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第5話 1DKに巨大生物は囲えるか否か


 「結婚は人生の墓場」という言葉がある。かく言う八柱ヤハシラは独身のまま、まあ人生いろいろあって、今年で29歳を迎えた。


 これまで友人の恐妻話を聞かされる度、それが伴侶を得た者の幸福自慢に過ぎない事実を深く深く噛み締めてきた人生であった。

 苦楽を分かち合える相手と巡り合うこと。それ自体が幸運なのだ。

 そんなことなど知る由もない新入生たちを見ていると、ますますもってそう思う。


 若く生命力に溢れた学生たちはそれだけで魅力的だ。

 そしてその多くは自身と同じぐらい活力に溢れ、内外共に優れたパートナーと一生を添い遂げるのだと、そう無邪気に夢見ている。

 その気持ちはわかる。悪気なく期待してしまう気持ちが。

 何故なら彼もそうだった―――。



 八柱は呆然とマンションの共用廊下に立ち尽くしていた。

 さっさと自分の部屋に入ればいいのに、何故こんなとりとめのないことを冗長に、グルグルと考えているのか。

 簡潔に言うなら現実逃避である。


(賃貸なのに……)


 そう、賃貸だとかは関係なく、私室の屋根がブチ割られてしまっている。外からでも向こうの空模様が垣間見える大きな穴は、ところどころ骨組みの鉄筋を夜空に晒していた。


 恐る恐る玄関を開ける。

 家賃6万の1DK、落ち着いた雰囲気の外観に似合いのシンプルな内装が、見るも無残な土埃塗れである。


「そのカレンダー」


 不意にかかった声に驚き、八柱は玄関の上がりかまちに思い切り足を取られた。前のめりに転倒した衝撃で、背後で玄関扉が閉まる音が響く。


 室内は案の定冷え冷えとしていた。八柱が必死に目を凝らすと、地に落とされた蛍光灯の横で、およそ人間離れした化け物が横たわっているのが見えた。


「日時を読んでくれ……正確に」


 遠目からは巨大な人間にも見える化け物が、低い声で言う。


 ゆうに二メートルは超える身長。手首と比べ巨大過ぎる手のひら。そして青々と靡く、痛んだロングヘア―――。

 化け物と断言できる所以は列挙した特徴だけでなく、決定的な一点がその頭部にあった。帽子のつばのようにせり出た額から、動物の上顎にも似た鋭い牙がいくつも生えていたのだ。


(いや、女……?)


 見た目からは女性的特徴が見られる上、何故か彼の私服であるTシャツ一枚だけを身に纏っている。

 八柱は最初、彼女が水着を着ているのだと思った。しかし裾から伸びる下半身を覆っているのはどうやら「うろこ」のようで、ところどころ蛇を連想させる模様が浮かび上がっている。非常に目のやり場に困る出で立ちだ。


「日時だ!」


 化け物はベッドに寝転んだ不遜な態度のまま、壁に掛けられたカレンダーを指し叫ぶ。

 大きな手だった。本当に手か?と疑ってしまうほどで、八柱の顔ほどのサイズがある。その指一本一本に、屋根瓦のように弓なりに反った真四角の爪がくっついていた。


「……2020年、4月2日。夜の1時22分」


 ちら、とスマホを窺い見た八柱が答えると、「ギリギリ」と大仰な音を立てて歯ぎしりをされる。

 長く垂れ下がった前髪は突き出た額でかきわけられ、お陰で不満そうな顔がよく見えた。ぎりぎりと歯ぎしりする歯はすべてが鋭く尖っており、さながらサメである。


「寝過ごしたッ……!」


 わっと両手で顔を覆った彼女が嘆くと、皮膚と触れ合った爪がカンカンと鳴り響く。


(なんだこいつ……もしかして宇宙人か?)


 頭の狂ったコスプレイヤーや一般人を巻き込んだドッキリの可能性は、この際追わないことにした。なんせ女性の頬にはずっと木材の破片が突き刺さっており、先程からずっと夥しい量の血をダラダラ滴らせているのだから。

