その143 不審な手助け
《風系魔法Ⅱ》を一発。それで終わる。
そう確信したあたしは、呪文を詠唱――しかけて。
『――……いひひひひひひひひひ……ッ』
魔女のような声を上げながら、スズランが闇の中へ消えて行くのを見た。
無論あたしは、それを追いかけようとする。
「ちょっとまった! ミソラさん!」
手を掴んだのは、先ほどあたしに声をかけた、天宮綴里くん。
どうやら、わざわざ安全地帯から出てきたらしい。
「離して! あいつを殺らないと……!」
「落ち着くんだ。――罠だよ。地下には、ゾンビどもがうじゃうじゃいる」
その言葉に、はっと我に返る。
暗所でゾンビどもに取り囲まれる……そんな、悪夢のような光景が目の前に浮かんだためだ。
あたしは、接近戦があまり得意ではない。そうなってしまったら、たちまち連中の餌食となっていただろう。
「くそ……くそっ」
地団駄踏んで、憎々しげに地下道を睨む。
「やってる場合じゃない。……とりあえず、こっちへ」
綴里くんが、掴んだ手を引っ張る。
思考に隙ができた瞬間だったからだろうか。あたしは素直に、彼に従った。
彼が招き入れてくれたのは、ごく普通の一軒家……に見えるところだ。
けど、よく見ると違う。
どうやらここ、彼のセーフハウスらしい。入り口には鉄のバリケードが張ってあったし、万一ゾンビの侵入があった場合のため、階段が壊されているみたいだった。
特に、バリケードに関しては本当にしっかりとした作りになっていて、
「これ、――一人で作ったの?」
思わず、訊ねる。
けれど綴里くんは「まあ、そんな感じ」と、曖昧に応えるだけ。
「とりあえず、ジュース。どろどろに甘いやつ。魔力回復にいるよね?」
あたしは、宙を舞う缶ジュース(エナジードリンク系のやつ)を受け取る。
「ありがと」
けどあたし、正直これまで、”魔力切れ”というのを意識したことがない。
奏ちゃんやロボ子ちゃんにとっては深刻な問題みたいだけど……。
それでも、暴れた後に飲むジュースは格別だった。
ごくごくとそれを飲み干し、ぷはーっと一息つく。
「ところで綴里くんは、どうしてここに?」
「私のことは良いんだ。それより今は、敵を撃退しないと」
なんだか誤魔化されている気がしたけれど、最もな意見だ。
玄関先のバリケードでは、さっそく集まってきたゾンビの群れが、獲物を求めて暴れてる。
さっさとスズランを始末しないと……。
「とりあえず、こっちへ」
綴里くんに手を引かれ、あたしたちは頑丈な紐を伝って、二階へと向かう。
「魔法を使えば、こんなところすぐなのに」
「落ち着いて。焦りすぎないこと」
「でも……」
あたしいま、綴里くんのパンツの中が見えちゃってる。
彼なんだか、メイドさんのコスプレをしているの。
しかもこれ、たぶん、普通のコスプレ衣装じゃない。
なんか……えっちなお店で売ってるタイプのやつだ。
そう思う程度にはこの人、きわきわのスカートを履いていた。
『オカマ野郎って俺、ストライクゾーンじゃねえんだが、――これくらい美形だと……悪くねぇな。二次元の世界だ』
「うっさい。だまって」
あたしが呟くと、
「え? 何か気に障った?」
と、綴里くん。
あたしは慌てて首を横に振る。
「ご、ごめん。ちがうの。最近、独り言が多くて……」
「ふーん」
そうしてあたしたち、二階の寝室に辿り着いた。
整理整頓が行き届いたその場所には、様々な”魔法の武器”みたいなものが並んでる。
「これは……?」
あたしには一瞬、それが本物みたいに見えている。
異世界から持ってきた、ファンタジックなアイテムだって。
けど、そんなはずはなかった。
よくよく観察してみると、それらは全部、刃が潰されてる。
どうやらみんな模造品みたいね。
『おっ、アキバで観たことあるぞ、こういうの』
ホズミが、なんだか嬉しそうに各武器を眺めて回る。
男って、こういうものが大好きよね。まったく。
――でもなんで綴里くん、こんなものを……?
これも、コスプレ趣味の一環かしら?
あたしが不思議に思っていると、
「一応、実用品のつもり。何かに使えると思ってね」
「何かに……?」
とてもじゃないけど、ゾンビ退治に使えそうにはない。
不思議に思っていると、綴里くんはからりと部屋の窓を開け、ベランダに出た。
「こっちだ」
そこには頑丈な木板が設置されていて、どうやら隣家の屋根まで渡ることができるみたい。
「スズランはたぶん、こっちの方面に向かったはず。急ごう」
「ちょ……ちょっとまって?」
さすがのあたしも、不審に思う。
「どうしてそんなこと、知ってるの?」
「私、一日くらい前から、敵の作戦がわかってたんだ」
「え?」
「といっても、完璧に偶然なんだけど。……どうにも最近、下水の方からゾンビの声がするなーって」
そうなんだ。あたし、ぜんぜん気づかなかったよ。
「だから、万一の事態に備えて、地下道の地図を手に入れて置いたんだ」
「下水道の……地図?」
「うん。念のためにね」
言葉で言うのは簡単だ。
けど、インターネットもない時代で、よくもまあそんなことができたものだと、感心する。
「大した手間じゃなかったよ。下水道局が航空公園近くにあったから」
そう、事もなげに言う綴里くんの背中を追いながら。
……………………?
…………。
……でも。
なにか、引っかかるものがある、ような……?
『こいつなんか、事情に詳しすぎないか?』
首を傾げていると、ホズミがアドバイスしてくれた。
「……そう! 綴里くん、なんでそんな……――」
「いろいろ知ってるのかって?」
どうやら、最初から問いかけの答えを用意していたみたい。
「知り合いに”プレイヤー”がいてね」
その言葉に、あたしは一瞬、頭が真っ白になりかけた。
――それってつまり、綴里くん……”ゾンビ使い”の知り合いだったってこと?
そう問いかける前に……彼はこう続ける。
「彼女には、すぐ会うことになる」
まるで、言い訳をするみたいに。
「――……。……かの、じょ?」
「うん。彼女だ」
どういうこと? どういうこと? どういうこと?
その時、あたしの頭に浮かんでいた顔は、たった一人。
けど、……そんな。
たまたま知り合いが、プレイヤーになる、なんて。
そんな偶然が、あり得るのか。
それが、不思議で不思議で、しょうがなかった。