その123 悪い奴
『ぼくが、まえに、でる』
ふむ。
『きみは、はなれて』
ふむふむ。
『ぼくが、しんだら、にげること』
ふむ………。
そこまで聞いて、カナデは渋い表情になる。
――まるで、物語の主人公みたいなことを言うヤツでし。
最初に手を出したのは、こっちなのに。
自分は、ヤツの仲間(ゾンビだが)を殺した張本人なのに。
それでも向こうは、こちらに歩み寄ろうとしているわけで。
「……………………」
彼女も、馬鹿ではない。
さすがにそろそろ、この事実に気づきつつあった。
――こいつ、気色悪い能力を持ってるわりには、そこまで悪い奴じゃない。
胸が、苦しくなる。
「ん。……わかった」
『不機嫌』で凝り固まった顔の筋肉を、手のひらでもみほぐしつつ。
途中、頭部を射貫かれている”メイドロボ”のそばを通った時、
『こいつnこと、ごm……すまんかった』
奇妙な台詞回しで、謝られる。
「…………。べつに、構わないでし。どーせガチャ引いて出ただけのやつだし」
ため息交じりにそういうと、
『エー。ゴ主人様ッタラ、ヒドイコト、イウナア(;_;)』
突如として”さなヱ”が動き出し、哀しげな声を出した。
「あら。生きてたんだ」
『ハア。問題アリマセン(*^_^*)』
問題もないのか。
……どこをどうみても、致命傷を受けているようにみえるのだが。
『ダメージデイウト、10点クライデショウカ? ……トハイエ、ショックロールニ成功シタノデ。平気デス( ^o^)ノ』
「うん、そっか。10点の基準がわかんないでしが……」
とにかく、そういうことらしい。
深く深く嘆息して、彼女を捨て置く。
彼女のことは、もとより好きではない。
なんかこいつ、……男に媚びてるような感じがするのだ。心なしか。
▼
二人が玄関を空けると、屋上の強い風が顔に当たった。
見ると、鉄扉はまだぴったりと閉じたまま。
何かが出入りした様子はない。
「…………すう」
そこでいったん、スキルを発動。《風圧軽減(強)》と呼ばれる、恐らくは”射手”専用のスキルだ。
これにより、自身と、自身が発射する弾丸に対する風の影響を、ほとんど0にすることができる。
以前、ミソラと喧嘩したときは、このスキルを使って《風系魔法》を無効化した。《風系魔法》は凶悪な対人性能を誇るが、こういう弱点もある。
なお、肩にかけたガンスリングには一応、”チェーホフの銃”を引っかけておいた。
どのような効果かは未だにわからないままだが、初めて手に入れたSSRアイテムだ。きっと役に立つだろう。
むろん、メインで使うのは、手に馴染んだ9mmである。
カナデは、照準器を覗き込みながら、簡単に彼我の距離を測った。
――もし、”飢人”があそこから飛び出してくるのなら……。
距離は、20メートル、というところだろうか。
自分の腕なら、百発百中の射程だ。
『いくまえに、いちおう、なまえ、いう』
「――?」
『このこは、ツバキだ。そうよんで、やってくれ。……よろしく』
そう言ってツバキは、何気ない仕草で扉へ向かった。
ご丁寧にも、
『それじゃ、そろそろ、かえるのでー。またあしたねー』
という、棒読み演技(普段からそうだが)を言いながら。
――扉を開くと、戦闘が始まるだろう。
息を呑んで、その姿を見守る。
”ツバキ”は、用心深くボウガンを構えながら、
『また、れんらく、するー。ソレジャネー』
扉を開いた。
金属が軋む音を立てて……暗い建物内に見えたもの。人影が、ひとつ。
『ぐぅぅぅぅぅ……あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ……』
身の丈170センチ。体重120キロはたっぷりある、太った”ゾンビ”。
そいつが、よろりと倒れるような足取りでこちらに歩み寄る。
「――……」
カナデは冷静に狙いをつけ、引き金を絞った。
たん、と、耳慣れた銃声。
ゾンビの額に、赤黒いスタンプが押され、その場に倒れる。
「……いまのが、”飢人”……な、わけ、ないか」
ツバキは、答えない。
彼女は、真剣な眼差しで階下を睨んで、その先になにもいないことを確認した。
『……………おかしいな』
「どういうことでし?」
『…………………。ひょっとするとまだ、したのかいに、かくれて、いるのかも』
どうやら、”ゾンビ使い”の勘が外れたらしい。
――正確に、敵位置を把握していた訳じゃなかったのか。
「だとすると、厄介でしね。ヤツがこの建物に潜んでいるなら、どこかで罠を張っていることは間違いないでし」
『うん』
「どうする? ここはあえて、こっちから飛び込むか……」
それとは、別の案。
どこかで待ち伏せして、油断して出てきたところを潰す。
”狙撃手”のやり方だ。
『どうだろう。……だが、――』
そう、言いかけたその時だった。
『えッ、あ…………ぐ…………んぐ………』
突如として、ツバキの様子がおかしくなり始めたのは。
「――? どうした?」
一瞬、彼女に駆け寄るべきか迷うが……、ツバキが、無言のままこちらを制止する。
奏は、落ち着いて状況を見て、――すぐさま、”異常”の発生源を突き止めた。
たったいま始末した、ゾンビ。
こいつの屍体を中心に、その場にある色彩が、ひどく色あせて見えているのだ。
――こいつ。まだ生きてる。
そこまで気づいたら、後は早い。奏は素早く、死体目掛けて9mmを連射した。
ぱす、ぱす、と音を立て、死体に穴が空く。
弾倉の中身を、全て撃ち尽くして……そしてようやく、敵が無傷であることに気づいた。
「このやろ………ッ」
ゾンビのふりをした、”飢人”。
こんな小手先の手に引っかかるとは。我ながら間が抜けている。
『ぐ…………げ………………』
間抜けの代償を支払わされたのは、奏ではない。”ゾンビ使い”の方だった。
ツバキと名乗ったその個体の身体が、異常な変貌を遂げている。
一瞬。
ほんの一瞬だけ。
ツバキの身体が、我々人類と同じ形になった。そう思えた。
血の気のない肌に、みずみずしい生命力を感じられた。
とはいえその瞬間はすぐに通り過ぎ、――彼女の肉体は、見る見る膨れ上がり……巨大化していく。
「………………嘘………………」
太っている。それも、猛烈な勢いで。
それは控え目に言って、「女の子にとっての悪夢」とでも言うべき光景であった。
60キロ。
70キロ。
80、90、100。
130、160……200キロ。
可憐だった彼女の姿が、肉の塊に変貌していく。
やがて、アメリカのドキュメンタリー番組に登場する肥満体の女性みたいな姿になったツバキは、
『……………………ご……………………』
そう言ったきり、ぴくりとも動かなくなった。
数歩、後退る。
その傍らで、倒したと思った敵が、ゆらりと起き上がったためだ。
太った男はそして、
『ふわぁああああああ、あ……ダリ……』
余裕たっぷりの欠伸をして、起き上がった。