その138 人の心を壊す敵
駅周辺を攻めるか。
ホームセンターを攻めるか。
この二択に関しては正直、分の良い賭けだと思っていた。
亮平たちがいるホームセンターには、プレイヤーがいない。
飢人を、プレイヤー版のゾンビと定義するなら、数の多い方に向かうだろう。
そういう考えがあったためだ。
だが、甘かった。
飢人は確かに、ゾンビに似ている。だが奴らより、もっともっと賢い。
奴らは、僕を焦らせる方法を知っていた。僕の心を破壊する方法を知っていた。
『兄貴ッ……来た! 襲撃だ。……前より、かなり数が多いぞ』
奴らは戦力の80%ほどで、ホームセンターの襲撃を企てたのである。
『しかも……しかも、……なんだあれ。信じられねぇ……』
『落ち着け、兄弟。報告は正確に』
『ゾンビだけじゃねえ。あれは、……”怪獣”だッ!』
亮平が、悲鳴を上げるように喉を鳴らす。
『怪獣? 具体的には?』
『わからん。なんか……でっかいカマキリみたいなやつが、こっちに向かってきてるんだ!』
『カマキリ?』
アリスがいたら、文句の一つも言っていたところだ。
――おまえ、そんなのまで用意してたのか。昭和の特撮か。
とか、なんとか。
『大きさは?』
『わかんねー。四メートルくらいか!? すげえでけえ!』
なるほど。確かに、カマキリ基準では大きい。
とはいえその体高は、以前見かけたデブ”飢人”より一回り小さいくらいか。
眉をしかめて、PCを操作する。
その周辺で人命救助に当たらせていた豪姫の視点を見るためだ。
そいつの姿は、すぐ画面に表示された。
自律行動を命じていた豪姫も、その姿に目を奪われていたらしい。
僕は、無線機に口を当て、一言一言、冷静に言った。
『……今からでも、逃げることはできるか?』
『すまん。無理だ』
『――ペットの件か?』
だとするとまた、説教に時間をかけることになる。
すでに亮平たちには、もしもという時の心構えについて、納得してもらっている手筈だ。
『いや。そういうことじゃない』
『では、どういうことだ』
万が一の場合に備えて、この辺りのゾンビは、みんな掃討しているはず。
すでにこの三日で、仲間たちのためのセーフハウスを用意してあった。
もしホームセンターが危なくなったとしても、そちらに逃げ込めば安全なはず。
『あの、カマキリのやつ……! 空の上から、ゾンビをばら撒いてやがるんだ』
『は?』
『だから、ゾンビを! 爆撃機が、爆弾を投下するみてーに! あっちこっちに……あ! また……!』
豪姫の視点に注意を移す。
すると僕の見ている前で、カマキリの怪獣が、その羽根を広げ……、
ぶおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!
猛烈な土煙を上げながら、空中へ飛び立った。
巨大な虫がそうしているのは、……かなり、生理的にクる光景だ。特に、僕のような虫嫌いの人間にとっては。
それに、物理の法則に反しているようにもみえる。
あの質量の動物が空中を飛ぶのはたぶん、普通じゃない。何らかの、超常現象じみた力が働いているのは間違いない。
カマキリの姿をよく見ると、その身体にしがみついているゾンビが確認できた。
やつらは任意のタイミングでその手を離し、――ぼろぼろと街のあちこちへと落下していく。
ゾンビたちはそれぞれ、落下のダメージで全身の骨を砕きながらも、よろよろと立ち上がり、ホームセンターへ向かって歩き出す。
「なんという……」
言葉を失う。
肉体のダメージをほとんど無視できる、ゾンビでなければ考えられないやり口だ。
決して僕も、油断していた訳ではない。
だが、やつらがこのレベルの”作戦”を組むとは、想定できなかった。
もはやすでに、亮平たちが逃げられるような脱出経路はない。
『すまん、兄貴。俺たち、前と同じく……ホームセンターの地下へ逃げるよ』
『そうしてくれ。しっかり戸締まりするように』
喉を鳴らしながら、僕はいったん、この辺り全体のゾンビ分布をチェックした。
――航空公園のコミュニティは……。
観ると、当然のようにそちら側にも、ゾンビの襲撃が行われているのがわかった。
奏さんたちはすでに、戦闘中。
恐らく、連絡を取り合っている余裕はないだろう。
眉間を揉み。眼鏡の位置を直す。
僕はまず、指の体操を行いながら、――使役下においたゾンビたち全員に集合をかけた。
その後、よし子に声をかけ、ありったけの食糧を部屋に持ち込むよう、命じておく。……魔力切れが発生しても、口の中に食い物を詰め込めるように。
このゲームのルールは、単純だ。
――王将の位置を特定する。そして、殺す。
そうすれば、あっという間に敵陣は崩れるだろう。
ゾンビどもはみな、”飢人”の命令に従っているだけにすぎない。
頭脳さえ奪えば、あとは四散するだけ。
遂に。
……遂に、この所沢の支配権を決する戦いが始まろうとしていた。
人間か、飢人か。
『ソレト、アト。……メイドロボノ命運モ、カカッテマス(>_<)』
よし子の軽口が、微笑ましい。
すでに僕たちは、完全なコンビネーションを完成させている。
求めに応じて食事を口に運び……トイレに行きたくなったらペットボトルを用意する。
――まさかこの僕が、本格的なペットボトルの中に用を足す人になる日が来るとはな。
なるべく、そういうことにはならないことを願っているが……真のヒーローは時として、人に見えないところで足掻くものである。
「まず、消耗戦になる。やろう」
決戦の火蓋は、カマキリの怪獣が行った。
周囲を飛行していたヤツが、遂に、――ホームセンターに向かって、跳びだったのだ。