その144 屋根上を歩く二人
ぴょん、ぴょんと、不安定な足場を曲芸師のように渡りきり、屋根上を進んでいく。
「ねえ、綴里くん。ちなみにその、プレイヤーって……?」
「説明は後にしよう。とにかくこっちへ」
「でも……」
会話は、ゾンビの合唱に打ち切られた。
眼下には、十数匹の死人たちが集まってきていて、その両手を伸ばしている。
少なくとも、のんびりおしゃべりしていられる状況じゃあない。
――ミソラちゃん、カワイイ! カワイイ!
――ミソラちゃん、ダイスキ! 握手してー!
――ミソラちゃん、サイコウ! こっち向いてー!
――ミソラちゃん、うおおお! ファンサしてー!
――みっそっら! みっそっら! みっそっら!
――たのむ! 一噛みさせてくれぇー!
「……《いんびじぶる・かったー》」
呟くと、眼下のゾンビどもの首から上が、すぽぽぽぽーんと玩具のように跳ねた。その切断面から色とりどりの花弁が噴き出し、ひらひらと辺りを舞う。
実に、美しい光景だった。
「美空さん、ダメだよ。魔力の無駄使いは」
「えー、でもぉ」
「リソースは、正しいところに、正しい分だけ割くようにしないと。あいつらはもう、私たちには手が届かない敵。あとで対処した方が良いと思う」
「うー……」
正論パンチ。
あたし、ちょっぴり唇を尖らせる。
「――ごめんね。ちょっと偉そうだったかな」
「いえ。ぜんぜん」
「でも、こっちもそれだけ、必死なんだよ。……好きな人が、戦っているから」
「好きな、人、ですか?」
もう、疑いようもない。
プレイヤーはきっと、優希さん。
二人はいつの間にか、再会していたのね。
「優希さんと、綴里くんは……その。恋人なの?」
「んーん。違うよ」
何故だかあたし、その言葉に救われたような気分になってる。
脳裏に数度、あの時のキスがフラッシュバック。
「でも、……その。二人はけっこう、お似合い、だよね」
「そう言ってくれると嬉しい。私も、優希とそうなれるよう頑張ってるから」
それで行き着いた先が、その……エッチな感じのコスプレ衣装なの?
と、内心つっこんだり。
ただ、今のあたしには、綴里くんの哀しさが、少しわかる気がした。
彼きっと、自分のことを好きになってくれるはずのない人を、好きになっちゃったんだ。
そうだってわかっているのに、努力せずにはいられないんだ。
それってたぶん、すごくすごく寂しいことだと思う。
「今のうちに、作戦を伝えておくね」
「えっ? あ、はい……」
えーっとあたし、なんの話をしてたっけ?
この世の中に、恋よりも大切なことって他に、なにかあった?
………………。
ああ、そうだ。
私、敵を殺さなくちゃいけないんだっけ。
「スズランが向かった方向はちょうど、袋小路になってる。だからたぶん、奴はその先に出てくるはず。私たちはその様子を密かに見守って、チャンスを見計らって襲撃をかける」
「ん。……わかった」
実に、明快な作戦だ。
それくらいなら、今のあたしにだって理解することができる。
「よし。ここに」
綴里くんはやがて、ちょうど遮蔽物になっているところにあたしを導いて、屋根の傾斜に寝転ぶ。
あたしはその隣で、添い寝するような格好になった。
「…………………………」
「…………………………」
二人でのんびり、横になって。
顎を手に載せて、足をぱたぱたとする。
その頃にはあたしも、先ほどまでの激情は収まっていて、その代わり、冷静な決意に満ちていた。
使命を果たす。
一人でも、多くの人を護る。
仮に、私の頭が完全におかしくなったとしても、きっとそれだけは果たしてみせる。
「ねえ、綴里くん。優希さんはいま、どこに?」
出し抜けにそう訊ねると、綴里くんは小さくため息を吐いて、
「実を言うと私たち、ちょっと前から合流していたんだ」
まず、そのことから説明した。
「ふーん。そうなんだ」
だったら一言くらい、教えてくれても良かったのに。
ここ数日の優希さん、ちょっぴりよそよそしかったの。
奏ちゃん、調査したいことがあるみたいだったのに、全然手伝ってくれなかったしさ。
「実を言うと……その。優希は、――」
「プレイヤーになった。そうだよね?」
「うん」
綴里くんは、屋根の上に載っている土埃の上に、適当な絵を描きながら、こう続ける。
「状況的に……信じられないかもしれない。けど、本当に、たまたまなんだ。たまたまあの、アリスって娘が、私の働いてる診療所にやってきてね。それで優希は、プレイヤーの力を得た」
「ふーん。そう」
あたしは、目を細める。
すぐ隣で横になっているホズミが、『ぐひひひひひ』と不気味な笑い声をあげた。
ホズミの言いたいこと、あたしにもわかる。
綴里くん、嘘は言っていない。
けど、本当のことも言っていない。
「信じてくれ。私たち、”ゾンビ使い”とは関係がない。そりゃあもう。ぜんぜん」
「それは嘘だよ」
あたしはそう、断じた。
その言葉が、あんまりにも確信に満ちていたからだろう。
綴里くんはちょっぴり驚いたみたい。
「なんで、そう思うの?」
「二人は、”魔女の贈り物”の実績報酬を使った。そうだよね?」
「え?」
おや。その反応は……。
『おい、嬢ちゃん。この感じ、なんだかガチっぽいぞ』
わかってる。
『だとすると、チャンスだ。こいつらたぶん、”ゾンビ使い”と連携が取れてないんじゃないか?』
だね。
『優希のプレイヤー化は、独断専行ってことだ。――この情報、巧く使えば足元を掬えるかもしれん』
「わかってるから。少し黙って」
あたしの独り言に、綴里くんは驚いて、
「大丈夫? さっきから何か、聞こえてる?」
と、心配してくれた。
「ん。大丈夫だよ。ここには、たった二人しか居ない。二人っきりだ」
「…………。なら、いいけど」
いま、なんとなくわかったよ。
この人あたしを、”やべーやつ”の箱の中に入れたな。
「……ところで、その。”魔女の贈り物”って、何?」
あたしは応えなかった。
”魔女の贈り物”。
太っちょ”飢人”との戦いで得られた、実績報酬について。
その報酬は、……たった一つだ。
――“プレイヤー権”は、あなたの知り合いの誰かを”プレイヤー”とする権利です。ただしこの権利の行使には、アリスとの面談が必須。面談の内容次第では、採用をお見送りする場合があることをご了承ください。
これ、である。
この”実績報酬”が特殊なものであるってことは、あたしたちの間ではほとんど確定事項だった。
だからこそ、……その扱いに関してはかなり、慎重になってる。
私も、奏ちゃんも、ロボ子ちゃんもまだ、”プレイヤー権”は使ってない。
ってことは必然的に、優希さんと綴里くんは、”ゾンビ使い”の知り合いってことになる訳で。
屋根の上。
敵同士。隣り合って。
あたしなんだか、しょんぼりした表情になってる。
「どうか、………した?」
綴里くん、なんだか不安になっている。
ひょっとすると何か、ミスをしてしまったのか。そう思っているんだろう。
だからあたしは、精一杯の笑顔で応えたんだ。
「なんでもない。――それじゃあ優希さん、私たちの仲間なんだね」
「……………うん」
綴里くんはどこか、複雑そうな表情で、こくんと頷いた。




