その146 危機回避の方法
《火系魔法》を推進力にして、突撃。
その動き自体は、先ほども見ていた。
だから、回避できる……そう思っていたあたしの想像は、見事なまでに裏切られる。
あたしってわりと、運動神経は良い方なんだけれど……一つだけ、大きな誤算があった。
自分の髪の毛を、計算に入れてなかったこと。
その、ふわふわで毛量の多い、オレンジ色のツインテールを。
「あっ」
体当たりを、一撃。
それそのものはぎりぎり回避できた。
けど、スズランは素早く、あたしの髪を引っつかんだんだ。
『馬鹿め』
子供の喧嘩みたいな絵面に反して、状況は絶望的だ。
スズランは、あたしの髪を思いっきり引っつかみ……まるで、お人形にみたいに、地面に押し倒したんだ。
「げ………ほっ…………」
背中に、車が衝突したみたいなダメージ。
”飢人”はゾンビ同様、もの凄い力を持つみたい。とてもじゃないけど、人間に振りほどけるような膂力じゃなかった。
『やめろぉ! 嬢ちゃんを離せ!』
視界の隅で、ホズミが飛びかかる。
けれど哀しいかな、幻覚に過ぎない彼に叩かれても、スズランはなんの痛痒も感じていないようだ。
あたしは、自由な両腕をスズランに突きつけて、
「――《ふれいむ……ッ」
言い終える前に、スズランの右拳が、あたしの鳩尾に突き刺さる。
「――――――ッ」
視界がくらむような感覚だった。
汗、涙、よだれ。顔面からその全てが吐き出されて、地面を濡らす。
「か……は……っ、は……っ」
『大した……問題じゃ、なかったんだ。おまえは……!』
そんなあたしを見下ろしながら、スズランは吐き捨てた。
『お前が呪文を唱える前に、こっちは百度だって殺すことができる……! 近づいてさえ、しまえば……!』
そして彼女は、あたしの背中を、なんども、なんども踏みつける。
そのたびにあたしは、悲鳴を上げることさえできずにもんどりうつ。
あたしの脳裏に、奏ちゃんの顔が浮かぶ。
助けが来る可能性は、あった。
この当たり一帯には、火が放たれているもの。
とても、目立っているはずだもの。
でも、ダメ。
助けを期待するのは、きっと間違ってる。
あたしは、みんなの言いつけを破った。
あたしたちは、コミュニティを護る。
”ゾンビ使い”は、そこを除く全てを護る。
この辺りは、ゾンビ使いの領分。居ては行けない場所。
独断専行をしたんだ。
あたしの命は、あたし自身が責任を持たなくちゃ。
『私は優しいからね……なるべく、目立たないところを噛んでやろう』
そしてスズランは、再び髪を引っつかみ、あたしを宙づりにする。
反撃する気力はもう、これっぽっちも残っていなかった。
一瞬。
ほんの一瞬の判断ミスで、ここまで形勢を逆転されるとは。
自分の弱さに、気が滅入るばかりだ。
「………………………――」
懸命に、喉を鳴らそうとする。
けれど吐き出されるのは、ひゅーひゅーという呼吸音ばかり。
『それじゃー。……あーん……』
あたしはスズランの、暗い口腔をみる。
闇と、ドス黒い血と唾液にみちた、その口の中を。
「……………………――ッ」
スズランの牙が、あたしの左肩に、触れて。
まずい。
いやだ。
飢人にだけは、なりたくない。
そこであたしは、最後の機転を利かせた。
もし、万が一のことがあったときは、必ずそうしようと決めていた作戦である。
ポケットの中の”ウィザード・コミューン”を操作。変身を解除したのだ。
『――ッ?』
これには、さすがのスズランも魂消たみたいだ。
何せ、たった今まで掴んでいた髪が、するりと消滅したのだから。
あたしは、力なくその場に倒れ伏し、スズランを見上げた。
世界の見え方が、変わる。
世の中が、残酷に変貌していく。
『なんだ……これは……!? 聞いてないぞ!』
顔面の皮膚を大きく欠損させたスズランは、忌々しいものを見るかのように、あたしを見下ろしている。
ざまーみろ。
あたしは、お前の思うとおりにはならない。
『この……ガキめ!』
苛立ち紛れの一撃。
直感的にわかる。変身を解いた状態であれを受けたら……きっともう、助からない、と。
けれど、助けはぎりぎりのところで訪れた。
スズランの頭を、殴りつけた人がいたんだ。
「離れろ、化物!」
綴里くんだった。
彼、見るからに戦いが得意じゃなさそうだったけれど……それでも、武器を取ってくれたみたい。
『ちっ』
けれどそれは、かなり無謀な賭けだった。
スズランはまるで、羽虫でも払うような仕草で、綴里くんに手をかざし、――例の、火系魔法を発動させたんだ。
――いけない。
世にも稀な美少年が一人、骨まで焼き尽くされる姿が目に浮かんで、あたしは目を見開く。
けれど、そうはならなかった。
スズランの利き足に、銀色の刃が突き刺さったから。
何かと思ってよく見るとそれは……なんだか、非現実的な装飾が施された、不思議な短刀めいたもの。なんか、ファンタジー系のゲームに登場する武器、みたいなやつ。
とはいえ、武器の種類そのものは、大した問題じゃない。
大事なのは、スズランの体勢が、一時的に崩れたということ。
そして知っての通り、彼女の《火系魔法》は人一人の身体を吹き飛ばす出力がある。
『…………うっ…………!』
ただでさえ、片腕を失っていることも手伝ってか、彼女はあっさりと体勢を崩し、明後日の方向に一瞬だけ吹き飛んだ後、着地。よろよろと立ちあがった。
「遅いよ、優希! 死ぬところだった!」
綴里くんが、叫ぶ。
現れた、その人は。
あたしが、きっとそうだと思っていた彼女は。
なんだか、困ったような表情であたしたちに駆け寄って、――そして、こう言った。
「ヒーローは、遅れてくるもんだ。……いや、ヒロインか? 考えてみれば俺って、どっちの枠なんだろうな」
なんて。
ちょっぴり、締まらない台詞を。