その147 優しい希望
「ほら、美空ちゃん。しっかりするんだ」
優希さんは、あたしを助け起こしながら、そっと蹴られた辺りに手を当てる。
たったそれだけだった。
それだけの処置で、あたしの身体はてきめんに元気になって、目をぱちくりとする。
「ゆ、優希さん……」
「これで大丈夫。もう動けるはずだよ」
潤んだ目で、彼女の凜々しい顔を見る。
うう…………。
うううううう…………。
か、カッコよすぎるよぉ…………。
だから、悔しい。
この素敵な女の人が……”ゾンビ使い”のスパイだっていう事実が。
「遅れてごめん。途中のゾンビに手間取って……」
「良いんです。あたし、……来てくれただけで……」
「そっか」
優希さんは、あたしの手を取って立ちあがらせ、スズランに向き合う。
身体はまるで、羽のように軽くなっていた。
ほんのさっきまで大怪我していた気がするけど、まるでへっちゃら。
どうやら、優希さんがかけてくれた魔法のお陰みたいね。
「ところで、一つ、いい?」
「え?」
「颯爽と登場したとこ、カッコ悪いんだけどさ。また、変身してもらっていいかな? 俺、ぶっちゃけ、戦闘向けの能力じゃないっぽいんだよね……」
なんて。
困ったように笑う様もカッコいい。
「もちろんです」
あたしは頷いて、”ウィザード・コミューン”を構える。
この人と一緒なら、絶対に負けない。そんな確信があった。
「変身!」
ポーズだけは、しっかりとって。
「大いなる希望の戦士! 魔法少女ミソラちゃん、ここに登場ッ!」
魔法少女モード、復活だ。
再び世界が、少女漫画みたいに変貌する。
「さあて。……よくもやってくれたわね、スズラン! でも、優希さんが来てくれたからには、もう安心! 体力も全開! 元気もいっぱい! さあ、観念なさい!」
びしっと指さすと、スズランは、ボロボロの身体を引きずりながら、じっとこちらを見た。
『……――ふん』
その、ぎらぎらした目にはもう、何の感情もない。
もちろん、諦めた訳じゃないだろうけど。
『最悪だ……最低、最悪。くそったれ』
「ちーなーみーにー。もし、いろいろ情報を話してくれるなら、命だけは助けてあげる」
もちろん、嘘。
この人殺しを助けるつもりは、これっぽっちもない。
正義の味方も時には、こういうこともしなくちゃいけないの。
『バカめ。そんな見え透いた嘘に引っかかるか』
……。
今回はなんか、ちょっとうまくいかなかったけど。
あたしと優希さんが、じりじりと距離を詰める。
敵の射程はおおよそ把握できているから、こっちは落ち着いて攻撃魔法を叩き込むだけ。
いつ、殺るか。
あたしは、優希さんの顔色をちらちらうかがいながら、タイミングを見計らう。
けれど優希さん、突撃の指示を出す代わりに、こんなことを言い出したの。
「なら、別の取引がある」
『……………あ?』
「あんた、……もしかして、人間に戻りたくないか?」
『人……間……?』
「そうだ」
そして優希さんが取りだしたのは、小さな小瓶。栄養ドリンクみたいな見た目のものだ。
「ここに、”どくけし”ってアイテムがある。なんでも、ゾンビ毒を取り除くことができるらしい」
『……それが、どうした』
「これと、俺の治癒魔法を組み合わせれば、あんたを蘇生すること、不可能じゃないかも、と思ってさ。――どうだ?」
へー。
優希さん、交渉上手ね。まさか、そんな方法があるなんて。
けれどスズランは、肩をすくめて、
『優しいね、あんた』
と、言うだけだ。
「”優しい希望”になってくれって、親がね。だから”優希”って名前なんだ」
スズランが、苦笑する。
『けれど、余計なお世話。あたしは、あたしのままがいい』
「人間だった頃のあんたは、そう思わないだろうけどな」
『はははっ』
そこでスズランは、心の底からおかしそうに、言う。
『あんたら、あたしが、うっかり”飢人”になったとでも思ってる?』
「……違うのかい」
『違うとも。あたしと、ヒムロは……自分からそうなったからね』
ヒムロ。
”ゾンビ使い”の情報によると、最初にロボ子ちゃんがサクッとやっつけた”飢人”の名前だっけ。
「……しかし、理解に苦しむぞ。なんでそんな……訳のわからん真似をした?」
『魔王様に会えば、あんたもきっとそうなるよ』
……………?
