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第43話 終劇ト・アペイロン


 一目で全貌が一望できる手狭な区画、伸びた雑草に埋もれてしまいそうなベンチと遊具たち。

 静かで、暗くて、一見治安の悪そうな、ただ人に忘れられた公園があった。徹底的に感傷的になれる、荒んだ心にはもってこいの場所である。


 衣替えを終えたばかりで剥き出しの腕に、容赦のない日光が降り注ぐ。ワタリは横目で見えた木陰のベンチがとても魅力的なものに思えて、照り付ける日光から逃れようと一歩そちらへ踏み入れた。


「今日もサボり? 不良だね、ワタリちゃん」

「竜……」


 伸びる影は、滑り台の頂上から降りていた。


 目映いと知って仰げば、太陽を遮ってクツクツと笑うキズミがそこに身を乗り出して立っていた。悪戯を仕掛けた子供のように意地が悪く、そして無邪気な笑顔だ。


「この間帰っちゃった時も来てたんでしょ? 確かにいいよねここ、人気ひとけがなくて。まあ蚊にいっぱい食われるけど」


 彼女は器用にも立った状態で滑り台をツツ、と滑り降りると、軽やかな足取りで押し黙るワタリの許へと駆け寄った。

 久しぶりにキズミのそんな顔を見た気がして、ワタリはほう、と息を吐く。


「ていうか、元気ない? よね? 学校でなんかあった?」


 そう言いながら、ぱち、と自らの二の腕を叩くキズミ。

 なんとなく木陰へ向かおうとした最中、肌を打つ合図に怯んだようにワタリの歩が止まる。誤魔化そうと「なんでも……」と口を開いた拍子に、瞳からとめどなく涙が溢れ出した。

 堰を切ったようにしゃくりを上げる異様な様子に、数歩先でキズミが何を言うでもなく立ち止まる。


「竜う、どうしよう……私、ヨ、ヨミノを……!」


 脳裏に過ぎるのは心優しいクラスメイトの悲鳴と、親しくなったばかりの友人の引き攣った制止の声。それに、直接被害を受けていながら自分が罰されることを望まない、怒りと痛みに葛藤するサナの横顔だった。


 罪悪感と動揺から苦しむワタリの足はフラフラと覚束ない。

 要領を得ない懺悔から彼女が何をしてしまったのかを薄ら悟ったキズミは、ひたすらに牛歩の歩みを見守った。


「サナちゃんのこと、傷付けたの?」

「……うん。でも……もういやだったんだ、全部……」


 そうして先を行くキズミが止まり、ワタリを待つ。並び立つと、再び目印となって静かに彼女を待った。


「うーん、それはやり過ぎかもね。いくら苦手でも、サナちゃんのことを大事に思ってる人だっているんだから。みどり君も心配しちゃうよ」

「誰? それ……」

「カケル君のこと」

「ああ……あいつの弟ね……。でもベタベタされてて迷惑そうだったし、きっと心配なんかしないよ」


 諦めた風に憎まれ口を叩く彼女の足が、ようやく日を遮る木陰に到達した。ハンカチを差し出されるも、ワタリの顔はとっくに涙と鼻水でぐちゃぐちゃである。


「ワタリちゃんって、嫌いな割にサナちゃんに詳しいよね」

「まあ……、友達だったから。昔はね」

「そっか。それはつらいね」


 躊躇なくサナを咎められるように、相応の覚悟はしていたつもりだった。家族がどんな思いをするか、これから先世の中にどんな冷たい視線と態度を向けられるか。だから信頼を築く努力なんてこれっぽっちもしていないし、したくもなかった。

 ……でも、せめて人並みでありたいという、小さなプライドを捨てきれなかったのかもしれない。


 ワタリが初めてキズミを見た時、どことなく陰鬱な印象を受けたのを覚えている。

 はっちゃけたパフォーマンスも痛々しいというより、何かに焦がれるような、そんな親近感が湧いた。


(この子も、同じ孤独なのかもしれない)


 例えるならお祭り騒ぎの、その後。強制的に目を醒まされる、とりわけ寂しい夜が昔から大嫌いだった。

 既にある程度の関係が築かれたクラス内で、無色透明でいられる存在。ワタリにはそんなキズミが救いに見えた。彼女なら、共感してくれるかもしれない。癒してくれるかもしれない、と―――。


「竜は……や、なんでもない。でもありがとう。私ずっと言いたかったんだ、友達になってくれてありがとうって。……竜に話しかけてみて、本当に良かった。なにも知らない竜なら、って……」

