その134 より良き仕事のために
公園内に一人、取り残されて。
「う~~~~~~~~~~~~~~~~む……」
神園優希は、腕を組む。
――さすがにちょっと、やりすぎたかな。キスは。
とはいえ、ミスをしたとは思わない。
良好な人間関係には、制限時間がある、というのが、彼女の持論だ。
人と人とは、長期にわたって関係を築くことができない生き物で。
出会った瞬間から、別れのカウントダウンは始まっているのだ。
だからこそ、その時々の気持ちを大切にしなくてはならない。
押せるときには、押す。
さもなければ、孤独が待つだけ。
放っておけば、永遠に平行線だった関係が、動いた。
静かな池に、石を投げ込んだのだ。
それだけでも良しとしよう。
「……さて、と」
気持ちを切り替え。
ベンチから立ちあがり、今日の報告を済ませようとする。
彼女の、……本当の仲間への。
――まず、綴里に会おう。
ここに来てからと言うもの、彼に対する状況説明がおざなりになっている。
綴里の目線では、ほとんどこっち側の動きを把握できていないはずだった。
公園を出て、人通りの多いコミュニティへ。
この辺りの人たちも、だんだん避難生活に慣れつつある。
平時ほどとは言わないまでも、治安は維持されていた。
みんな、なんとか状況に適応しようとしているのだ。
人間は、どんな状況下におかれても、小さな喜びを見つけ出すことができる。素晴らしい習性だ。
優希は、道路上に点々と立てられたテントの中から、『岸田』という立て札が立てかけられた大型のテントを見つけ出し、
「綴里」
そっと、囁くように声をかけた。
別段、秘匿するべき関係ではないが、二人は「離ればなれ」という設定だ。一応、人目を避けている。
「入って」
テント内から、女性と相違ないソプラノボイスが応えた。
このテントは、最大10人は寝る場所を確保できるような作りになっていて、簡易の療養所も兼ねている。グループの規模に比べれば小規模な空間だが、少なくとも”テント組”の間では、ずいぶんと珍重されているという。
「おつかれ」
テント内では、ナース姿の友人がお茶を淹れている。
「おまえ……その姿は……」
「なあに?」
ナース姿と言ったが、正規のナース服を着ている訳ではない。ガーターベルト付きスカートの丈は短く、胸元が大きくはだけたデザイン。いわゆるコスプレ衣装というやつだ。
優希はしばし、眉間を揉んで、
――この衣装は、……いくらなんでも……あまりにも……。
エロすぎる、というか。
とはいえ、それを口にするのは、なんだか違う気がする。誘われている気がする。ツッコミ待ちな気がする。
だから優希は、彼の服装に関しては一切触れないと、断固として決断した。
「……なんでもない」
「えー? なあにー? なにか言いかけたんじゃないの」
「帰って良い?」
「ダメダメ。ちゃんと意見交換しなきゃ、センパイの命令に背くことになるよ?」
「…………それは、そうだが」
嘆息混じりに、テント内にある粗末な椅子に座り込む。
療養所の中は、電気ストーブが稼働しており、ふわりと暖かい。
「はい」
「さんきゅ」
淹れ立ての緑茶を受け取って。
しばらくの間は、なんてことのないやり取りが続いた。
綴里はいま、彼なりの目線でグループの様子を伺っている。
航空公園のコミュニティは、今のところもっとも近場にある人の集まりだ。優希たちは、ここの人々のことも護らなくてはならない。
「といってもいまは、目新しい情報はないよ。ここでずーっと、岸田さんのお手伝いしてるだけ」
「ふーん」
優希はため息を吐いて、
「じゃ、平穏に過ごしていた訳か」
「そうでもないよ。なんどか、お尻触られたり、エッチなことに誘われたりしたし」
「そっか。ちょうど良いじゃないか。おまえもそろそろ、恋人作りなよ」
「のーさんきゅー。初めての相手は、――優希だって決めてるからね」
「……おまえも、諦めが悪いやつだな」
「まーね。生きがいだから」
綴里は、これっぽっちも悪びれない。
「ところで」
面倒な領域に入り込む前に、さっと話題を変える。
「例のあの三人は、どうしてる?」
「例の三人?」
綴里は、ちょっと考えこんで、
「ああ……あの、性欲強い系の男たちか」
「うん」
「三人とも、よく”お話”して、わかってもらったよ」
「――そうか。……まさか、殺したりはしてないだろうな」
「そんな、まさか。言っておくけど私、平和主義者だよ」
「……ホントかよ」
自分のことに関わると、綴里はときどき、目の前が見えなくなる時がある。
先ほど、男たちに囲まれた時はやむなく彼を頼ったが、――何か、危険なことをやらかしてなければいいのだが……。
「ほんとほんと。私に逆らったら、ここを利用できなくなるって脅しただけ」
「そうか。穏便にことを済ませたんだな」
「うん。おんびんおんびん」
一応、その言葉に納得する。
綴里は、優希の身の安全を何より優先する。悪意のある嘘は吐くまい。
「他に、そっち側の情報は?」
「うーん。――大きな話はない、かな。とりあえず、都心に住んでる偉い人とか、自衛隊とか、ぜーんぶ大阪の方に撤退したっぽいって噂は流れてる」
「そうか……」
この辺りは、航空自衛隊の基地が近い。情報が流れてくるのも早いのだろう。
「救助は、どうなると思う?」
「こないと思う。たぶん一生」
「……だな」
ここまでは、この前センパイが想定していた通りの展開だ。
「その他の、プレイヤーらしき情報は?」
「ない、ない。……たぶん探せばあっちこっちにいるんだろうけど、今は人の行き来も少ないからねぇ」
「そうか」
それは良かった。
つまりセンパイは――、飢人退治に集中すればいいわけだ。
「それで、……綴里は、どう思う?」
「ん? どうって?」
「俺たちが、センパイのためにできること。……他に何か、ないかな」
「むぅ。……どうだろ。わからないけど、与えられた仕事を全うするのが一番じゃないかな」
「それだと、ガキの使いだ。俺はもっと、センパイの役に立ちたい」
優希の言葉に、綴里は少しだけ唇を尖らせる。
「ほんと優希は、センパイが好きだねぇ」
「好きとか嫌いとかじゃない。与えられた情報の中で最適な仕事を行うのが、俺たちのやり方だ」
「たしかに、それはそうかぁ………」
そこで、ナース姿の彼は、しばらく考え込む。
玩具の注射器を、しゅこしゅことをピストンさせながら。
「――あ」
「?」
「ひとつ。一つだけ、案がある、かも。確率は低いけど」
「ほう。……なんだ?」
そして綴里は、にっこり笑って、こう言った。
「私たちも、なっちゃえばいいんだよ。――プレイヤーに」