その132 淫獣登場
まずい。
まずい、まずい、まずい、まずい。
まずいまずいまずいまずいまずいまずい。
壊れる。あたし。
おかしくなっちゃう。
オレンジ色の髪をがしがしと掻きむしりながら、あたしは一人、航空公園コミュニティ内にある、人気のない路地裏で三角座りしていた。
アニメ調の、ぺったりとした色合いの世界で一人、親指の爪をがしがしと噛む。ほんとはこれ、良くない癖だ。”ゾンビ”の血は、どこに付着してるかわからないもの。特に、今のあたしにとっては……実際に目に見えているものが、真実とは限らないから。汚いモノ、醜いモノは、”少女漫画フィルター”によって見えなくされているから。
それでもあたしは……まともじゃいられなかった。
「おちつけ。おちつけ、あたし。こんなの、現実じゃない……」
ぶつぶつと呟く。
すると、
『おいおい、しっかりしろよ、相棒』
あたしの目の前で、……おおよそ2.5頭身ほどの生き物が笑いかけた。
デザインを攻めすぎたゆるキャラを思わせるその顔には、はっきりと見覚えがある。
飯田保純さん。あたしたちが殺した、お金持ちの家の人。
『その格好、パンツまで見えちまってるぜ。匂い嗅いでもいいか? ぎゃははははは!』
声も、しゃべり方も、性格も……ぜんぶ一緒のホズミさんは、大きな声で笑いながら、あたしの隣にぽすんと座る。
彼の登場は、唐突だった。
ロボ子ちゃんが、太っちょ”飢人”をやっつけた、そのすぐ後のこと。
『ぴろりろりーん♪』って、ポケットの中のコミューンから音が、3回。
ついでに、
――――おめでとうございます! 実績”魔女の贈り物”を獲得しました!
なんていう、実績解除のお知らせが一つ。
そんで、”ウィザード・コミューン”で新しいステータスを確認したの。
その時に見たステータスは、
【ステータス】
レベル:14
HP:24
MP:145
こうげき:11
ぼうぎょ:14
まりょく:134
すばやさ:22
こううん:24
《狂気(強)》《正体隠匿(弱)》《自然治癒(強)》《皮膚強化》《骨強化》《火系魔法Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ》《水系魔法Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ》《風系魔法Ⅰ、Ⅱ》《地系魔法Ⅰ、Ⅱ》
こんな感じ。
もちろん、あたしが一番気になったのは、《狂気(強)》だ。
――えっ。これ以上あたし、おかしくなっちゃうの……?
そう思った次の瞬間には、”彼”はそこにいた。
『よっ! また会ったな!』
なんて台詞を口にして。
そして、今。
”移動型マイホーム”から逃げるように飛び出して、ここにいる。
『あーーーーっ……JKのパンツ観たから、ちんちんもぞもぞしてきたぁーーー。……悪いがあんた、具の方も見せてくれねえか?』
「……………」
『ひひひ。なんつってな。冗談だっつーの。おれは今も変わらず、ロリ専さ。十代後半の女とか、もうババアよ。対象外。ふへへへへへ。ひひひっ』
その笑い方、すごくこわい。
――淫獣。
そんな言葉が、脳裏に浮かんだ。
「………ねえ」
そこであたしは我慢できなくなって、遂に訊ねた。
幻覚とおしゃべりすること。その危険性は、重々承知だったけど。
「あなた……、あなたは……。いったい、何者なの?」
『そんなもん、あんただって気づいてただろ? あんたの心が産み出した、幻覚の一種さ』
ホズミは遠い目をしながら、にやりと笑う。
「ってことはやっぱり……ホズミさん、本人じゃないのね」
『さあ、どーだろうな? そこのところをどう思うかは、あんたの考え方次第じゃないか?』
厭な感じの答え方だ。
『あんたはおれに、酷いことをしたと思ってる。その罪悪感が、おれみたいなのを呼んじまうはめになったのさ』
「うう……」
思い当たる節は、なくはない。
実際あたし、その件で一回、やらかしてるし。
「……えっと。いっぱいお願いしたらあなた、消えてくれたり、しない?」
『無理だね』
言いながら彼は、自分の乳首をもぞもぞしてる。
『んー……いい……。やっぱり手持ち無沙汰の時は……ここを刺激するに限る……。おれ、この癖のせいで一回、仕事を首になったことがあるんだ……』
中年男性のマスコットが性的に興奮する様子は、控え目に言っても地獄のような光景だった。
「やめて。おねがい」
『いーや。無理だね。あんたの心は、あんた自身が傷つくことを求めてる。だからおれに、こういうことをさせているんだよ』
思わず、二の腕をぎゅっとつねる。
これが、……人を殺した、罰ってことか。
「ひとつ、おねがいしていい?」
『なんだ?』
「せめて、戦闘の時は出てこないでくれないかな」
『悪いが、それは無理だ。そもそもおれ自身に、それを制御する権限はない』
「…………そっか」
心が再び、深淵に沈みそうになる。
「ってことは今後、あなたと付き合いながら、戦わなきゃいけないのね」
『そうだな』
ホズミはそのまま、路地裏の汚いところで、ごろんと横になり、カーペットの上でリラックスするみたいな姿勢でこちらを見上げた。
幻覚のくせに、その様子はとてつもなくリアルで、服もしっかり汚れてる。
目眩がしていた。
『まあ、そんなに後ろ向きになるなよ。変身を解除すりゃ、おれは消える』
「でも、戦うたびにあなたが現れたら、邪魔だわ」
『そうなったらもう、無視するように努めるしかねぇな。テンションによっては、俺を観ずに済むかもしれねぇし』
「うううう……」
本日何度目になるかわからない、うなり声。
変身さえ解けば、この状況は解決する。
それはなんとなく、感覚的にわかっていた。
ただ、……いまはとにかく、彼との関係を解決しなくちゃ、いけない。
そういう直感があった。
罪悪感を抱えたまま、次に進むことはできないから。
「ねえ、お願いだよ。……あたしを解放して。もし、あなたが望むことがあるなら、なんでもしてあげるから……」
『――そんじゃ、ちんちん触ってくれや』
「……は?」
『ぎひひひひひ。なんでもしてくれるんだろ?』
「………………あなた、ロリコンじゃなかったの?」
『まあな。だからいまのは、冗談だ。相変わらず、お笑いがわかってねえ女だな』
「きらいよ。あんたのこと」
『わかってるとも。――だがな、お嬢さん。あんたがいま、おれに聞いているのは……言っちゃあ何だが、不毛なことだぜ』
「不毛?」
『そうとも。……あんたが今後、この”終末”を生き残るのであれば。――わざわざ殺した相手の”望むこと”全てを叶えていく訳にはいかない』
「…………」
『あんたは、強くなるしかないのさ』
そう、幻覚のマスコットキャラクターに諭されて、あたしは渋い表情になる。
「でも、――」
と、その時だった。
「見ぃつけた」
そんな言葉とともに、あたしに手を差し伸べてくれた人が、現れたのは。
すらりとした、背の高い女性。
神園優希さんだった。