その122 気づき
”飢人”。
ゾンビ化したプレイヤーにして、人類の敵。
僕がその感知に成功したのは、
――例えば、その辺りのどこかに、”飢人”が潜んでるかも、って。
アリスのこの言葉を、念頭に置いていたためだった。
それに起因する、気づきが一つ。
――この辺りの”ゾンビ”の動き、……なにかおかしい。
このマンション内に存在するゾンビが、ほとんどいなくなっている。
例外は、ただ一匹。
ただ一匹だけ、こちらに向かっている個体がいたのである。
一見それは、ただただこちらを目指しているだけの、ごく普通の”ゾンビ”に見えた。奇妙だったのは、そのスピードが常に一定であること。ほとんど足止めを喰らっていない、ということ。
連中が人を追いかけるとき、その動きは単純だ。
追いかけて、噛みつく。それだけ。
扉を開けたりはできない。
にも関わらずこの個体は、ツバキのいるマンション内をただ、真っ直ぐに進んでいる。まるで誰かを、……案内するように。
以前の戦闘で、”飢人”はMAP画面に表示されないことがわかっていた。故に直接、《死人操作》アプリから、ヤツらの居場所を判別することはできない。
――だが。この動きは……。
誰かを、先導しているような。
まるで事前に、罠がないかを確かめているかのような……そんな違和感があった。
小さな疑念。
次に僕は、この辺りのゾンビの動きを、俯瞰して捉えることにした。
するとどうだろう。
ゾンビの群れから、何者かの意志を感じられるではないか。
それはまるで、この建物全体が台風の目であるかのよう。
この建物からは絶対に逃さないぞ、という強い想いを感じる。
「これは……ッ」
明らかに、この僕……”ゾンビ使い”を意識した動きだ。
思考に掛かった時間は、およそ数秒。
”移動型マイホーム”内のリビングにて。
カナデさんが、未知の手段により幻覚を産み出している事実に気づき……どうやら向こうに、殺意がないことを理解した、すぐ後のことだった。
そして僕は、こう呼びかける。
『おい、カナデさん』
カチャカチャカチャカチャ……ッターン!
『いったん、しょうぶは、おあずけだ』
返答は……しばらく、ない。
だが、聞いてくれている。そういう確信があった。
たっぷりの、間。
声がしたのは、壁の向こうからだった。
『なんでし? ……この期に及んで、命乞いでしか?』
この問いかけには僕も、タイプ速度が速くなる。
カチャカチャカチャカチャ、ッターン!
『きじんが、すぐそばにいる』
『どういうこと?』
『やつらの、ねらいは、たぶん、きみだ』
これは恐らく、だが。
アリスはたぶん、本当のことを言ったのだろう。
追跡者は元々、ゾンビたちに紛れて不意を突くつもりだった。
しかし、カナデさんの存在に気づいた結果、予定を変更した……。
”飢人”の狙撃手。
考え得る限り、最悪の存在を創り出すために。
『ふーん。そうでしか。……それで、詳細な敵位置は?』
『ぼくの、よそうが、たしかなら。……すぐそこ。ぼくが、とおってきた、てつの、とびらの、むこうに、いる』
カチャカチャカチャカチャ。長文を叩く手間が惜しい。
「ああ、くそ。この会話法、もっとスムーズにならんのか」
独り言を言うと、制作者のアリスが唇を尖らせた。
『そんならいつも、無線機でも持たせておけばぁ?』
「それだと声がバレるし、電波の関係で家バレの恐れもある。……常に、そうしている訳にはいかないだろ」
『じゃ、あーきーらーめーれーばー?』
「……忙しいんだ。拗ねるなよ」
『べつにぃー? 拗ねてないしぃ?』
「ゲーマーという生き物は、とりあえず仕様に文句を言うものだ」
『……ぷん』
うわ、この魔女、めんどくさい。
とはいえ、これ以上構っている余裕はなかった。
カナデさんは、『はぁ~~~~』と、深いため息を吐いたあと、
『わかった。本日二度目の休戦ね』
『ああ』
カラリと窓を開け、のそのそ室内に入り込んでくる。
その肩には、ずいぶんと古びた型式のライフル銃が掛かっていた。
――そんなところにいたのか。
”ゾンビ”ごしに話していると、鋭敏な五感が働かない。現実にそこにいる場合と違い、”気配”を察知することが難しい。
僕の能力には、こういう弱点もある。
『よし。では、いどう、しよう』
”移動型”の家ならば当然、ここから動くことが可能なはず。
しかしその提案には、
『悪いけど、それはできない、でし』
カナデさんは、反対だった。
『どうしてだ』
『これはむしろ、チャンスでし。こちらは、”飢人”の位置を把握している。向こうはそれに気づいていない』
それは……どうだろう。何とも言えない。
僕はまだ、”飢人”の索敵能力がいかほどか、把握できていない。
連中、僕と同じくゾンビの行動を制御できるらしいが、それをどのように行うかはよくわからなかった。
『それになにより、ヤツはいま、油断してる。いまこの建物の中にいるなら、ゾンビ軍団に守られているわけじゃない。……そうでしょ?』
なるほど。
やはり彼女たちにとって、”飢人”の脅威度はかなり高いらしい。
数秒、頭の中をぐるぐるぐるぐると回転させて、
――ヤツなら、僕が必ず殺す。君は安全な場所に逃げるんだ。
カッコいいセリフを言うかどうか、迷った。
僕が物語の主人公だったなら、きっとそうしただろう。
だが、実際にこういう場面になると、リスクの大きさが目立つ。
僕の能力の正体。
そのヒントを与えてしまうことになるためだ。
仲間の命を預かる身として、それはできない。
――本当は僕だって、スーパーヒーローになりたいのだが。
どうも、僕の役割はそうじゃないらしい。
嘆息しながら、
『わかった。やろう』
キー入力。
せめて、
『ぼくが、まえに、でる。きみは、はなれて。ぼくが、しんだら、にげること』
この程度の台詞をいうのが、精一杯だった。