その145 確定事項
優希さんと綴里くんが、”ゾンビ使い”と繋がっている。
その事実は、あたしの心をたっぷりざわつかせたけれど、――それでも、使命を忘れるほどじゃあなかった。
むしろ、安心してる。
良かった。これできっと、恋をしなくて済む。
それならあたし、ずっとこの場所に居られる……って。
と、その時だった。
がこんと音を立て、マンホールが持ち上がったんだ。
その動作は、ナメクジが這うように慎重で、鈍い。
下手に音を立てて、目立つのを恐れている。……間違いない。敵はこちらを恐れている。「いま襲われたらひとたまりもない」。やつはそう思ってる。
無言のまま、あたしは綴里くんの肩を叩いて、合図した。
そういえば結局、優希さんは現れなかったな。
まあいいや。きっとどこかで戦っているんだろう。
あたしは、スズランが外に出たところを見計らってから、ゆっくりとその場で立ちあがる。
そして、
「――《ういんど》」
小声でそう、詠唱した。
そして、ぴゅんと宙空を飛び跳ね、彼女の後頭部目掛けて、
「《いんびじぶる――」
『――ッ!?』
「……かったー》!」
よし。殺った。
そう思った、次の瞬間である。
人外じみた表情で目を見開いたスズランが、不完全な姿勢のまま《火系魔法》を発動させたのは。
ど、う!
彼女の手のひらから黒炎が噴き出し、その身体を明後日の方向に吹き飛ばした。
「――くっ」
思わぬ回避手段に驚いたあたしは、空中で体勢を崩して、そのまま受け身も取れずに、地面の上で跳ねる。
肩から横腹のあたりを強く打って、
「痛ったぁ……! んもー!」
半泣きになって、立ちあがった。
すぐさま、スズランが吹っ飛んでいった方向に目配せ。
受け身を取れなかったのは、向こうも一緒だったみたい。ヤツは無様にゴミ捨て場に突っ込んで、腐り果てたゴミにまみれていた。
『く……そッ!』
うんうん、毒づいてる毒づいてる。
敵にとっても、綴里くんの情報は想定外だったみたいね。
あたしはすかさず、追撃の《風系魔法Ⅱ》。
今度こそ仕留める――そう思って、敵に手をかざす。
それに応えるように、スズランも同じポーズを取った。
術と術のぶつかり合い。
本来なら避けたい構図だけれど、もう四の五の言っていられない。
奴が死ぬか、あたしが死ぬか。そのどちらかだ。
「――《いんびじぶる・かったー》!」
『……………………………………ッ!』
不可視の斬撃と、黒い火炎放射がぶつかり合う。
二種類の魔力のぶつかり合いだ。
その結果、――火炎が二股に分かたれ、風の刃が、スズランの右肩に突き刺さる。
『ぐ………あ…………ッ』
”飢人”となっても、痛覚は残っているのだろうか?
良くわかんないけど、すでにダメージが蓄積していた彼女の右腕は、明後日の方向に吹き飛んだ。
同時に、なんだか異常な事態が起こっていることに気づく。
ぶった切られたスズランの右腕が、未だに黒い炎が噴出しているんだ。
その様子はまるで、蛇口を開きっぱなしで放置した散水ホースって感じ。
「ありゃー!? なんだこれ!」
目を丸くして、距離を取る。
火は、あっという間にゴミ捨て場のゴミに燃え移って、付近一帯が火炎に包まれていく。火災はすでに五、六軒の家に燃え移っていて、宵闇が迫るその辺りを、明るく照らし出していた。
――この辺り、人、住んでないよね?
そうであることを願いながら、あたしはスズランから目を離さないようにする。
やつにはまだ、残された左腕がある。片腕さえあれば、魔法を使うことは可能だ。やつはまだ、ぜんぜん無力化されていない。
「……降参しなさい」
あたしは一応、こう言っておく。
もちろん、彼女を許すつもりなんてさらさらない。
けれどこういうとき、一応確認を取るのが、正義の味方っぽい気がしたのだ。
『あんたの肉を、――ひと噛みさせてくれるっていうなら、考えてやる』
その返答は、あたしの期待していた通り。
いいね。
では、最後まで殺し合おう。
ごうごうと火が燃えさかる中で、あたしとスズランは、じっとにらみ合う。
スズランは、残った左腕で黒い炎を弄びながら、皮肉っぽく笑った。
『いっとくけど、――こっち側の方がよっぽど楽なんだよ。お前たちは、アリスに利用されてるんだ』
「――ふぅん」
アリスちゃんに、利用されてる?
そんなこと、わかりきってるさ。
あたしだって、馬鹿な子供じゃないんだ。
けれど、それでも構わない。
アリスちゃんがどういう存在であれ……あたしはただ、使命を果たすだけ。
人の命を、救うだけ。
『わかんないかねぇ。終末はもう、来ちまったんだ。人類の終焉はもう、確定事項なんだよ」
「へえ。そうなんだ」
『あとは、早いか遅いかの差でしかない。人類はもう、時代遅れの種族なんだ。……はやいこと、それを認めた方がいい』
「はあはあ。なるほどね」
『おまえ……――』
スズランは、憎々しげにあたしを睨む。
『自分がイカレてることにも気づけないなんて、……本当に、不幸だこと』
「よけーなお世話」
じりじりと、距離を詰める。
次に使う魔法は、《風系魔法Ⅱ》じゃない。《風系魔法Ⅰ》を使う。
先ほどのやり取りで、おおよそお互いの力の性能差はわかった。
彼女の魔法は、あたしの魔法には勝てない。であれば、彼女が放った魔法を、そのまま返してやる。
そんな、夢と希望に満ちた計画を立てて、あたしは一歩、前に踏み出した。
『嬢ちゃん』
そこで、ホズミが口を挟んだ。
『賭けて良いぜ。ヤツにはまだ、奥の手がある』
「うっさい。あんたの陰謀論には、もううんざりなの」
あたしの独り言に、スズランは少し、眉をひそめた。
『んー? あんたいま、なんて……?』
そんな、ボタンの掛け違いめいた対話無視して、あたしは思いっきり前へと駆ける。
「――《ういん……!」
そう叫んだ、次の瞬間。
スズランは、想定外の作戦に出たんだ。
自分の背後に向かって、黒炎を放ったのである。