その139 虫けら
ばばばばばばばば……ッ!
空気を叩くような音を立てながら、その怪物は宙を駆ける。
モニター越しにでもわかる、もの凄い迫力だった。
いまからあれと戦うことを考えると、気が遠くなる。
――僕向けの敵じゃない。
それが、正直な印象だ。
FPS系のゲームをプレイしたことがある人ならわかってくれるかもしれないが、そもそもあの手のゲームは、人間が行う動きの一側面をトレースしているに過ぎない。
人間の知覚は、テレビモニターの表示よりももっと広く、様々な情報を制御することが可能だ。
だが、その肌感覚までは、僕にはわからない。
これは要するに、グーとチョキしか出せないのに、ジャンケンをさせられている感覚に近かった。
「まあ、文句を言っても、仕方ないか……」
眉をしかめつつ、僕はまず、ボルトアクション式のライフルで、正確に敵の眉間を狙う。
豪姫は、他のゾンビよりも遙かに銃火器の扱いに長けている。
僕のエイム力と合わせれば、ほとんど弾丸は百発百中、――奏さんにも負けていないという自負があった。
「弾丸を。一発でも、多く……当てる!」
カチリと右クリックするたびに、画面内の豪姫が引き金を絞る。
そうして放たれた弾丸は全て、例のカマキリ氏の顔面、その目玉に当たっている。
ターン、
ターン、
ターン……。
その辺りに猛烈な風圧をまき散らしながら、巨大カマキリが着地した。
僕の攻撃は、まるで効いている感じがしない。
――ゲームだと、頭部に弱点があることは多いが……。
あの無防備そうに見える眼球……、恐らくだが、鋼よりも硬い。
巨大カマキリは、亮平たちが苦心して作り上げた土嚢を、たった一撃で吹き飛ばし、その両腕を大きく広げた。
普通のカマキリも良くするポーズ。威嚇だ。
『ギシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』
だがその鳴き声は、カマキリとはまったく別種のものだった。
強烈な音圧に、豪姫の構えが乱れる。
僕はまず、敵から半円状に動いて建物の土嚢を昇った。
できれば、ホームセンター付近では戦いたくない。
とはいえ、ここを離れすぎるのも危険だ。亮平たちが狙われる可能性がある。
だから僕は、この場所に面した道路、――かつてココアが射殺されたところにまで移動して、敵の相手をする。
現状、カマキリの怪物は、もっとも攻撃能力の高い敵を優先的に行動するらしい。やつはこちらを追いかけるようにその無機質な目と、二本の触覚をこちらに向けている。
「よーしよし、こっちだ……!」
奴が、僕の想定していた通りの位置、……二車線ある道路の真ん中に移動した、その時である。
オレンジ色に輝く火球と、無数のスパークする光。
《火系魔法Ⅱ》と、《雷系魔法Ⅱ》。
それぞれ、マッチョくんとミントの放った魔法が、カマキリの怪物に襲いかかった。
彼らの位置は、――かつて、岩田さんを殺した建物の、非常階段だ。
奴の手が届かない場所から、一方的に攻撃する作戦である。
『ギ、イッ!』
怪物が、鏡を割るような音を発し、ぐらりとよろけた。
覚えたばかりの自律行動が、巧く作用している。
すでにこの場所は、僕の狩場となっていた。
「よし。――もっともっと、もっとだ!」
続けざま、ボウガン(ツバキが使っていたもの)と”蟲撃”による攻撃が行われる。
もちろん僕もそれを、黙ってみていたわけではない。
豪姫を動かして、敵の弱点、――その、細長い足を撃つ。
カマキリは、足が一本でも無くなれば歩行に支障をきたす生き物だと聞いたことがある。
一発。二発。三発。
『ギギギギギッ!』
その全てを、関節部に当てた。
同時に、……ぶばっ、と、醤油にも似た、ドス黒い血液が噴き出す。
奴はたまらず、四本あるうちの足を地に着けた。
――料理の方法がわかってきたぞ。
このまま、もう一本。
それでこいつは、身動きが取れなくなる……!
そう思って、マッチョくんたちの追撃を待つ。
『全力で敵を殺せ』。
いま、彼らに命じているのはただ、それだけ。
もはや手加減は必要ない。始末を付ける。この街の安全は、僕たちが守る。
……そう、思っている、――と。
ぶぶ………ぶぶぶ………ぶぶぶぶばばばばばばば!
再び、カマキリの羽が大きく開き、その半身を引きずりながら、豪姫に突進した。
「う……ッ」
その速度はさながら、ロケット噴射のようだ。
あっという間にトップスピードとなって、豪姫に向かって、その両腕を振るおうとする。
「くそ」
死の、香り。
ゲーマーであれば誰しも持つであろう、一手先を読む能力。
恐らくは、あの化物の身体の一部が掠るだけでも、豪姫の命はあるまい。
「…………ッ」
それには僕も、回避行動を取らずにはいられなかった。
とはいえその動き、……敵にとっては狙い通りである。
奴が、その両腕の標的にしていたのは、――豪姫ではない。
その背後にあった、ビル。
マッチョくんたちが控えていた建物だったのだ。
僕は正直、奴の攻撃力を舐めていたのかも知れない。
何せ、奴の一撃は、――小規模のものとは言え鉄筋の建物を、いとも容易く破壊して見せたのだから。
「――ぅおおッ!?」
まるで、最新のCG特撮映画みたい……というのは、現代っ子ならではの発想だろうか。
客観的に見ていられるのは、モニター越しに状況を観察しているためかもしれない。
いずれにせよ僕は、雨あられと降り注ぐコンクリート片を回避するため、豪姫を大きく下がらせる。
心配なのは、マッチョくんたちだ。
一瞬、僕が操作すべきか迷ったが、ここは二人の現場判断に任せた方が良い。少なくともいま、僕の魔力は減退していない。
『ギ………チチチ………』
ふと、振り向いたカマキリ野郎と、目が合う。
奴がなんだか、嗜虐的に笑っている気がして。
「上等だ。この虫野郎」
僕はあっさりと、その挑発に乗っかった。
虫けらには、虫けらの分際をわからせてやらねばならない。