丈夫。心配することはありませんよ。
――たぶんそれ、《水系魔法Ⅰ》で出した液体かと。
――たんなる栄養水です。
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――神園優希さん、ですか……。
――彼女は、要注意人物です。
――あの人、ノンケだろうがなんだろうが、構わず食っちまうような人なので。
――かくいう私も、いぜん迫られたことが……。
――ごほんごほん。
――まあ、あの優希さんとは、ちょっと違う人生を歩んでいるようなので……平気じゃないですか?
――たぶん。
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『ドラえもん』というアニメを知っている。
自分なんかより、よっぽど人間らしいロボットのアニメだ。
”終わらせるもの”の存在は。
雪美にとってのドラえもん、そのものだった。