その13 狩場豪姫
それは、今から十数分ほど前。
強い”ゾンビ”の個体を探して、生け垣から通りを見張っていた時のことだ。
「む?」
道行く”ゾンビ”たちの中に一匹、奇妙な個体を見かける。
さらに、その顔に見覚えがあることに気付いて、
「なん、だと……」
思わず僕は、心臓をわしづかみにされたような気持ちになった。
蒼白い肌に、どこか哀しげな表情のその”ゾンビ”の顔に、――見覚えがあったのである。
狩場、豪姫。
高校時代の同級生だ。
とはいえ、彼女との直接の繋がりは薄い。豪姫は僕のような者とは対極に、いわゆるクラスの中心的人物で、みんなのムードメーカーだった。
少し幼げな体格と性格の彼女だが、その子猫を思わせる美貌に、隠れファンも多かったと聞く。
――この近くに住んでいるとは聞いていたが。……いや、それより。
僕は何より、今の彼女の格好に目を剥いていた。
豪姫は今、一糸まとわぬ姿、……要するに素っ裸だったのである。
全裸の”ゾンビ”。
そのインモラルな響きに、思わずごくりと喉を鳴らす。
だが、何故?
どうして?
何が起これば、そんなひどい状況になる?
想像すらできなかったが、正直知りたくもない、という気持ちもあった。
何にせよ、彼女の身に尋常ではない何ごとかが起こったらしい。
その結果として今、全裸で”ゾンビ”化し、とことこと通りを徘徊している。
即座に「彼女だ」と決めたのは別に、合理的な理由があったからではない。ただ、豪姫をあのままさらし者にするのは、あまりにも可哀想に思えたのだ。
「とはいえあの格好では……他の”ゾンビ”に見つかったらすぐ殺されてしまうな」
僕は少し考えて、いま操作している女”ゾンビ”を動かし、適当な小石を拾う。
そしてそれを、豪姫だけが気付くよう、控えめに投擲した。
『うううううう…………あ? あああああああ……』
小石に気付いた彼女が、ふらふらとこちらへ近づいてくる。
もう一度、小石をぽいっと。
『あああ、あ、あ、あ、あ………』
これを繰り返して、彼女がその他の”ゾンビ”たちの死角に移動したことを確認してから、――ESCキーを押し、豪姫を制御下に置く。
「よし」
ほっと一息。
とはいえ、まだ安心はできない。
できることなら五体無事で、彼女を我が家に案内してやりたかった。
――おっす灰里! 何の本読んでんの?
――へーえ? 夢野久作……『ドグラ・マグラ』……?
――って、わあ!? なんだこの表紙! えっろ! 思春期だからってエロもほどほどにしないと、警察に捕まるんだぞっ!
僕の脳裏に、かつて彼女に言われた言葉が鮮やかに蘇る。
個人的には、豪姫に特別な感情を抱いていたわけではなかったが、――誰とでも分け隔てなく話す彼女には、何度か世話になったことがあった。
「それにしても……」
道路反射鏡にて豪姫の身体を確認したところ、”ゾンビ”の噛み跡一つないのが、少し不思議だ。
あるいは世を儚んで、――自ら”ゾンビ”の体液を呷った、のかも。
自分の美しい身体に、傷がつくことを恐れて。
だとしたら、本物の大馬鹿者である。
彼女は……、いい人だったのに。
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「とにかく、ちゃんとした武器さえあれば、五匹程度の”ゾンビ”はすぐに始末できるからな。お前は基本的に、僕の制御下にある”ゾンビ”に武器を渡すことを第一に考えてくれ」
「ああ……」
「もちろん、お前の働きも頼りにしている。適当に騒いで、目の前の”ゾンビ”を釘付けにするんだ」
「お、おう……」
亮平は少し視線を落として、
「でももし、連中の手が届きそうになったら……」
「我が家の塀の高さを忘れたか。3メートル半はある。連中の手は届かない」
「ジャンプしたりするかも」
「そんな”ゾンビ”は見たことがない」
僕が操作している個体は別だが。
「……なあ亮平。本当に大丈夫か?」
「え? ああ」
弟の表情にはしばし、”恐怖”の二文字が刻まれていたが、――強がってか、それ以上情けないことは言わなかった。
「手渡す武器は……そうだな。そのショベルがいい。戦時下でも武器として使われたというし」
「わかった」
「いいか。その場でぴょんぴょん跳ねている素っ裸の女”ゾンビ”が味方だ。そいつに武器を投げるんだぞ」
「は、裸の女、ね」
そして、眉を少ししかめて、
「……了解だ」
▼
それから五分もせず、弟は準備万端でポジションに着く。
その姿を僕は、PCモニター上の狩場豪姫視点で見守っていた。
道路の先に見える我が家。……その塀の上に、不健康そうな顔面の男が一人、立つ。
彼はまず、ショベルを両手に掲げて、何ごとか叫んだ。
『~~~~~ッ! ××××! ×××××! ×××!』
口の動きでわかる。
たぶん「お前の母ちゃんデベソ」とか、そういうやつだろう。
すると、その場にいる”ゾンビ”たちが一斉にそちらを振り向いた。あるいはみんな、母親のヘソの形状にコンプレックスを抱いていたのかも知れない。
『ヴァアアアアアアアアアアアアアアアッ!』
ここまで聞こえてくる絶叫と共に、連中が手を挙げる。
届かないとわかっていながら、ヤツらは目の前の新鮮な肉に意識を奪われていた。
「よーしっ。うまいぞ」
素早くシフトキーを押しながら前進。豪姫は裸足だったが、さすが高校時代はスポーツ万能だっただけあって、その動きは素早い。僕はそのまま我が家の前に移動し、スペースキーを連打。弟に合図を送る。
想定外の事態が起こったのは、その時だった。
『わ、……わああああ……、は! 離せ、おい!』
弟の悲鳴が聞こえたのは。
見るとあの馬鹿、足元に群がる”ゾンビ”にシャベルを掴まれてしまっている。どうやら欲張って一発くれてやろうとしたところを捕らえられたらしい。
『くそっ、くそっ、くそっ……』
――何をやってる。
――そんなものはくれてやったらいいだろう。
――武器なら他にもあるだろ。
だが、壺の中の餌が欲しいあまり手が抜けなくなっている猿と同様に、今の弟にとっては「武器をくれてやる」ということは想像もできないらしい。
「阿呆めッ。運ゲーばっかりやるから、思考が凝り固まるのだ!」
理不尽な怒り(ほぼ私怨)も沸いてこようもの。
直接声をかけてやろうかとも思ったが、困ったことに僕の部屋はゲーム配信に特化しており、完全防音だ。随分前に固定した窓も、そう簡単には開かなくなっている。
どうする…………このまま放っておけば、下手すると弟まで引っ張られる可能性がある。
僕が咄嗟に思いついたやり方は、ただ一つだけだった。
「くそっ。こっちを向け!」
弟と引っ張りっこしている”ゾンビ”に、その辺の小石を投げつける。
するとどうだろう。
五匹の”ゾンビ”の首が、ぐるりと一斉にこちらを向いて……。
ぎらぎらと光るビー玉のような眼球と、目が合った。
その時、僕は確かに、十の目玉が欲望の輝きに彩られるのを見た。
連中はもちろん、手の届かない生肉よりも、こちらを優先する。
――やるしかない、か。
覚悟を決めて、小さく呟く。
「頼むぞ、狩場豪姫……ッ」