第42話 終劇ト・アペイロン
「ねえ、これって四三野さんのカバンだよね?」
「そーだけど。なんで?」
ブランドもののスクールカバンを手に、クラスメイトの女子二人が「やっぱり……」と気まずそうに目を見合わせる。
状況がいまいち飲み込めないサナは、彼女たちの態度に露骨に機嫌を悪くした。
「言いたいことがあるなら言えば?」
「いや……ゴミ箱に捨ててあったから……」
「はあ!?」
教室中に響いた怒声に、辺りが唐突に静まり返る。自席から勢いづけて立ち上がったサナは、己を注目するクラス全体を隅々まで睨み付けた。
中でもロッカー付近に備えられた二種類のダストボックスを憎々し気に一瞥すると、誰に向けてでもなく棘のある口調で語り始める。
「ダレ? あたしのカバン捨てたってヤツ。見てた人居ないの?」
「それ、さっきワタリさんが……」
「ワタリ? アンタがやったの?」
この場で唯一読書に興じたままだったワタリが、酷く面倒臭そうに顔を持ち上げた。
「知らない。あんな邪魔なとこ置いとく方が悪い」
「何その言い方。お前がやったんだ? だったら変な嫌がらせやめてもらえる? 迷惑だから」
「先に嫌がらせしてきたのはそっちでしょ」
「ハ? いつの話してんだよテメー、終わったことをいつまでもさぁ!」
ツカツカと距離を詰めた弾みで飛び掛かろうとし、ハッとしたサナはその手で自らの口を塞いだ。感情に任せ事が不利になるくらいなら、多少不自然でもこれ以上失言を増やさない方が得策だ、と狂気の最中判断したからだ。
中学からのサナとワタリの衝突を知る顔触れは、最早ワタリの肩を持ち掛けている。しかしその他大勢から見れば、彼女は陰湿ないじめの関係者として、同情と疑惑を一身に買っているのだ。
「……わかったわかった、じゃーその復讐ってワケね。で、満足した?」
「今更冷静ぶったって無駄だよ。みんなあんたがキレてるとこ見てるから」
「いちいち粘着しないでくれる? あたしは今の自分に納得してるし、別に、一回間違えたくらいで不幸になんてならないから。わかる? 過去って絶対に変わんないの。つか構ってるヒマないの」
「お前の中じゃ終わったことかもしれないけど、こっちはそうじゃないよ。何にも変わってないってずっと言ってんじゃん。みんなお前のこと大っ嫌いなんだよ。一生、私の中のお前って、中学時代のあのヨミノだから」
確執の発端は、ただのノートの落書きだった。クラスの隅で自分の世界に没頭する彼女を、あの時サナが揶揄ったりしなければ―――。
「そんなん知るかッ! バカが! こっちは心入れ替えて真面目に生きてんだよ! 余計なことを……ッ!」
突如、誰かが悲鳴を上げた。怯んだサナが一歩、また一歩と後退る。
彼女が異様に熱を持った腕をそっと窺い見ると、肘辺りから手首にかけて、真っ赤な切り傷が出来上がっている。じわ、と溢れた血が伝う感触に、信じられない思いで残像を目で追いかけた。
依然しかめっ面で座ったままのワタリの手に、先の赤濡れたハサミが握られている。
「それこそ知らねえよ」
徐に椅子を引くと、静止の声をあげるクラスメイトに彼女は再び刃先を掲げた。他人を傷付けた狼狽など微塵も感じさせず、途端に黙り込んでしまった観衆を鼻で嗤う。
「ほんとに嫌い。死んで詫びて欲しいぐらい、あんたのことが大嫌い」
「じゃあテメーは詫びてから死ね!」
ガシャン!
ワタリの頬を文庫本の角が掠める。手近な席にあったそれを躊躇いなく窓ガラスに投げ付けたサナは、次は机に手を掛けた。
「今謝れ! すぐ謝れ! 早くッ!」
決して軽いわけでもない椅子、果ては机が宙を舞う。利き手の怪我という大きなハンデをものともせず、サナの暴走は止まらない。
「あの暴走機関車……ほんとどうかしてる」
大仰な衝撃音にあわあわと抱き着いてくるケイを後目に、リーベは気が遠くなる思いで騒動を見詰めていた。
恐らくサナは陰湿な粘着行為を止めた代償として、それはもう鬱憤が溜まっていたのだろう。血戯える狂気の表情は、どことなく活き活きしているようにも見える。
「秒でヒール役になれるのは凄いことちゃうか。知らんけど」
「なんとかして止められません?」
「えー……」
野次馬の中ふと甘い香りが鼻を衝いた。色めく人だかりを押し退けて、ネヤと八柱がようやく異変を察知し駆け付けたのだ。
しかしながら動揺する生徒たちを訝しむ二人の様相は、やはりというか、良い意味でも悪い意味でも二極化している。
「いやはや、この錯綜、この衝突、この矮小さ。これこそ青春の一ページだね。こんな経験学生の内にしか出来ないよ」
「……こういう時って普通止めません?」
教室の惨状を把握し終えたネヤが、顔を蒼くする八柱へ滔々と語り掛ける。
「なあ八柱。ここは一つ可愛い生徒たちを信じて、好きにさせてあげるというのはどうだろう?」
「でもネヤ先生、こういうのは彼女たちにとって死活問題にも等しいですよ……それほど真剣に訴えているんです。本当にそんな切り捨て方をしていいんでしょうか」