魔王?
なんだかちょっぴり、重要っぽい言葉なフンイキ。
「その、……魔王ってのは、何者?」
『………………』
スズランは応えず、少しだけ、苦痛に表情を歪ませている。
『……なあ。”優しい希望”さん』
「ん?」
『それなら、人間だった頃のあたしが、アドバイスしてあげる。……この”ゲーム”は、やらせなのさ。あんたら”プレイヤー”は決して……決して、勝てない』
「そっか」
武器を構える、優希さん。
「ご忠告、ありがとな」
彼女の使う武器は、例の模造刀を改良したもの、みたい。
実用性はともかくとして、見た目はすごく、派手だ。
「けど、悪いけど……その提案は保留にさせてもらうよ。いまは、血の通った人生が幸せなんだ」
スズランが、血にまみれた牙を剥く。
『あんたら、私の言葉、聞き入れた方がいいんだよ。――あんたらはまだ、綺麗な身体だ。今のうち”飢人”となった方が、その後、幸せに暮らせるのに』
数歩、前へ出る。
距離を詰める。
「スズラン、さん……」
ここに来て、彼女の気持ちが少しだけ、わかる気がしていた。
彼女の心の弱さに、触れた気がした。
でも。
だからって。
あたしたちは決して、そっち側にはいかない。
そのことだけは、はっきり確信できている。
毎日、毎日毎日毎日。
みんな絶望のあまり、気が狂いそうになっている。
今を運良く生き残っても、数秒後の命の保証なんてない。
ある日突然、予期せぬ死を迎えるかも知れない。
世界は、そんな風に変わってしまった。
けどね。
歩みをやめてしまうことと、歩き続けることの間には、無限の差があるの。
ここはきっと、地獄だ。地獄の底だ。
それでも、共に苦しむ仲間がいる。世界の見方を変えられる。
救いがあると、信じられる。
あたしと、優希さんの決意を悟ったのだろう。
スズランは、――長い、長いため息を吐いた。
『そうかい。…………じゃあ………』
「――?」
『おまえら……やれッ!』
スズランが、しわがれた声で叫んだ、その時である。
周囲を取り囲んでいたゾンビの群れが、四方八方からわらわらと現れたのだ。
もちろん、先ほどスズランが出てきたマンホールの中からも、わらわらわらわらと。
まるで、虫みたいに。
優希さんが、苦い表情で呟く。
「やれやれ。けっこう始末してきたつもりだったんだが……まだこんなにいたか」
「どうします?」
「えーっとまず、綴里は……」
優希さんが視線を向けると、綴里くんはすでに、近場にあった電信柱を登って、安全地帯への避難を完了させていた。
「それなら、――残るは、俺たちの問題、だけだな」
「優希さん、ゾンビの相手は……」
「何百匹来ても大丈夫さ。”奇跡使い”は、ゾンビと戦うのが得意なんだ」
そっか。なるほど。
ゾンビ使いのお友達が、ゾンビと戦うのが得意ってのも、ちょっぴり皮肉ね。
「ゾンビ使いのお友達が、ゾンビと戦うのが得意ってのも、ちょっぴり皮肉ね」
「え?」
「ん?」
「えーっと……いま……」
「??????」
「……あっ。いや。……なんでもない」
私いま、何か言った?
なんか優希さん、すっごく気まずい顔してるけど……。
『……嬢ちゃん……。おまえ……マジか…………』
ホズミまで、なんだか呆れた顔をして。
「……………どうか、しました?」
「…………いや、まあ…………」
優希さん、しばらく眉間を揉んでいたけれど、
「その件は、まあ、…………あとで、ゆっくり話そう」
結局、こう言った。
今はただ、敵をやっつけよう、って。
もちろんそれには、あたしも賛成だった。