その133 敵わぬ恋
「………あっ」
見上げると、優希さんは少し困ったような顔つきであたしの手を取り、ひょいと立ちあがらせる。
「ほら。こんなとこで座ってると、スカートが汚れるぜ」
「………す、すいません」
あたしはなんだか恥ずかしくなって、ぱっぱとお尻をはたく。
”少女漫画フィルター”のおかげだろう。今の優希さん、背中に百合を背負っているみたいに見えている。
優希さんはあたしの手を握ったまま、そっと日向の方向へ引き寄せた。
「空気のいいとこ、行こうか」
そして、彼女に導かれるまま、今朝の会合があった緑地公園へ向かう。
かつて、アリスちゃんが座っていたベンチに二人、並んで座って。
優希さんはまず、ぽつぽつと、事情を話し始めた。
例の”移動型マイホーム”に向かったこと。
そこで、奏ちゃんとロボ子ちゃんに、おおよその事情を聞いたこと。
「二人とも、心配してましたか」
「うん。――といっても、慌てて戻る必要はない。ここの周辺に居れば、万が一のことがあっても事足りるからね」
「……………」
あたしは、唇を真一文字に結んで、視界の隅でちょこまかと歩くホズミを観ている。
彼、優希さんの顔をにやにやと眺めて、
『よう、久しぶりだな、いちごちゃん。……っつって、聞こえてねーか。へへへへへ』
なんて、不遜な言葉を口にしている。
できれば蹴っ飛ばしてやりたかったけど、優希さんの前で変なところは見せたくなかった。
「それで、君……大丈夫かい? なんだか、調子が悪いみたいだけど」
「えっと、その……だ、だいじょうぶ……」
そこで、優希さんと目が合う。
心の奥まで見透かしているような、優しい目と。
「本当のこと、言ってくれるよね?」と問いかける目と。
この感想はきっと、”少女漫画フィルター”とは関係がない。
「……では、ないです……」
「うん。そーだろーね。ぶっちゃけ、観ていて明らかに普通じゃないもん」
「です、よね……」
「なんか、いまの美空ちゃん、コミュニケーション苦手系の男子みたい。他者との会話そのものが、強いストレスになってる感じ」
「うう……」
厭だな。
いまあたし、耳まで真っ赤になってるだろうな。
でも、我慢できないの。
身体が左右に揺れて、視線は宙を泳ぐ。
許されるなら、あっちこっちを走り回りたい気分。
「つらい?」
「……は、はい……」
「……それ、《狂気》スキルのせい、ってこと?」
「たぶん、そうです」
「変身、解除したら?」
「ダメです。それは」
言い切る。
「敵が、いつ攻めてくるかわからないんです。いまのうち、この状態に慣れておかなくちゃ。……たぶんあたし、戦えない……」
「そっか」
優希さんはそこで、困ったように笑って、
「美空ちゃんは、戦いたいの?」
「はい」
「無理、してない?」
「していません。こんなこと言うと、怖い人みたいだけれど……あたし、戦うのがけっこう、好きみたいです。戦うことで、たくさんの人のためになることがしたいんです」
「そっか」
そこで優希さん、ちょっぴり座り直して、距離をぐぐぐっと詰める。
二人はほとんど、密着するような格好になった。
「よっしゃ。そんじゃ、こうしようか」
「えっ」
そして彼女、ぎゅーっとあたしの身体を抱きしめたんだ。
それはもう、強く強く。
「わ、わ、わわわ。私、匂うかも……」
ゾンビを、山ほど殺したばかりだから。
「ぜんぜん。大丈夫。むしろ良い匂い」
「そんなはずは……」
「いや、まじまじ。石けんの匂いがするよ」
「それ、優希さん自身の匂いではないかしら」
「いや。わかるよ。昨夜は、同じ石けんを使ったろ」
「うううううう…………」
心臓はいま、破裂しそうなくらい高鳴っている。
誰かと、こんな風に触れあったの……いつぶりだろう?
”終末”が起こる前から数えても、ずいぶんしばらくぶりな気がする。
「ほら。こーしてると、落ち着くだろ」
「は……はひぃ…………」
「俺、スーパーガールのためなら、いくらだってこうしていられるぜ」
「ふ………ふふふ。ふへぇ………」
かちかちに緊張していた時間は、二、三分かな。
どうにも逃れられないことに気づいたあたしは、結局、この状況を受け入れることにしたんだ。
そしたらだんだん、胸の苦しさも収まってきて……そして、リラックスした愛玩動物みたいに、目をつぶることができた。
――あたし、このままキスされたら……受け入れちゃいそう……。
なんて。そんな風に思ったりしながらね。
もちろん、冗談。
優希さんには、もっとふさわしい人がいるだろうし。
そのまま、十分か、二十分か。
どれくらい時間が経ったかは知らないけれど。
気持ちは少し、落ち着いた気がする。
ホズミは相変わらず、その辺をぶらついていたけれど……「無視できる」と確信できる程度には、心に余裕が生まれていた。
「ありがとう。…………優希さん」
そう呟いた、その時だった。
彼女の、ぷるんと柔らかいピンク色の唇が、あたしの口を塞いだのは。
「………………………………………!!!!!!!!!!!!!????????????!!!!!!!!!!!!!!??????????????!????????????!?!?!?!!?!?!??」
その時のあたしの衝撃は、とても言葉で言い表せるものじゃなかった。
おどろき、半分。
うれしさ、半分。
まさか、まさかまさかまさか。
こんなに素敵な人が……………あたしと同じだなんて。
初めて会った。
初めて会ったの。
そういう人たちってさ。
物語の世界には、たくさんいるって知ってた。
でも、現実に出会うことは一度もなかったの。
だからあたし、諦めてた。
恋愛なんて一生、あたしには縁のないものだって。
そんな時だった。
――おぬしはもう、二度と恋愛できないようになった。
――おぬしがこれから、誰かと両思いになったら、頭が爆発して死ぬのよ。
――そりゃもう、……ぼん! ってなる。
アリスちゃんの言葉が、脳裏に蘇ったのは。
だからあたし、……思わず、身を引いてしまったの。
「あっ」
その時に観た、――優希さんの、傷ついた顔。
あたしがその後、百万回くらい思い返すことになる、哀しい顔。
それが……すごくすごく、いたたまれなくって。
あたし気づけば、自分でもなんでそんな真似をしたかわからないくらい、《狂気》じみた行動に出ていた。
「ひ、ひひひひひ。――《火系魔法Ⅳ》」
手を明後日の方向に向けて、……しゅごおおおおおおお、と、猛烈な火炎を放射。
「うわっびっくりした! なになになに?」
「えへへ。あたし、新しい魔法を覚えたんです」
「……………え?」
「すごいでしょ」
「う、うん」
「ところで、優希さん」
「……………????」
「おかげでまた、戦えそう。ありがとう」
そして席を立ち、
ぺこりと頭を下げて。
「さよならっ」
「あ、ちょっと……………」
呼び止めるその声を、無視。
逃げるようにその場を後にする。
目に、ちょっぴり涙を浮かべながら。
――神様は、残酷だよ。
とか。
なんだかそんな、物語のキャラクターみたいなことを思い浮かべながら。
でも、本当のところは、わかっていたんだ。
――アニメに登場する魔法少女は、敵わぬ恋に苦しむものじゃ。ワハハ。
本当に残酷なのは、彼女。
魔女、アリスちゃんなんだ。