その117 厄介な来客
右クリックで、金属バットをぶんぶん素振り。
『ぐるるるるるるるるぅ…………がう』
豪姫のテンションも、かなり盛り上がっている。
「はやく戦わせろ」。まるでそう言っているかのようだ。
僕は、ゾンビ軍団にじりじりと近づきながら、注意深く距離を測っている。
ゾンビの扱いにおいて重要なのは、適切な距離感を保つこと。
こういう時に役立つのは、アスファルトに描かれたセンターラインだ。
僕は、眼下に描かれた白線を定規代わりに、
『ぐ……………があっ!』
先頭のゾンビの頭部を、正確にクリックした。
ぶしゃ、と黒い脳漿が宙を舞い、ゾンビが一匹、地に斃れる。
作業そのものは、驚くほど簡単だった。力を強化された……実感すらない。そもそも僕の使役するゾンビたちは、わりと簡単にゾンビを殺すことができた。恐らくこの”ステータスの強化”は、もっと強大な敵……飢人とか、プレイヤーとの戦いに役立つように設定されたものであろう。
『があっ! ぐあっ! ……りゃあ!』
豪姫が、片っ端から敵を殺していく。
なお、すでに彼女のステータスは、
なまえ:かりば ごうき
レベル:9
HP:25
MP:19
こうげき:55
ぼうぎょ:12
まりょく:9
すばやさ:33
こううん:5
ここまで上昇していた。
こんなに強くなったのだから、このゾンビ戦で少しでも戦闘力を上昇させて、いずれ訪れる飢人戦に役立てたいところ。
片っ端から敵を殴っていると……どうしても数匹、倒しきれなかった個体が、航空公園の方面に向かっていく。
『……うるぁ!』
とはいえ、そういうのはぜんぶ、マッチョくんがやっつけてくれた。
彼はけっこう、放っておいても上手に戦ってくれるタイプのゾンビで、普段から役に立ってくれている。
「この分なら、駅のグループに到達される前に全滅させられるな……」
そう、小さく呟きつつ。
この数の勝負、……常人であれば、途中で力尽きてもおかしくはないが、幸い僕のゾンビたちは、疲れるということを知らない。僕がプレイ・ミスをしない限り、敗北することはほぼ、ない。
むろん、この僕に限って、そのような失敗はあり得なかった。自慢ではないが僕は、『Counter-Strike』のプレイヤー・ランキング上位に名を連ねていた時期がある。この程度の仕事なら、最大九時間までミスなしで続けられる自信がある。そういうことができるよう、訓練していた時期があるのだ。
道幅が狭い場所で敵を待ち構えていたことにも助けられた。
敵軍は、こちらに襲おうとしてむしろ、渋滞を起こす始末。僕はと言うと、通勤ラッシュ時の池袋みたいになっている道路を右往左往しながら、こちらに向かってくるゾンビの頭をもぐら叩きのように殴っていけばいいだけだ。
室内ではいま、カチッ……カチッ……と、等間隔でクリックする音が聞こえている。
この調子なら、三姉妹が駆けつけるまでに、二、三割ほどの経験値を独占することができそうだ。
「よし、よし……」
と、そう呟き、軽く珈琲を口に含んだ、そのタイミングだった。
『御主人様(^^)』
よし子が、囁くように声をかけてきたのは。
「…………ん? どうした」
『オ客様デス(^^)』
「はあ? 客? この、終末に?」
『ハイ(·∀·)』
首を傾げていると、彼女の後ろから、アリスがひょっこり顔を出した。
『おーっす。やってるー?』
思わず、メガネがずり落ちそうになる。
むろん、集中力の九割は画面の向こうに集中していたが、さすがにこの状況……彼女を蔑ろにするわけにはいかない。
「ちなみに、すでに察してると思うけどいま、めちゃくちゃ忙しいから」
『ん。わかってる。今日はちょっと、漫画を借りに来ただけじゃから』
「……あ、そう」
『この前のあの……漫画。あれ、すっごく良かった! ああいうの、もっとないか?』
「ちなみに、すでに察してると思うけどいま、めちゃくちゃ忙しいから」
『そこをなんとか』
「適当に選んで、とっておいてくれ」
『えーっ。おぬしのチョイスがいい』
「ちなみに、すでに察してると思うけどいま、めちゃくちゃ忙しいから」
『そこをなんとか』
「ちなみに、すでに察してると思うけどいま、めちゃくちゃ忙しいから」
『だーれーがー、……弟を蘇生してやったんだっけなー?』
いかん。
この化物、思ったよりかなりしつこいぞ。
無尽蔵に襲いかかってくるゾンビをやっつけながら、僕は大きくため息を吐いた。
「九井諒子先生なら、『ダンジョン飯』が最高だぜ」
『その人の著作はもう、ぜんぶ読んだ。他に、推しの作家とか、おらんか』
「………むう」
やむを得ず、ミス・クリック警戒で、敵から距離を取る。
そこから先は、オタク特有の早口で、
「九井先生系なら、短編集がいいか」
『うん。ちゃんと完結してるやつ』
「では、一冊でお話が完結してるようなのかい。他の短編と、うっすら世界観が繋がっているタイプの作品は?」
『それは、どっちでもOK。ちゃんとその作品だけで楽しめる仕組みになってたら』
「SF系? ファンタジー系?」
『どっちも可』
「RPGあるあるとか、そういうネタは許容できるタイプか」
『OK』
「TRPGとかに関する理解は」
『そこそこ。ネット動画で見たことはあるくらい』
「では、遠峰万葉という作家を推しておく。漫画も描くし、小説もやる人だ。ネットを漁れば、TRPG動画のGMもやってる。オススメは小説だが……きみ、小説とか読むタイプ?」
『自慢じゃないがわし、人類の生み出した、ありとあらゆる娯楽を嗜むぞ』
「そうかね。では遠峰先生がいいな。まだ十代、新進気鋭の作家らしい」
『おっけー』
「向かって右から二番目の本棚、三段目を見ろ」
『さんきゅー♪』
そうして彼女は、とてとてとてとて……と本棚に歩み寄り、
『どこから読み始めるのがいい?』
「どこからでも」
そう言って改めて、PCモニターを見る。
――さて、作業の続きを……。
と、その時だった。
ちらりと振り向いた、道路の奥。航空公園のコミュニティがある方角に、――二人の少女の姿が見えたのは。
ミソラさん、ユキミさんだ。
「……げ」
渋い表情で、目を細める。
そして、今はベッドの上でのんびり本を読んでいるアリスを、ちらりと見て。
――いま、逃した分の経験値の補填とか……ないんだろうな。
深く深く、嘆息するのだった。