その億劫そうな物言いに反応を示したのは、ネヤでもリーベでもなく、雑音を流し聞きしていたケイであった。
弾かれたように顔を上げると、悪魔染みた笑みを浮かべるブロンドの女とばっちり目が合ってしまう。
「ネ……!?」
「興醒めだ。本当に手を抜くのが下手くそだね、君」
ぱんぱん、とネヤがその場で手を打ち鳴らす。驚愕の声を掻き消し衆目を集めた彼女は、常通り堂々たる足取りで入り口を潜り抜けた。
「君たちも、残念ながら時間切れだ。ここからが面白くなりそうではあるけどね。ほら散った散った」
「あの、二人とも興奮状態なので……言葉選びには十分気を遣ってください」
「ご覧よ八柱、傷害事件だ。それと器物損壊! これはヨミノの親が黙ってないだろうよ」
「ネヤ先生聞いてます?」
絶対的な独裁者が現れても、漂う空気は酷く不穏なままだ。中には泣き出してしまった生徒もいる。
興奮冷めやらぬまま、サナは自身の胸元に手を当てた。自身の荒い息に混じって聞こえる啜り泣く声と、ワタリを加害者とした際に発生する諸々の面倒を鑑みて、更に制服を強く握り締める。
「別に……謝ってくれるんならそれでいーよ」
「良かったなワタリ、ヨミノが大人になってくれるそうだ。金持ち喧嘩せずってな、はは」
軽薄な仲人の音頭に、誰ともなく「うわあ……」といったドン引きの声があがる。
生徒間でも既に”いつものやつ”という浸透のされ方をされているほどで、執拗な詰問と小馬鹿にした言い回しは彼女のお得意なのだ。
ひとまず手当てを、と八柱が引き離すようにサナの肩を促す。すると、すぐ背後から呼び止めるような声が掛かった。
振り向いた八柱を肯定するように、もう一度ワタリが「先生」と呼び掛ける。
「私は訴えられても構いません。もう、どうでもいいんで」
酷く疲れ切った様相で、ワタリが諦念混じりに吐き捨てる。抱える必要のない覚悟を背負ってまで、それこそ刺し違えてでも排除したかったのだろう。
どうしてそこまで捻じれてしまったのか。
初めてショックを受けたように目を見開くサナを前にして、彼女はようやく安心したように、手にしていたハサミを床に落とした。
「身勝手だね」
錆びた刃、震えた指先と辿って、ネヤはやれやれとでも言うように大きく肩を竦めて見せる。
「このように、恨みをなおざりにするリスクがどれほど大きいか。まあ十数年程度の経験値しかない君たちには想像し難いんだろうね。でも大人は違う。どうして君の親は、君をそう躾けてくれなかったんだろう。色々と察してしまうよ」
問いかけはワタリに言っているわけでも、クラス全体に言っているわけでもなかった。この場にいる人間全員に投げかけたには間違いないのだろうが、とりわけ金の瞳に真っ直ぐ射抜かれてしまったサナの身体が強張る。
「倫理のわからない人間がいると、社会が成立しないんだ。君の持つ知性と人格は多くの人にとって凄く都合が悪いし、遅かれ早かれ淘汰される。君たちは他人を害すことも、害されるもあってはならないんだ」
「お前、それ公務員法違反やろ!!」
サナに向かう彼女の足を止めたのは、ずっと口を挟みあぐねていたケイだった。
いつの間にネヤの腕は宙に浮いており、慰めの意として頭を撫でようとも、頬を打つ前振りとも取れる。無粋な野次に我に返った八柱は、咄嗟にサナを後ろへと庇った。
「おやおや、知らない子がいるね。迷子かな?」
「誰が迷子だこの犯罪者! 騙されるな下等生物共、こいつは悪徳極まりない火星人だ!」
「それで、どうしたいの? 君が被害を被ったわけでもないのに。わざわざ干渉して来て」
言いながら黒板の粉受けをなぞったネヤの手が、一本のチョークを手に取った。すると血気盛んだったケイの態度が見る見るうちに委縮してゆく。
彼女が得物を探し、手にしたという事実だけで、ケイは近い未来に起こり得る自らの運命を悟ってしまった。
間違いなく彼女はそれを暴力に使う。しかしながら一方的な正義心がサナに振り翳されるのも、それはそれで可笑しいと彼は思うのだ。
「慧は、私と、委員長の友人です!」
耳に飛び込んできた思いもよらない言葉に、ケイは声も出せずに並び立つリーベに視線を向けた。
一歩前に踏み出したリーベは、身長差を補うように凛と胸を張っている。さながら姫を守護する騎士の如く、逆らえない相手に対し無意識に恐怖する彼を、臆することなく匿っていた。
「ああ、そう。だけど、部外者の立ち入りは原則禁止だよ」
「はい。私が責任持って外まで案内します。先生も、早く委員長を保健室へ」
担任教師が火星人である、という馬鹿馬鹿しい指摘をただ一人だけ受け入れたリーベが、率先してサナとケイの腕を引く。
パタパタと混乱の渦中を離れる三人を、八柱は後ろ髪を引かれる思いでその後を追った。まさかなと教室を振り返った一瞬、そこに居るべき人間の影が跡形もないことにいの一番に気が付く。
「……あれ、ワタリさんは……?」




