その128 手に負えないもの
「ちょっとまて。街が滅ぶというのは、どういうことだ」
『それはぁ……そのぉ……』
アリスは、気まずそうにほっぺたを掻いて、
『ごめん。いまの言葉、忘れて。飢人のことはわりと、ノータッチだから』
「忘れられるわけないだろ……」
呆れてそういうと、アリスはぱたぱたと部屋の中を歩き回って、
『あー、わしちょっと、用事思いついたから。そろそろ帰ろうかなー?』
などと、露骨に距離を取るようなセリフを口にする。
それにはさすがに、顔をしかめた。
「まさかとは思うがきみ、逃げようっていうんじゃ」
『アホ。その逆。……言っておくがわし、おぬしらの味方なんじゃぞ』
「ホントかね。疑わしいなあ」
『恩知らずめ。だからいろいろ、世話焼いてやっとるっちゅーのに』
「世話、ねえ……」
まあ何となく、彼女がそっち側だということは気づいている。
とはいえそこに、人情のようなものを感じられないのは僕だけだろうか。
そしてアリスは、
『…………本は、借りてく。そのうちまた、来るから』
そう言って、背を向けた。
僕はと言うと、少女の後ろ姿を見送りながら、
「好きにしろ」
そう、小声で言うだけに留めておく。
彼女の存在は、貴重だ。
今日一日の対話だけでも、通常の”プレイヤー”であれば得られない情報を山ほど得られている。
僕が今後、この世界で力をつけるなら……この”情報”によるアドバンテージの結果だろう。
▼
その後僕たちは、再び屋上にある”移動型マイホーム”へ移動した。
道中、無力に転がっていた脂肪の塊、――ツバキを、えっちらおっちらと室内に運び込んだりして。
『……これでお前と、いつでも連絡できる』
と、カナデさん。
どうやら彼女、僕との連絡手段を求めていたらしい。
僕と歩み寄りたいのか、距離を取りたいのか……いまいち良くわからない女の子である。
『これから、どうする?』
『わかんない。とりあえず、仲間の力を借りるつもり』
確かに、あの化物を殺すには、一撃必殺の攻撃力が必要だ。
僕もカナデさんも、そういう戦い方は得意じゃない。
予定は大きく変わってしまった。敵の防御力が、想定外だった。
カナデさんはその後、キッチンまで移動して、――冷蔵庫に貼り付けてある予定表に、緯度と経度を書き込んだ。
まさかと思っていると、”移動型マイホーム”の操作は、たったそれだけで事足りるらしい。窓の外の景色がふわりと浮き上がる。
室内が特に揺れていないことは、食卓に飾ってある花瓶の水がほとんど振動していないことからわかる。
どうやら何か超常的な力が作用して、快適に過ごせるように設計されているらしい。
――この、訳のわからない気遣い。じつにアリスらしい。
そう思いつつ、外窓からマンションを見下ろす。
するとそこには、潰れたはずの脂肪の塊が、体長3メートルほどにまで膨れ上がっているところが見えた。
「あいつ、ダメージを受ければ受けるほど、どんどん大きくなるのか?」
もしそうなら、アリスが慌てた理由にも合点がいく。
つまりあの怪物、――下手に攻撃を続けると、手に負えなくなってしまうではないか。
『かなで』
『ん?』
『きみたちなら、やつを、ころせるのか』
『わかんない』
カナデさんは、率直だった。
『けど、あいつらなら……』
続く言葉は、眼下に存在する化物の方向により中断された。
『――ぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい……ッ』
奴が、具体的に何を言ったかは定かではない。少なくとも僕には、ポケモンの鳴き声のように聞こえた。
『「ダリィ」、か…………。その言葉、そのまんまお返ししたい気分でし』
しっかり音を聞き取ったらしいカナデさんが、物憂げに言う。
しかし、奴は別に、叫んだだけで何もしなかった訳ではなかった。
怪物は、その巨体を巧みに使って、マンションのベランダに足をかけ、……そのまま、壁を登り始めたのである。
『うげ。……あいつまさか……』
その後の奴の行動は、驚くほど機敏だった。
もはや、疑念は確信に変わっている。
やつは恐らく、やられればやられるほど、どんどん強くなるのだ。
玩具の山で、不気味な赤ん坊が暴れている。――そんな言葉を想起させる絵面で、やつはマンションのベランダを登る。
『……こっちに飛び移ってくる気?』
僕は慌てて、キーをタイプする。
『いそいだhうが、いいのdは』
くそ。落ち着け、僕。ミスタイプが続いているぞ。
『そう言われても。車の運転とは違うもの!』
カナデさんが、ちょっぴり泣きそうな顔をする。
僕たち二人が見ている前で……屋上まで到達した肉の塊が大きく屈み……そして、跳ねた。
『……ひっ』
視界が、大きく揺れる。どうやら彼女、僕が使役しているゾンビに抱きついたらしい。
三メートルの巨体が、助走を付けた勢いで、フェンスを跳び越える。
ぶよぶよの肉の塊が飛び跳ねて、”移動型マイホーム”に手が届く……その前に。
「――《謎系》!」
とりあえず僕は、叫んだ。
発動したのは、《水系魔法Ⅱ》だ。こうなったらもう、贅沢は言っていられない。僕はそれを、窓越しに思いっきりぶん投げた。
『あっ』
パリンと音を立て、硝子窓が砕ける。
水球が、”飢人”の眉間に突き刺さった。
結果、僕の仕事は想定通りの役割を果たし、奴は地面に落下していく。
その落下地点には、――すでに集まっていた、山ほどのゾンビの大群が見えた。
『おおっ! ないす!』
カナデさんが、ぱちんと指を鳴らして喜ぶ。
しかし、僕は渋い顔をしていた。
――違う。たぶん今のは、攻撃させられたのだ。
自らの身体を、ますます強大に変異させるために。
果たして僕の想像は正しく、再び潰れた水風船となった”飢人”は、むしろその体積を肥大化させながら、恐らくは頭部と思しき部位をこちらに向けている。
恐るべきは、その肉体を自ら、”ゾンビ”どもに食わせているらしい点。
野郎、自ら傷つくことで、無尽蔵に強くなろうとしているらしい。
「こいつは……」
『まずい、でし』
二人揃って、声がうわずっている。
――これは、そもそも……。
我々の手に負える、問題なのか?
何も言わずに立ち去った、アリスのやつめが憎らしかった。