 それに、半壊した部屋は何度見ても悪夢みたいに現実的だ。

 八柱は基本、無礼且つ怪力な生き物は大概宇宙人だと思っている。


「まあ過ぎた事はいい。とっとと金と食いモンを寄越せ」

「えぇ……」

「さっさとしろ。痛い目見ないと解らんのか?」


 化け物は八柱が恐れもしていないことに気が付いてか、下手な泣き真似から一転。威嚇でもするようにガオッと口内を見せ付ける。

 円錐状のギザギザ歯に丁度血が垂れ、本当に映画に出て来る人食いサメみたいだった。


「痛い目っていうか……あなたの方は痛くないんですか? それ……」


 深々と刺さった破片を指摘されると、化け物は「うぇ」と素っ頓狂な声を上げた。


「変な奴だな、痛いに決まってるだろ。この血が見えないのか」

「ちょっとそこ、クッションにでも座っててください。取り急ぎ手当てするんで」

「おえ~ッ、私に指図するな!」


 再び歯ぎしりをされる。しかし、やはり八柱が脅かしに屈したり、パニックに陥る素振りはなかった。


 数年前、まさにこの部屋で『包丁を持った不審者と相対する』というハプニングに遭遇した彼には、経験から得たある狂人対策があった。

 生存に不可欠なのは、その1、相手の要望に従うこと。その2、相手に利があるよう振る舞うこと。

 そしてその3、最後まで諦めない気持ちが大切なのである。


「肉肉ッとにかく肉をくれ!」

(やばいな、肉なんてないぞ……)


 冷蔵庫の食材を浚いつつ横目で化け物を見ると、意外にも聞き分けよくローテーブルに腰掛けている。


(怪我だけ診たら帰ってくれないかな……)


 僅かな希望を糧に、血を流す顔にそっと手を添える。巨体故に座高も高く、腕をあらん限り伸ばさないと顔にも届かない。


 乾いた髪には細切れになった木材やネジがところどころ絡まっていた。未だに信じ難いが、天井を突き破って侵入したのは確かなのだろう。

 八柱の手が患部に触れた途端、彼女は「うげ~」と嫌そうな声と顔で拒絶を示した。

 随分愛嬌のある宇宙人だな、などと思いつつ、黙々と破片を取り除く。


「……それ、動かんのか」


 ある一点に気が付いた化け物が、少しだけ哀れっぽく表情を曇らせた。


「ええ、まあ……この通り」


 それは添え物以上の役割を果たさない八柱の右手についてだった。不運な事故ともいえぬ一件で、彼の右手は二年前から握力を失っている。


 覚束ない手付きでなんとか手当てをしようとする様子に思うところがあるのか、化け物は口を尖らせ所在無げにユラユラと足を揺らし始めた。


「お前、独り身か?」

「えっ」


 にや、と艶っぽく笑われる。


「なんだ~、照れるなよ。私が一緒になってやる」


 勝気な表情を浮かべ、彼女はパツパツに張ったTシャツの胸あたりを爪先で引っ掛けた。

 目と鼻の先に豊満な谷間が露わになるが、顎から伝った血がそこにもポタポタ落ちるものだからバイオレンスだ。あらゆる意味で危険な光景である。


「いや、なんでそうなる……?」


 八柱は咄嗟に見ない振りに徹した。動揺を誤魔化すように、傷になった頬っぺたにワセリンをやや強めに塗り込む。


 覗き込んだ彼女の顔はよくよく見れば愛らしかった。

 大きな目に淀んだ黒い瞳が三白眼じみて見えるが、むすっと引き結ばされた唇はぽってりとして柔らかそうだ。しかしどこもかしこも大きい。


「なんでって……私と、だぞ。意味通じてるか?」

「通じてますけど……」

「なら良い。ここを私の根城とする。天井をさっさと直しておけ」

「……は!?」


 尖り切った声に八柱は自分で自分の口を覆った。しかし相手は気にした様子もなく、相変わらず持て余した長い足を右へ左へ揺らしている。


「根城って、住むつもり!? ここに!?」

「ああ。あとすぐ足を用意しろ、娘を迎えに行かねばならんからな」

「娘ぇ!?」


 にわかに外の廊下が騒がしくなってきた。

 部屋主の帰りを聞き付けたアパートの住人たちだろう、玄関越しに「八柱さん大丈夫ですかー?」という呑気な問いかけが聞こえてくる。


 見ればわかる。ただでさえ屋根が木端微塵になって部屋が野ざらしになっているのだ。大丈夫なわけがあるか。


「ヤハシ、ペッペ! 醜男。もう一個の名を教えろ」

「……下の名前? 八柱 シュウ、ですけど」

「シュー、早くしろ! さもなくば人間共を血祭に上げるぞ」

(えぇ……)


 八柱は自論を改め、速やかに通報を選択しなかった過去の自分を恨んだ。



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