その124 彼女の憎むもの
現れたその男、――いや”飢人”は、奏の目の前で大あくびをしてみせた後、
『あー、ダリ。気ぃ滅入ってきた……』
夏場、放置しすぎたアイスクリームみたいな顔面を、こちらに向けた。
『スズランのやつ、ヒト使い荒すぎて……ダリ』
そして、その身体をゆっくりと前に傾けながら、どてどてとこちらに向かってくる。
――ぼくが、しんだら、にげること。
ヤツの言葉が、脳裏に蘇る。
今のツバキの状況。……生きているのか。死んでいるのか。
ぱっと見ただけでは、よくわからない。
ただ、見捨てられない。放っておく訳にはいかない。
何故だか、そう思えたのである。
「……ちッ」
小さく舌打ちして、マガジンキャッチを解放。
かしゃり、と古い弾倉が地面に跳ね、――素早く、その代わりを差し込んだ。
ごく普通の女子高生ができる芸当ではない。家庭の事情で、一万回は反復した動作だ。
そのまま、敵の頭部に弾丸を撃ち込む。
乾いた銃声が、マンション中に反響する。しかし、敵は『あ』とか、『う』とか……薄い反応を示すだけ。
どうも、撃たれた場所から順番に、傷が塞がっていくらしい。
「……なんだ、コイツ……ッ」
ゾッと背筋を凍らせて、距離を取る。
――接近、させてはいけない。
そういう確信があった。
恐らく、効果範囲は敵周辺。
あの範囲内に侵入した者の肉体を変異させる……それが敵の能力なのだろう。
奏は、ぴょん、ぴょんと猫のように”移動型マイホーム”の白壁を昇り、敵から距離を取る。
見たところ奴は、身軽ではない。
高所に上れば、追いかけて来れないだろう。そういう判断だった。
『……………あッ。ダリ……』
それはどうやら正しかったらしく、太っちょのそいつは、実に不愉快そうな表情でこちらを睨み付け、家の周りをぐるりと半周。足がかりになるような場所を探す。
そこで奏は、敵の意識が逸れているうちに、ぴょんと高所から飛び降り……ぶくぶくの肉塊となったツバキへ駆け寄り、声をかけた。
「おい。大丈夫かッ」
返答は、”ゾンビ使い”にしては早かった。
『ツバキは、しんだ』
何を言うか、最初から準備していた……そんな感じだ。
要するに、奴が言いたいことは、一つ。
――逃げろ、か。
こいつまた、格好つけみたいなことを言いやがって。
歯がみしながら、奏は眉をひそめる。
『おまえぇえええええええええ……逃げるなよぉおおおおおおお………俺、馬鹿みたいじゃないかぁあああああああああああ………』
背中からは、地獄の底の亡者みたいな声で”飢人”が呼んでいる。
もし、奴から逃げるなら……”移動型マイホーム”を使うのが最適解。
――こいつ……たおすッ。
だが、何故だかその時は、まるでそうする気にならなかった。
気づけば彼女は、向かうべき場所とは真逆の方向……マンション内へと飛び込んでいく。
なぜ、そのような真似をしたか。
これは、一色奏の性根に関わる部分である、
――自分は、弱い女じゃない。護ってもらう必要はない。
と、いう想いのためだ。
彼女は、物語の中に登場するお姫様を憎んでいた。
守られるだけのヒロインを、憎んでいた。
階段の手すりを滑り台代わりに、つるつると階下へ降りる。
――やつは、ここで始末する。
半分の半分くらい、意地になっている自覚はあった。
二階ほど下に降りたあと、さっと外廊下に飛び出す。
視界内には、……ゾンビ、なし。
奏は、とにかく真っ直ぐ走り抜け、”飢人”と距離を取る手を考えた。
――通常弾では、倒せない。
なら、もっと強力な弾丸を使えばよい。
「――《弾丸作成》……ッ」
”射手”は、銃の弾丸の作成・その威力を調整することが可能だ。
とはいえ普段は、その威力を必要最小限度に抑えている。その方が取り回しがしやすいし、手持ちの9mm拳銃の摩耗を防ぐこともできる。
しかし今日ばかりは、少しだけ無理をしてもらう必要がありそうだ。
――おねがい。保ってね。
相棒に想いを込めて、たったいま創りだした弾丸を一発、装填する。
そして振り向きざま、邪悪な表情で追いかけてくる”飢人”の頭部に狙いを付け、引き金を引いた。
いま生成可能な、最大威力の弾丸は、――通常の9×19mmパラベラム弾とは根本的に違った発砲音と共に、敵の頭蓋骨を粉砕、その内部に詰まっていたはずの赤黒い脳を、コンクリートの床にぶちまけた。。
「……よしッ」
気持ちの良い殺しをしたとき特有の、朗らかな笑みがこぼれる。
この時だけはいつも、気分が良い。難しいゲームをクリアした時のような気分だ。
しかし、彼女の高揚は長続きしなかった。
死んだはず敵が、まだまだ元気はつらつとしている事実に気づいたためだ。
『あぁあああああああああああああああくそっ。ダリぃいいいいいいいい』
太った”飢人”が再び身を起こし、……頭部が半分吹き飛んだままの状態で、怨嗟の言葉を発したのである。
「………………ッ!」
気味の悪いものはすでに山ほど見てきたが、その光景の忌まわしさにはさすがに閉口した。
”飢人”の頭から上半分が、みるみる蘇生していく。
それも、ただ傷が癒えているだけではない。
粘性のある脂肪が、肉体の内側からあふれ出るように吐き出されて……その肉体を、元の形とはまったく違った存在へと”復元”していくのである。
――醜い。
それが、奏が思った最初の言葉だった。
あれは、生命、ではない。それとは別の何かだ。
――それなら……!
もう一度、同じ威力の弾丸を生成。今度は三発。
かしゃん、かしゃん、かしゃんと手際よく弾倉にそれを突っ込み……リロード。
今度は敵の心臓部目掛けて、撃つ。
『や………め………ッ』
うち、一発は、手のひらで防がれる。
しかし、二発目三発目は、想定した通りの位置に着弾。化物の胸に大穴を空けた。
『お…………ま……………え…………ッ』
「くたばれ」
これで、終わり。仮に生きていたとしても、戦闘能力はなくなるだろう。
敵はいま、胸元から上と下に分かたれて、廊下の上、ゾッとしない量の血液をぶちまけている。
その量たるや、洪水の如く。
排水口が、泥のような血液であふれ出そうになる有り様だった。
「……………………――仇は、――」
とったぞ。
その言葉が、あまりにも楽観的な判断であったことに気づくのは、ほんの数秒後のできごとである。