その142 怒髪天
「う、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ! 《ういんど》!」
《風系魔法Ⅰ》を使用しながら、空中を舞う。
目の前はいま、ちか、ちかと、閃光に似た何かがちらついていた。
憎悪、憎悪、憎悪!
怒髪天をつくとは、このことだろう。
もさもさのオレンジ髪が逆立つ。胃の腑が煮えたぎる。
『ぶあああああああああああああああああああああああッ』
眼前には、数え切れないゾンビが立ち塞がっていた。
以前も見た、この光景。死人の通勤ラッシュだ。
とはいえ、今のあたしには全て、無視できる敵、である。
宙空を鳥のように翔びながら、――あたしはまず、スズランが逃げた方向へ向かって、
「――《うぉーる》!」
土壁を出現させた。
その辺りはちょうど、ゾンビたちでごった返しているところ。
突如として出現した長方形のモノリスに、連中はなすすべなく吹っ飛ぶ。
ゾンビの海に漂う、一塊の浮島。
産み出した壁上に陣取って、あたしはまず、周囲を見回した。
「あいつ……ッ、スズラン、は!?」
すると、いつの間にか追いついていたホズミが、
『だから、落ち着けって』
同じセリフを繰り返す。
『何もそんなに、怒るこたぁないだろ。ちょっと挨拶しただけの女じゃねえか』
「わかんないの、ホズミ!」
あたしはがなり立てた。
周囲にはきっと、独り言に見えているだろうな、と思いながら。
「あいつは、あたしとちょっとでも関わりのある人、みんなを殺すつもりなんだ。放っておくとこれからも、何度も何度も、同じことを繰り返すんだ!」
奏ちゃんや、ロボ子ちゃんはまだ、いい。
あの二人は、戦う覚悟のある人だから。
闘争の契約をした者、だから。
死ぬ覚悟がある、から。
だけどこの世には、そうじゃない人たちもいる。
航空公園のコミュニティの人たち。
アキちゃんや、飯田さん家の仲間たち。
そして、……神園優希さん。
きっとあいつは、あたしの大切なひとをみんな、順番に殺していく。
覚悟のない人を。牙なき人を。
それだけは、絶対に許せない。
『そりゃーそうかもだが……だとしてもお前、無謀すぎるぜ。気づいてるのか? いまお前、お仲間のサポートが届かない位置に向かってる。ただでさえイカレてるんだから、感情的になるのは止めとこうや』
「うっさい、うっさい、うっさい! ごちゃごちゃいうなら、あんたもスズランを探せ!」
歯がみする。
”移動型マイホーム”はたぶん、避難民のグループから動かないだろう。
何よりあたしたちは、ここの人たちを優先して護る約束があるし、――ただでさえ奏ちゃんは、”飢人”たちに狙われてる。リスクを負うような戦い方はさせられない。
『ったく、とんでもない相棒だな……』
誰が相棒よ、誰が。
『って、――おい! あそこだ! 見つけた、一時の方向!』
「こっちも見えてる、――行くよッ」
『死ぬなよ……ッ』
再び、《風系魔法Ⅰ》を使用。
髪の毛を振り乱しながら走る、スズランの姿を追いかける。
”ゾンビ使い”の情報によると、敵の能力はたしか、強力な《火系魔法》だと聞いた。
あたしの魔法とは、比較的相性がいいはず。
「殺るぞ殺るぞ殺るぞ殺るぞ殺るぞ殺るぞ殺るぞ殺るぞ……ッ」
狂気に囚われながらも、あたしは狐狼の如く冷静だった。
敵の姿、――それが、あまりにも「狙ってください」と言わんばかりだったから。
だからあたしは、周囲にいるゾンビの中から、似たような背格好の個体を探して、そいつに向かって、こう叫んだ。
「《いんびじぶる・かったー》ッ!」
無数の風の刃を発生させて、不可視の斬撃を繰り出す……あたしが使うスキルの中では、最強の魔法である。
《ういんど》と同じく、見えない攻撃を繰り出すという意味で、この魔法は極悪な攻撃力を誇るのだ。
この魔法、あのロボ子ちゃんにも、
――とてもではないですけど、ミソラには敵いませんね。
とまで言わせてる。
つまりそれって、とっても強いってこと。誰にも負けないってことだ。
あたしの望んだ通り、ドス黒い血液がまき散らされる。
だが、少し妙だった。
――裏を読みすぎたかしら。
そう思って、振り向く。
そこにいる個体の顔を見て、――そいつが、ごく普通のゾンビであることを確認。
「どういうこと……?」
どうやらスズランは、自身に似た背格好のゾンビを、この辺りに何匹か配置しているらしい。
用意周到なことだ。
たぶん、ここまでの流れ、――敵の手のひらの上、かもしれない。
「だったら……!」
あたしは、自身に向かってくるゾンビの大群に向けて、《いんびぃじぶる・かったー》を連発。
本来この魔法は、かなり燃費が悪いはず……だけど、《狂気》が強くなったあたしは、不思議と”魔力切れ”を起こす気配がない。
「こうなったら、とことんまでやってやる……ッ!」
あたしの独り言に、
『だからさあ。それが、挑発されてるってこと、気づけよ』
ホズミが、呆れたようにいった。
わかってる。
こいつの言葉は、あたしがあたし自身に向けて言ってるのと一緒。
ほとんど、独り言と変わらないんだ。
だけどそれでも、あたしは止まらない。止まるわけにはいかなかった。
「ミソラちゃん……ッ、危ない!」
だからうるさいって、ホズミ。
そう叫び返そうとして、――声が、違うことに気づく。
振り向くと、すぐそばにある一軒家の二階から、一人の少女、――いや、少女に見える男の子。
その顔には、はっきりと見覚えがあった。
神園優希さんの、お友達。
天宮綴里くんだ。
とはいえ、その事実を正確に理解したのは、ほんの少し後のことである。
「危ない」。
まず、この言葉に対処する必要があったから。
「――《ういんど》っ!」
弾けるように《風系魔法Ⅰ》。上空十数メートルの位置に、緊急回避する。
そんなあたしを追いかけるように、足元にあったはずのマンホールが吹き飛んだ。
「あぶな…………っ!」
一瞬前までいたはずの場所を見下ろす。
そこにはいま、黒い火柱が上がっていた。
スズランの魔法。
地下道の暗闇の中に、あの薄汚れた”飢人”の姿があることに気づく。
「あいつ…………ッ」
そしてあたしは、たったいま殺されかけたことも忘れて、奴の居場所へと自由落下していった。