その152 死の匂い
起こって欲しくなかった。
こういうことだけは、起こって欲しくなかった。
とはいえ、心備えがなかったわけじゃない。
少し前に獲得した”実績”の報酬を……ここで使う。
「”スキルだま”の、《格闘技術》を……!」
そう、相手に聞こえない声で呟き、手のひらにガラス玉めいた球体の重みを感じる。
すぐさまそれを、思いっきり握りしめて。
その、次の瞬間だった。
《格闘技術(強)》と、《必殺技Ⅰ》のスキルを、五分間。
むろん、実験したことはない。
それがどういう事かもわからない。
だが少なくとも、身体は自然と動いてくれた。
これまで僕は、この手の暴力からなるべく身を避けて生きてきた。
だから、殴り合いの喧嘩など、ほとんど経験がない。
けど、スキルの力を得た僕は、違っていた。
ほとんど直感的に、どのように体勢を立て直すべきか、どのように戦えば良いかがわかる。
相手の身体の、最も弱い部分がわかる。どこを殴れば、効率的に敵を倒せるかが。
「……………………ッ!」
部屋に飛び込んできた奏さんは、何だか驚いたような顔をしている。
事情があるのかも知れない。そう思ったが、話し合いをしている余裕はなかった。――何せ彼女は、銃を持っている。
バネ仕掛けのように立ちあがると同時に、固く握りしめた拳を、彼女の鼻っ柱に打ち込む。
一発。彼女の体重から推測して、それで十分、ノックアウトできるはずだと確信していた。
「ま、まって!」
だが彼女は、驚くべき身体能力でそれを回避する。
もちろんこちらは、「待って」いる訳にはいかない。
そのまま抱きついて、羽交い締めにしようとする。
「ちょっと!」
しかしそれすら、両腕が空を切るだけだった。小柄な彼女は、僕の行動なんてお見通し、とでも言わんばかりに身を躱し、ひょいっと僕の背後に回る。
「落ち……ついて!」
背中に一撃、蹴りが入れられた。
体重の乗っていない、軽い一撃。だが、体勢を崩していた僕の身体は、それだけで前のめりにすっ転ぶ。
ごろんとフローリングの床にぶっ倒れ、一秒ごとに、血と体力が失われていくのがわかった。
「この……!」
せめて、一矢報いる。
振り向いて、とにかく反撃しようとした僕の目に飛び込んできたのは、”メイドロボ・よし子”の姿だった。
『ドリャアアアアアア!《マーシャルアーツ》+《こぶし》! (*_*)』
いけない。お前では勝てない。
そう叫びたかったが、残念ながら僕の言葉は、喉に詰まるばかり。
奏さんは、振り向くこともせず拳銃をよし子に向け、その引き金を引いた。
『きゅう~…………(>_<)』
それ一発で、よし子はその場にぶっ倒れる。
その絵面には、妙な既視感があった。
僕が、彼女の”メイドロボ”にしてやったのと同じことだ。
「……………………………!」
目を見張っていると、奏さんは、改めて僕に拳銃を向ける。
「お願い。動かないで」
その声はもう、懇願するような口調になっていた。
だが残念ながら、それを聞き入れるには、彼女は一線を越えすぎている。
僕は、必死の形相で立ちあがって、最後の抵抗……《必殺技Ⅰ》を試みた。
すると両腕に、得体の知れないオーラめいたものが出現する。
――これで殴れ……ってことだよな。たぶん。
感覚的にそう判断した僕は、再び奏さんに飛びかかった。
「……ちっ」
たぶんここで、僕は死ぬだろう。
そう思う。
だが、負けが決まったゲームでも、最後まで足掻く。
それが、ゲーマーの矜持だ。
意識が途切れるまで、戦い続ける。
僕は、熊のように両腕を広げ、奏さんの両肩を殴りつける。
奏さんはそれに、早撃ち一発で応戦。オーラに包まれた僕の右手のひらが撃ち抜かれた。
「………………ッ」
再び、床の上にひっくり返って。
僕は、吹っ飛ばされた右手に一瞬だけ目配せした。
血は、出ていない。撃たれたにもかかわらず。
――手加減した?
その事実を頭の隅っこで考えて……そして、腹部の激痛により、感情が制御できなくなる。
何でもいいから、目の前のこの娘を排除しなくては。
そうしなくては、僕はここで、きっと死ぬ。
いわゆる、死に物狂いというやつだ。それをやるのだ。
僕は、《必殺技Ⅰ》が発動しているもう一方の手で、彼女に反撃。
「…………――!」
かぎ爪のようにした手のひらで、その上半身を引き裂こうとする。
だが、その攻撃もやはり、紙一重でかわされた。
奇跡は、起こらない。勝ち目がない。
これから、同じことを百回繰り返しても、きっと僕の手は届かない。
――彼女、普通じゃない。
恐らく、回避能力を強化するスキルだ。
考えてみれば、奏さんは「一撃でも攻撃を当てた方の勝ち」と言っていた。
冷静に考えるとそのルール、かなり危うい。
もともと彼女、攻撃の回避が得意だったから、そういう提案をしたのだろう。
「こんちくしょー」
そう、吐き捨てるように言いながら、奏さんが飛びかかってきた。
素早い。対応できない。
一瞬にして、少女が僕の身体を、猫のようによじ登った。
「――!」
何が……?
混乱していると、少女の股間が、顔面に押しつけられた。
ちょうど、子供がお父さんにじゃれついているような格好だ。
僕はというと、
――石けんの匂いがする。
とか、そんな風に思っている。
冗談ではない。
死を覚悟したその時、僕は、少女の甘い匂いを嗅いでいた。
何かの、悪い夢だと思った。
「まじ……ごめんっ!」
その、次の瞬間だったと思う。
がつん、と。
至近距離から、後頭部が大きく揺さぶられて。
どうやら一発、弾丸で撃たれたらしい。
――ここ……までか。
僕は、僕の庇護下にいるあらゆる仲間たちのことを想いながら、猛烈な勢いで近づいてくるフローリングの床を、見守っていた。
――亮平。すまん。
僕は、ここで終わる程度の……お兄ちゃんだったよ。