「ううん、こちらこそ。話しかけてくれて嬉しかったよ」

「竜は普通だから、一緒にいて落ち着くんだ」


 手持ち無沙汰に砂を蹴り上げるキズミの足が、数刻硬直する。


「……普通って、わたしが?」

「うん。え、気付いてないの……?」

「……わかんないや。どういうこと?」

「だって、特別になりたいって思う気持ち……感情? そのくらい、私にだってあるよ。人に理解されたくないって部分。でも普通でいたくないのって、普通のことじゃん。みんなそうだよ」


 暫く口をぱくぱくと開閉していたキズミだったが、とうとう言葉も出ずぐったり項垂れてしまった。ベンチより下を覗くように、見るからに気落ちする彼女の背中をワタリは慌てて擦る。


「ワタリちゃん、明日から……いや、来週からでいいから学校行った方がいいよ。ちゃんとお母さんとお父さんと、先生にも相談してさ」

「え……ネ、ネヤ先生に~? それはちょっとぉ……」

「そっちじゃない方」

「ハッシー? でも、うーん……あんま頼りにならなさそうだし……」

「頼りないよ。でも絶対真剣に取り合ってくれるから。なんならリベちゃんを味方につけて、一緒に言って貰ってもいい。とにかく、今のままっていうのが一番良くないから」

「竜は……学校、行かないの?」


 ―――どうして一緒に行こうと言ってくれないのだろう。

 少なくともサナを憎からず思っている彼女を諍いに巻き込むのは本意ではないが、あくまで他人事なアドバイスの数々に少しだけ違和感を覚えた。胸騒ぎとまでは言わずともなんとなく嫌な感覚がして、疑うような目で隣を見てしまう。

 当のキズミは依然笑みを浮かべたまま、やはり飄々とした快活さを振る舞おうと、死んだ目で語り掛ける。


「行かないよ。わたし、家に帰ることにしたんだ」

「……そう、なんだ」

「うん。それで、惰性で生きててわかったことがある。わたしは、自分の大事な人と一緒に死にたかったんだ。というか自動的に死ねると思ってた。……馬鹿だなって思うかもしれないけど」


 空高くそびえる入道雲が太陽を覆い隠して、遊具に反射していた光がその鳴りを潜める。途端に電線に留まっていたカラスがけたたましい鳴き声を上げながら羽ばたいて、公園の芝生へと進入して来た。

 ぴょんぴょんと跳ね回る様子がいつかのポンコツロボを彷彿とさせ、キズミは特大の溜め息を吐く。


「でもなんにも変わらなかった。誰かが決定的に変わったりもしないし、わたしが今、死ぬ理由がないから生きてることも、今までと同じ」

「……えっと」

「ごめんね、急にこんなこと。今物凄くしっくりきたんだよね、わたしはどうあっても普通だったんだなって。何かに成ろうとしなくてもいいんだ、って……。それに、ワタリちゃんはもっとうまくやれると思う。正当性をちゃんと証明できると思うの」


(あれ……? 竜って、こんな喋り方だっけ……?)


 口調はともかく、キズミの仕草や抑揚の付け方は、これほど大人びていただろうか。どうにもならないからと保身を諦めたような、この世を呪うみたいに淡泊な語り口は。


「ねえ、竜。竜! あのさ、ほんとはドラゴンっていうの嘘で、宇宙人なんでしょ? だから星に帰っちゃうんでしょ? 今日ね、ネヤ先生のこと火星人だって言ってる人がいたけど、私全然驚かなかったよ。多分みんなも。だから竜も、今まで通り居ていいんだよ……?」


 ワタリは咄嗟に借り物のハンカチを後ろ手に隠した。以前のように「なにすんだよ」と茶化して貰えたら、教室の片隅でふざけ合える関係に戻れると思ったのだ。

 けれどキズミは首を横に振って「ごめんね」と謝るだけで、取り付く島もない。


「誰か道連れにしてやろうとも思ったけど、もういいんだ。もういいよ」


 そう言って彼女がベンチを立つと、ジッと気配を警戒していたカラスがより一層激しく鳴き出した。甲高い音に慄いたワタリが何事かとそちらを見る合間に、キズミは別れも告げずに公園の外へと歩き出す。


「りゅ……き、キズミ! ハンカチ……!」


 「洗って返すから」「また学校でね」と続くはずの言葉は、不自然なほど攻撃的な威嚇を前に詰まってしまった。キズミを追いかけるカラスの群れは、それこそ彼女が求めていた風に、そこだけ異様な存在感を放っている。


 臆して立ち止まったワタリを一度振り返ったキズミは、よく通る声と満面の笑顔で「ばいばい!」と手を振ってからすぐ駆け出して、見えなくなった。



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