その127 恐怖の対象
さて。
ここいらで、《謎系魔法Ⅰ》が引き起こす事象について解説しておきたい。
これはのちのち、安全が確保された後に検証した情報である。
1、呪文がやまびことなって木魂する。
2、ゾンビ(恐らくはその付近に居た個体)が、すぐそばに一匹、召喚される。
3、火系、水系、雷系Ⅰ~Ⅴの中からランダムで効果が発動する。
4、僕の魔力が全回復する。
5、呪文を使用した個体が、身動きできなくなる。この状態は《治癒魔法Ⅱ》を使うことで回復する。
6、”何か”を召喚する。現れた”何か”は、周りにいる敵を攻撃する。
7、時間が一分ほど巻き戻る。
8、プラスにもマイナスにもならない謎の現象。(例:すっかり疲弊した不死のチンパンジーにハムレットの台本を手渡される、など)
9、何もおこらない。
そして、この時。
”飢人”を目の前にした状態で発動したものこそが、
――6、”何か”を召喚する。現れた”何か”は、周りにいる敵を攻撃する。
これだった。
そのとき僕がPCモニター越しに目の当たりにしたのは、……うまく言えないが、”闇”という概念そのもの、とでも言うべきものであった。
まず、周囲との境界が定かでない、曖昧な存在がある。
その中に、まん丸で巨大な目玉が二つと、三日月型に裂けた口が、ぷかぷかと浮かんでいるのだ。
「なんだ、これ」
眉をひそめていると、
『ああ、それな。その呪文を唱えた個体にとって、最も恐ろしいものだ』
ドヤ顔のアリスが説明してくれる。
「それ、話してもいいのか? ネタバレなんじゃないのか」
『物語に大きく関わりのないキャラクター設定に関する解説は、セーフってことで』
「………………なんだそれ」
映画監督のオーディオコメンタリーみたいなことをいうやつだ。
『《謎系魔法Ⅰ》の仕様にはひとつ、”恐怖の対象”を召喚する、というものがある。今回は、それが発現したんじゃろう』
「ふーん」
眉を段違いにして、出現したそれをまじまじを眺める。
「僕は……別にこれ、怖くないけども」
『そりゃそーじゃ。今回の魔法を唱えたのは、おぬしではなく、おぬしが使役している”ゾンビ”じゃし』
「へえー……そっか……」
現れたそいつは確かに、「子供なら怖がりそう」な見た目をしている。どことなく、なまはげに似ている、というか。
「ちなみにこいつ、味方?」
『うん、味方』
内心、アリスに感謝の言葉を述べる。
そこに確信を持てただけでも、非常に有力な情報だ。
そこで僕は、キーボードを素早く入力して、
『あれ、やっつけて』
飢人を指して、言った。
すると、現れた”恐怖の対象”とやらは、ゆらりと影が揺らめくようにそちらへ向かう。
そのまま、状況を見守ること、数秒。
奴が”飢人”の背後に飛びかかると、すぐさま戦いが始まった。
『ぐぅうううううあああああああああああああああああああ!』
突如として現れた謎の襲撃者に、悲鳴を上げる”飢人”。
醜悪な姿のそいつに、これっぽっちも物怖じせず飛びかかる”恐怖の対象”。
絵面は、ホラー映画の怪物同士の殺し合い、といった感じだろうか。
闇色のオバケと、血まみれの脂肪の塊。
それら二つが、組んずほぐれつ犬の喧嘩じみた殺し合いを演じている。
マンションの外廊下。
狭い空間での、原始的なぶつかり合いである。
二匹の怪物はどちらも、”手足”という概念が曖昧だ。
だからだろう。両者の攻撃手段はただ、体当たりの他にない。
『あー……そっか。”恐怖の対象”って、《治癒魔法》無効の設定にしてたから……それで良い勝負になっとるのか』
アリスが、なんだか興味深そうにPCモニターを覗き込む。
「なんだかしらんが、がんばれ」
彼女の隣で、僕が手に汗握っていると……、
『ぐぁあああああああああああああああああああああああああ……』
脂肪の塊が、廊下の柵を乗り越えて落下した。
「おお」
階下を覗き見ると、潰れた水風船のようになっている”飢人”が見える。
その姿を見送った”恐怖の対象”は、一瞬だけこちらに目配せした後、すぅっと消えていった。
ほっと、大きく息を吸って。
僕は慌てて、カナデさんのいるところを目指す。
――怪我、してなければいいのだが……。
そう思って廊下を進み、大量の血液でぐっしょりと濡れている空間に行き当たり……さらにその奥で、顔色を青くしているカナデさんを見つけた。
彼女は一瞬、こちらの姿を見て、
『……ゾンビ使い?』
と、訊ねてくる。こくこくと頷くと、少しだけ警戒を解いて、
『おまえ……オバケを呼ぶ力もあるのか』
と、嘆息混じりに言った。
これには、イエスともノーとも答えないでおく。
『だんだんあちし、あんたとの勝負、勝てる気がしなくなってきたよ』
『なら、もう、やめよう。こんなこと』
『そういう訳には、いかないの』
カナデさんはそこで、大きく嘆息して。
『それに、まだ敵は死んでないでし』
『そうなのか』
『……うん。あいつ、身体中を穴だらけにしても死ななかった。たぶん、高いところから落っこちた程度でどうにかなるものじゃない』
『………………』
一応、もう一度階下を覗き見る。
グロテスクなお好み焼きみたいな姿になったそいつをよく見ると、僅かに痙攣しているのがわかった。
PC前の僕は、露骨に厭な顔をして、
「参ったな。もうこうなってくると、どうやって殺せばいいかわからんぞ」
単純な、火力不足。
そんな言葉が、頭に浮かぶ。
――ここはいったん退いて、みんなと戦う算段を固めた方がいいかもしれないな。
と。
そこでようやく、すぐ隣で、PCモニターをじっと見つめている魔女に気づいた。
彼女、なんだかソワソワしながら口をぽかんと開けて、……数秒後。
『あ、これ、ヤバいかも』
なんだか、不吉なセリフを口にする。
「どういうことだ?」
『あの”飢人”、――ちょいとばかり、想定外の挙動をしとる』
「想定外の、挙動?」
その言葉はまるで……バグを発見したゲームクリエイターのようで。
そして彼女は、続けてこういうのだった。
『これ、ほっとくと、街ごと滅ぶかもしれん』